香水としての音楽 -ラヴェルの美しさ
【金曜日は音楽の日】
音楽は空気の中を伝わるという意味では、ある種の香りと同じ性質を持ちます。そして、美しく柔らかい音楽は、香水のように仄かに空気を変えるものになる。
フランスの作曲家ラヴェルが残した音楽は、そんな香りに満ちた、エキゾチックで華やかな音楽です。
モーリス・ラヴェルは1875年、バスク地方生まれ。フランス人でありながら、スペインに近い地で生まれたことは、彼の音楽に影響を与えています。
フォーレらが教授陣だったパリ音楽院で学び、『水の戯れ』や『亡き王女のためのパヴァーヌ』等意欲作を次々に発表します。
しかしローマ賞を獲ろうとしたところ、5回に渡って落選。最後の年は予選すら通過できず。既に人気作曲家となっていたため、これは大きな騒動となり、音楽院院長のデュポワは辞任し、フォーレが院長に就任して改革に乗り出すことになります。
その後も『ダフニスとクロエ』等の名作を創りますが、第一次大戦が勃発すると、参加を志願。輸送兵として激戦地ヴェルダンにも赴きますが、腹膜炎にかかってパリに戻り、しかも最愛の母親を亡くします。
大戦と母の死以降、作風は変化し、『ボレロ』、『ラ・ヴァルス』等人気作はあるものの、極度に創作意欲が衰えていくことになります。
記憶障害や失語症にも悩まされ、手術を受けるも容体は回復せず、1937年、62歳で亡くなっています。
ラヴェルの特徴は、甘さとエキゾチズムの薫る、色彩感豊かな音楽です。
そのエキゾチズムは、ドビュッシーの東洋やジャズ趣味と違い、ちょっとフラメンコを思わせるような、アンダルシアっぽい熱気があるのが面白い。
勿論『ボレロ』はスペインの舞踊から来ていますし、『弦楽四重奏曲』でのピチカートでの疾走は、ちょっとウードを思わせ、アラブの民族音楽っぽい響きもあります。
スペインやポルトガルの文化のエキゾチックでアラブ的な要素は、8世紀から15世紀までこの地にイスラムのウマイヤ朝があった影響によるものです。そうした古代の残響がエキゾチカとなって漂うのが、ラヴェルの音楽の特色です。
そしてラヴェルと言えば何と言っても美しいオーケストレーション。ムソルグスキーのピアノ曲を編曲した『展覧会の絵』は、原曲の多彩さをカラフルに色づけた、見事なもの。管楽器のソロの音色を使い分け、華やかな弦楽で、薄いヴェールのように音楽を包み込める才能。
『ボレロ』を、2種類のメロディを繰り返すだけで曲を成り立たせてしまうのは、オーケストレーションによる色分けに、絶対の自信を持っていたからでしょう。
そんな彼はドビュッシーから「魔術師の域に達した香具師」と言われています。つまり、非常に人工的で作為的な部分があるということです。
これは至言で、ラヴェルに対する最上の褒め言葉だと思っています。あるいはストラヴィンスキーの「スイスの時計職人」という評言も同様でしょう。人工的なエキゾチカでしか表せない美があります。
私が最も好きな『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、そんな彼の特色が色濃く滲み出た傑作です。
左手のアルペジオにコーティングするように、ふわふわ漂う甘い旋律が伸びていく。途中には艶やかな扇子を広げるかのような箇所もあり、アルカイックな響きを残し、やがて全ては大気の中に消えていきます。
エキゾチックなタイトルは、どこか遠い昔話のような感触があります。これについては、ラヴェル本人は「韻を踏むためにつけただけ(Pavane pour une infante défunte)」と嘯いていますが、そうした部分も含めて、大変粋です。
それはまるで香水のような音楽です。大気に吹きかけて、香りを変えるけれども、実体はなく、鮮やかな色と心地よさを残す音楽。
香水は実体がない香りを彩るために、パッケージやネーミングにもしっかりと統一したイメージを持たせる必要があります。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、ドビュッシー(『西風の見たもの』等)のように、直接的なイメージや神話を喚起させるものでもなく、サティ(『梨の形をした3つの小品』等)のように、外して狙ったネーミングでもない、詩的で簡素な美しさがあります。
それはつまり、太古のアラブの記憶を秘めたスペインの熱い風の中にある、何重にも折りたたまれた音の響きの、オリエンタルな微かな香りを常にラヴェル本人が感じていたゆえのセンスである、という妄想も浮かんでくるほどです。
しかし、ラヴェルは改めて変わった作曲家だと思います。
音楽的にはフランスの近代音楽の中で、ドビュッシーと、サティや「六人組」(プーランク等)を繋げるミッシングリンクとも言えます。つまり、クラシック音楽の伝統を持ちつつも、ジャズのような新時代の大衆音楽への嗜好も併せ持つ。
色彩感豊かなオーケストレーションは、六人組のナディア・ブーランジェに引き継がれ、バーンスタインからクインシー・ジョーンズまで、彼女に教わっているのですから、映画音楽を含む20世紀後半の大衆音楽への影響も大です。
ただ、その中でも、ラヴェルはクラシックの方に半歩身を寄せているというか、旧時代の最後の作曲家という気がします。
それは、彼が第一次大戦に多大な影響を受けてしまった、という点にも表れています。
彼より旧世代のマーラー、ドビュッシー、プッチーニ、リヒャルト・シュトラウス等は大戦前に亡くなるか、大戦後もロマンチックな作風はそこまで大きく変わりませんでした。
ラヴェルより後になると、もっとドライで即物的になる。少し年下のストラヴィンスキーは、大戦後に作風を古典的にしつつも、そのシャープな質感は『春の祭典』の頃の延長とも言えます。
ラヴェルの大戦後は、かつての潤いのある緩やかさはなくなり、『ボレロ』や、『ラ・ヴァルス』のように、色彩感は豊かだけど、壊れた機械のように、執拗に同じ旋律を繰り返し、高まって最後は途切れる、という音楽になります。まるで、戦争の砲弾と死の光景がこだましているかのように。
病気や母の死も大きかったとはいえ、ある種の音楽観や人生観の変化を、戦争の時代に、これ程まともに受けてしまったタイプはかなり珍しい。そうした意味でも、19世紀のクラシック音楽の最終章に位置する作曲家のように思えるのです。
そんなラヴェルですが、ドビュッシーやストラヴィンスキーに比べて、作品自体は意外とタフというか、実は演奏家による出来不出来のムラが、案外少ない作曲家に思えます。
それは、ラヴェルの人工的な部分によるものかもしれないし、楽譜通りに弾けば、割合美しくその作品の本質が出てくるタイプなのかもしれません。
私はピアノ曲は、サンソン・フランソワで、『展覧会の絵』のオーケストラ版は、ショルティ指揮のシカゴ交響楽団演奏で聞いたりしています。
『亡き王女のためのパヴァーヌ』は、ピアノでも、ラヴェル自身のオーケストレーションを施したオケ版でもいいのですが、お薦めしたいのは、アンサンブル・ウィーン・ベルリンによる、フルートとハープのソリストだけの演奏。
大気の中を柔らかく漂い、アルカイックな匂いが最も濃密に出てくる編曲であり、聞き終わった後は、余韻で部屋の中に甘い残り香を感じるかのようです。
そんな、絶妙に儚く、遠い場所のエキゾチズムに満ちた音楽を是非堪能していただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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