みんなに広がる私の歌 -ジェイムス・テイラーの魅力
【金曜日は音楽の日】
詩や歌の魅力の一つは、自分の個人的な感情が色々な人に伝わって、それが、皆のものになっていくことだと思います。
口ずさみやすいメロディがあれば、更にそれは広がりやすくなる。シンガー・ソングライターの魅力とは、そういうところにあるのでしょう。
ジェイムス・テイラーはそんな、口ずさめる歌を作り続けてきた素晴らしいシンガー・ソングライターの一人であり、私にとっても最愛の音楽家の一人です。
ジェイムス・テイラーは、1948年アメリカのボストン生まれ。幼少期は父親の仕事の関係で、南部ノースキャロライナ州で育ちます。
アメリカの東海岸に、南部のルーツもあるというこの幼少期の環境は、彼の音楽に大きな影響を与えます。
次男のジェイムスを含む5人兄弟全員が後にレコード・デビューをしている、音楽好きの一家です。母親はブロードウェイのミュージカルが好きで、よく家で『オクラハマ』等のレコードをかけていました。
海軍医だった父親の期待を受けて大学に行くものの、深刻な鬱病によりドロップアウト。
精神科病棟に自ら入院した後、本格的にミュージシャンを目指します。しかし、バンドが上手くいかなかったり、ドラッグに溺れて再び入院したりと苦闘。心機一転、イギリスに渡ります。
ここで、ビートルズが立ち上げた新レーベル、アップルレコードのオーディションを受けて見事に合格。レーベル初のアメリカ人アーティストとして、ソロデビューをします。
しかし、あまり売れず、交通事故に遭うなど、ここでもうまくいかず、マネージャーのピーター・アッシャーと共にアメリカに戻り、ワーナー・ブラザーズと契約。
そして1971年、名作アルバム『スウィート・ベイビー・ジェイムス』を発表。簡素なギターの弾き語りに、最小限のバックを付けたこのアルバムと、その中の名曲『ファイアー・アンド・レイン』が大ヒット。
こうして、その後50年以上活躍する、名シンガー・ソングライターが誕生したのです。
ジェイムスの曲の魅力とは、個人の感情をヴィヴィッドに、それでいてうまく象徴的に伝えてくれることでしょう。
例えば『ファイアー・アンド・レイン』では、自殺した幼馴染の女性について個人的に語り掛けるように始まった後、サビでは次のように歌われます。
火と雨という象徴的な表現と、友達がいないという個人的な表現、そして大切な人への呼びかけが無理なく同居している。
それゆえ、ジェイムスの個人的な思いを超えて、多くの人の心に響く曲になっています。
そして、簡素で、余白に満ちた表現になっているのも素晴らしい。私が最も好きな名曲『キャロライナ・イン・マイ・マインド』にはこんな一節があります。
主人公は事故か何かにあって、路上に投げ出されたのかもしれない。死ぬ間際、幸せな時を過ごした懐かしい故郷を思い出しているのかもしれない。想像を膨らませられるから、どんな時でも口ずさみたくなります。
そうした余白は、歌詞だけでなくジェイムスの音楽全般にもあります。彼の歌声や曲、ギター演奏には不思議な広がりがあるのです。
彼の歌声は、伸びやかでジェントルで、決して何かを押しつけて、強く叫ぼうとはしていません。
そして、メロディを含めた曲自体は、特定のジャンルというよりも、あらゆる要素が溶け込んで、それらが決して一つ一つ主張していないのです。
フォーク・ミュージックやカントリー・ミュージックと呼ぶには、複雑なテンションのジャズっぽいコードがあります。ではジャズかというと、ゆったりとし過ぎて、暗い要素があまりない。
時折ブルースっぽい曲もあるのですが、サラッと流し過ぎていて、とてもブルース特有のえぐみはない。
ボサノヴァ風とかも含めて、どんな曲でも、ジェイムスの音楽としか言いようのないものになっています。
おそらく、その根底にあるのは、母親が聞かせてくれたブロードウェイの要素な感じもします。
ブロードウェイのミュージカル音楽とは、かなり複雑で高度な音楽構造になっていて、あらゆるメロディを取り込んで、一つのストーリーを創り出すものだからです。
そういった要素を、ギター1本で取り込み、演劇ではなく、個人の気持ちの表現にしたのが、ジェイムスの凄さとも言えるかもしれません。
ジェイムスは70年代後半からは、個人的な弾き語りだけではなく、バックミュージシャンやコーラスを増やし、より重層的な音楽を創るようになります。
それは、ゆったりとした広がりのあった弾き語りの感触を決して損なうことなく、よりカラフルでリリカルな音楽です。
そして、個人的な思いと象徴的な謎の心地よさの歌詞も感触は変わらず。彼の心の歌であり、みんなの歌でもあり続けています。
ジェイムス自身は、シンガー・ソングライターの地位を築いた後でもプライベートでは順風満帆ではありませんでした。
ドラッグの問題や離婚もありました。気難しい性格でも知られています(最近のインタビューは本当に穏やかですが)。
それでも、彼が素晴らしいクオリティの音楽を50年以上作り続けてきたのは、自分と共に、周囲や、自分の音楽を伝える「誰か」を信じていたからでしょう。
以前出ていたベスト・アルバムのセルフライナーでは、それまでのキャリアを振り返った後、ぽつんと、こんな言葉が添えられていました。
少し照れ隠しで、ユーモアとちょっとした辛辣さがあって、でもやっぱり、音楽がみんなに広がっていくことを信じている。
そんな、他人を受け入れるゆったりとした広さと、自身の想いが同居する歌。
それはつまり、私たちが心の底で望む人生のような歌と言えるのかもしれません。是非、その優しい歌を体験していただければ、と思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。
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