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過ぎ去る人生をなぞる -ロートレックの美しさ


 
 
【月曜日は絵画の日】
 
新宿のSOMPO美術館で開催中の『ロートレック展 時をつかむ線』を見てきました(9月23日まで)。
 
ロートレックの充実したコレクションの展覧会。彼の作品の魅力を丁寧に展示した、とても良い展覧会でした。観ているうちに、この画家について、色々なことを思い出したりしました。




アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックは、1864年、南仏生まれ。家系は中世まで遡ることのできる、由緒正しい貴族です。

 

アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック


幼い頃から絵の才能を見せるも、13歳の時に、落馬により、左の大腿骨を骨折。その一年後には、道の側溝に落ちて、右の大腿骨を骨折。これにより、脚の発育が止まり、成人しても150センチ代の身長になります。
 
名門貴族のため、代々近親婚を繰り返していた(アンリの両親はいとこ同士です)ことによる、遺伝子疾患と言われています。
 
1882年にパリに出て、ゴッホやベルナール、ゴーギャン等と知り合います。そして、モンマルトルに住むと、歓楽街ムーラン・ルージュに出入りし、娼婦や踊り子、キャバレーの歌手を描いて、ポスターやリトグラフを手掛けていきます。
 
1891年『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』のポスターが大きな話題になります。

しかし、ロートレックは、元来陽気で、誰からも好かれる性格の、享楽好きであり、度を超えた放蕩に耽るようになります。アルコール依存症と梅毒により、徐々に健康を崩していくことに。
 
1901年、母親の実家の南仏の城で療養。同年、脳出血のため36歳で亡くなっています。




この展覧会は、ロートレックの素描とポスターが中心です。最初の辺りのセクションは、ロートレックの私的な素描の紙の断片が、かなりのボリュームで展示されていました。

 

 『騎手』
フィロス・コレクション蔵


それらの素描の中には、正直言って、ロートレックの描いたものと言われなければ厳しいクオリティのものも結構あるのですが、ここまでのものが大量に残っていることに、少し驚きを覚えました。
 
ポスターやリトグラフであれば、状態のよいものは、印刷所周りを丹念にあたれば、収集はできるかもしれない。しかし、スケッチ帖でもない紙に無造作に描かれた素描は、なかなかそうはいかないでしょう。
 
その素描は、かなり乱雑に描き飛ばされたものもありますが、人物の特徴をさっと捉えているのは流石です。

そして、大量に見ていると、段々とロートレックの体臭のようなものを感じ取れるように思えました。




ロートレックの素描は、人物主体で当時の現代風俗を捉えていますが、例えば、ロートレック自身が強い影響を受けたドガとは、少し肌合いが違うように感じます。
 
ドガの描写は、ある動きを効果的なアングルで捉えるものです。

それゆえ、動いている踊り子が特権的な対象となる。三次元の動きを二次元の静止イメージで感じさせるのに、一番いい瞬間の切り取り方を、計算して描かれています。

その計算された「動き」は、あくまで強固な空間の中で配置されるからこそ効果的であり、油絵的・古典的な表現になっています。

ドガ『舞台のバレエ稽古』
メトロポリタン美術館蔵
(※今回の出品作ではない)


ロートレックは、素描の名手ですが、そうした計算をどこか放棄しているようなところがあります。
 
人物が溶ける寸前のような、乱雑な書きなぐりの速度。過ぎ去っていく人々を繋ぎ留めるかのように、ひたすら素早く紙の上に描かれる「今」の熱気。
 
その熱気が、人物だけでなく、空間自体も溶かし、自由に組み合わせていくような感じすら覚えます。
 
おそらく、それゆえに、ロートレックはポスターとの相性がいいのでしょう。人物の特徴は明確に捉え、人物間の空間は曖昧にぼかしてあることで、より対象が生き生きと浮き彫りになるのです。

 

『デイヴァイン・ジャポネ』
フィロス・コレクション蔵




そうした「溶けだす空間」のにおいを味わうのに、この展覧会のように大量に作品(240点程あります)を一気に見るのは、大変効果的に思えます。
 
彼は、同時代の劇場の作品プログラムなども描いています。聞いたこともない作品や、無名の俳優たちの断片から、当時のモンマルトルの猥雑な空気が立ち上ってきます。

一枚の絵の巧拙ではなく、全体から体感する展覧会なのです。

『紙吹雪』
フィロス・コレクション蔵


 
そして、私が心打たれたのは、ロートレックが描いた、友人あての、パーティや晩餐会の招待状が残っていること。
 
階級に囚われず、誰からも愛された彼の人柄が分かります。そして、おそらくそれ故に、彼の素描を大事に残して、管理していた人たちがいたのだろうな、という風に妄想してしまうのです。




ロートレックの伝記映画で有名な作品に、巨匠ジョン・ヒューストンが監督した1952年のアメリカ映画『赤い風車』があります。

そちらは未見なのですが、私にとって忘れられないのは、1999年のフランス映画『葡萄酒色の人生 ロートレック』です。


『葡萄酒色の人生 ロートレック』
チラシ


 
配信どころかDVD化もされていない作品で、傑作とは言い難いのですが、美しい美術と、主演男優の熱演で、結構良く当時の雰囲気が出ており、私はとても好きな映画です。
 
その中でラスト近く、病み衰え、療養するロートレックを捉えた場面があります。
 
見舞いに来た友人から、この南仏の自然を描いたらと薦められると、ロートレックは、泣き笑いのような表情で答えます。

それはできない・・・自然は、美しすぎる。美しすぎるから、僕には描けない 


このようなことを、ロートレックが実際に言ったかどうかは分かりません。でも、これはロートレックの本質を上手く捉えた台詞のように思えます。




彼が描いたのは、歓楽街の娼婦や歌手たち、束の間の享楽に興じる人々。愛慾や醜悪さに満ちた、一般的な偉大さや美しさとは程遠い人たちです。
 
でも、彼らを心から愛し、全てを繋ぎ留めようとその姿をなぞり、描き続けました。

ロートレックの遺した断片を繋ぎ合わせると、そうした愛が、他には得難い美しさで、私たちに迫ってくるように思えます。
 
なぜなら、私たちもまた、彼らと同じく、時と共に過ぎ去り、やがて消えていく存在なのだから。
 
過ぎ去ることに抵抗する、人間臭い、生きることと結びついた愛が込められた作品であるがゆえに、ロートレックの作品は、後世の人々の心を打つのでしょう。是非、この展覧会で、その生き生きとした匂いを体験いただければと思います。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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