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華やかな哀愁 -ヴィヴァルディ『四季』の魅力


 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
ヴィヴァルディの『四季』といえば、クラシックに馴染みのない人でも、題名は勿論、どこかで聞いたことがあるという人が多いでしょう。
 
通俗的なまでに浸透しつつも、バロックの時代やヴィヴァルディ自身の特徴をよく捉えた曲であり、楽しさに満ちた名曲です。




意外と?忘れられがちですが、『四季』は「ヴァイオリン協奏曲」、つまり、ソロのヴァイオリニストを中心とした弦楽協奏曲です。そこにハプシコードの伴奏もついて、全体に軽やかさとツヤを加味しています。
 



第一楽章から第四楽章までをそれぞれ春夏秋冬に割り振り、しかも三つの章に分かれ、それぞれの季節の情景を描きます。全編に情景を説明するソネットがついていて、逐一説明してくれます。
 
例えば有名な第一楽章『春』はこんな感じ。
 

春がやってきた 楽しげに
小鳥が幸せに満ちた歌を歌い
喜んで春を迎える
小川の流れは西風の息吹に囁いている


せせらぎは合奏が、小鳥のさえずりはソリストが再現してと、手を替え品を替え、かつ自然と統一感があるのが見事です。
 
日本の夏をイメージするとちょっと違う、倦怠に満ちた「夏」、秋の収穫祭の美しい「秋」、冬の嵐だけでなく、暖炉の前で暖まる情景、スケートで転ぶ様まで音楽で再現しようとする「冬」まで、ある種の冗談音楽的な側面までありつつ、次から次へと魅惑のメロディが紡がれていくのです。




アントニオ・ヴィヴァルディは1678年、ヴェネツィア生まれ。15歳で僧侶になり、修業の傍ら、サン・マルコ聖堂のオーケストラでヴァイオリンを弾くほどに音楽にも情熱を注ぎます。


アントニオ・ヴィヴァルディ


1703年に司祭に任命されると、孤児や捨て子たちに音楽を教える養育院のヴァイオリン教師になります。次々に曲を書き、合奏を指導して生徒たちと演奏会を開いており、プロのオーケストラ並みに優れた演奏だったと、当時の感想が残っています。
 
ヴェネツィアに観光に来た国王や貴族の前でも演奏し、作品が出版されたことで、ヴィヴァルディの名声は高まっていきます。
 
オペラも手掛けるようになり、1718年以降、北イタリアのマントヴァやローマに旅をして、オペラの上演や協奏曲の出版を手掛けていきます。『四季』は、1725年に出版された協奏曲集『和声と創意の試み』の一部です。
 
ヨーロッパ中に名声は轟き、1739年にようやくヴェネツィアに戻るものの、彼の音楽は、故郷では既に時代遅れになっていました。失意の中でもう一度ひと旗揚げようと決心し、ウィーンに旅立つも、到着した時にはすっかり老け込んでいたといいます。
 
1741年、ウィーンにて客死。葬儀の際に演奏されたミサ曲の合唱隊の中には、当時6歳だったハイドンがいました。




ヴィヴァルディの作品の特徴は、その華麗で哀愁に満ちた旋律です。

宗教曲ほど湿っぽくなく、フックが効いていて、しみじみとした情感と、怜悧な緊張感が交錯する。その場の空気感を一変させるほどのメロディの花束。バッハやヘンデルも彼の曲のメロディを編曲しているほどです。
 
と同時に、多くの協奏曲を聞いていると、段々どれも同じに聴こえてくるくらいには、ワンパターンであることも事実です。溌溂とした序奏に、名人芸的なソロが絡まり、緩徐楽章ではソロがしみじみと歌い、終楽章では再び活気を取り戻す。
 
後世の音楽家に「彼は600曲の協奏曲を創ったのではなく、同じ曲を600回作曲したに過ぎない」と言われたほど。勿論、それだけ大量に創れたことは偉大なことなのですが、同時代のバッハやヘンデルに比べても、形式上の工夫が薄いようには感じてしまいます。





その原因は、彼がヴァイオリニストであったことが、実は大きいように思えます。
 
勿論、鍵盤楽器も弾けたでしょうが、ヴィヴァルディは、大作曲家の中では珍しい、ヴァイオリンの演奏力が突出した名手です。彼を除けば、現代まで残っているヴァイオリニスト作曲家は、多分パガニーニくらいではないでしょうか。
 
バッハとヘンデルはオルガン、モーツァルトやベートーヴェン以降のクラシック音楽の名演奏家で大作曲家の人は、基本ピアニストです。20世紀のポピュラー音楽に至るまで、名曲というものの殆どは、ピアニストとギタリストによって創られてきたと言えるかもしれません。
 
ピアノとギターは、メロディを奏でられると同時に、コードを抑えて和声進行を創りやすく、それによって、様々なアレンジを想起して、メロディに限らない曲のカラーを膨らませやすい。
 
ヴァイオリンの場合、メロディを奏でることがメインのため、どうしてもその旋律をいかに効果的に聞かせるかに、意識が行ってしまうのではないか。
 
だからこそ、メロディをひたすら絡ませる方向に向かってしまい、雰囲気を変える引き算の部分ができずに、飽和して同じトーンのような印象になりがちな気がします。





そして、彼が協奏曲を大量に創ったのは、間違いなく、生徒たちと一緒に演奏するためでもあったはずです。
 
やや演奏力に問題を抱える子もいる生徒たちには合奏で粗を目立たせずに、一番の聞かせどころでは、自分でソロを弾いて引っ張る。
 
こうした彼の姿勢で出来た作品は、変な言い方ですが、ジャズ・ミュージシャンの音楽に近いと思っています。
 
マイルス、パーカー、ショーターのように、和声楽器ではない吹奏楽器を操り、ソロと濃密に絡む合奏による、オリエンタルで摩訶不思議なメロディに満ちた音楽。
 
そういえば、ヴィヴァルティには『四季』や『室内合奏曲(リュート協奏曲)』、『オーボエ協奏曲』のように、突如濃密な異国情緒が湧き出す瞬間があります。それは和声楽器ベースではない感覚から溢れる、無国籍感なのかもしれない。
 
バッハのように、ジャズに応用できるようなイディオムはありませんが、そうしたスタンスにおいて、ジャズに通じるようなドライヴする即興感とエキゾチズムを持っていたように思えます。ある意味傍流の存在であり、それゆえに、20世紀に復権するようになったのでしょう。





ヴィヴァルディの『四季』の演奏と言えば、何と言ってもイタリアのイ・ムジチ合奏団。1950年代から90年代にかけて何度も録音し、通算2000万枚以上売り上げたという彼らの貢献がなければ、現在ここまで『四季』がポピュラーになることもなかったでしょう。
 



初期の59年、コンサートマスターのフェリックス・アーヨが引っ張る流麗なフィリップス盤が世評高く、私もこの作品の美しさを味わうに素晴らしい名盤だと思います。また、80年代以降のカルミネッリがソロをとった盤等も、クリアで聴きやすい音質で、結構好きだったりします。
 
近年だと、ジュリアーノ・カルミニョーラがソロのヴェニス・バロックオーケストラのソニー盤は、バロック・ヴァイオリンを使い、硬質な響きでテンポを揺らしつつ、色彩感豊かな演奏を繰り広げており、お薦めです。
 


ヴィヴァルディが創りあげた、古のヴェネツィアの夜を彩る音の饗宴が、匂うように立ち上がってくるようです。そんな、バロック音楽の中でも妖しい異国の花の香りを味わっていただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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