潮風の薫る冒険 -漫画『ダンピアのおいしい冒険』の魅力
私は歴史が好きですが、その原点はというと、小学生の頃に読んだ「偉人の伝記」シリーズや、「世界の歴史」シリーズの、学習漫画だという気がしています。
言葉とヴィジュアルの両方があることで、人々が生きて歴史が創られるというダイナミズムを、肌で感じられ、それが歴史の面白さへの開眼に繋がったように思えるのです。
つい先日も、私が昔読んだ、小学生向けのゴッホの伝記漫画(小学館版)をKindleで見つけましたが、今読んでもよくできていて、大変楽しめました。
彼の生涯の有名なエピソードと、人間としてのエッセンスが詰まっていて、ゴッホのイメージを鮮明に浮かび上がらせています。こうしたエッセンスとイメージの形成が、歴史漫画の醍醐味でしょう。お薦めの漫画です。
さて、そんな実在した人物をモデルにした歴史漫画で、私が好きなのは、トマトスープさんの漫画『ダンピアのおいしい冒険』(全6巻)です。
これは同時に、以前ご紹介した日之下あかめさんの『エーゲ海を渡る花たち』と同じく、食と冒険をめぐる歴史漫画といえます。
この漫画は、17世紀のイギリスの冒険家、ウィリアム・ダンピアの航海を詳細に描く作品です。ダンピアは生涯で何と3度も世界一周の航海をしていますが、その最初の世界一周を舞台としています。
ダンピアは1651年、イギリス生まれ。16歳で船乗りとなります。1680年代に、私掠船の船長クックの元で航海士を務め、南米のスペイン領ペルーやガラパゴス諸島を訪れます。
クックの死後も太平洋を超えて、東インド、中国からオーストラリアまで旅し、アフリカの喜望峰から、イギリスに戻るという、文字通り波乱万丈の旅が舞台です。
「おいしい冒険」というタイトルにある通り、最初は、好奇心いっぱいの航海士ダンピアが、色々な未知の世界の料理を楽しむ、ある種のグルメ漫画にもなっています。
料理といっても、何せ17世紀の大航海時代です。舟の甲板で解体したサメのシチューや、トドのステーキ、イグアナのスープ、乾パン、焼きバナナのような果物等、調理も最低限の、ワイルドなものです。
しかし、一つ一つのコマの奥から、匂い立ってくるような、その「味」を感じることができます。それだけではありません。時には穏やかで時には荒れ狂う、広大な海の潮の薫りも漂ってくるようです。
それは、何よりも、ここに出てくる登場人物たちが、皆「生きて」いるからでしょう。
絵柄はほのぼのした児童向け漫画風であり、劇画と違って、書き込みは決して詳細ではありません。
しかし、その簡素な線と、確固とした歴史的知識を背景に、人物たちが必死に生き、生きるためにあらゆるものを食べ、未知の世界に触れていく。彼らの心の動きが伝わってくるのです。
漫画に限らず、フィクションにおいて、何かを逐一すべて描写することよりも、人物のキャラクターをしっかり立てることが、何よりもその世界を色づかせる。そんなことが分かる作品です。
そして、物語が進むにつれて、その世界はどんどんハードになっていきます。
冒険と言っても、彼らは私掠船。つまり、海賊です。誰も命の保証なんてしないし、何度も現地民や他国の船からの襲撃を受けます。船の上の劣悪な環境で病死する人も、何人も出てきます。
とても楽しいことばかりとは言えない冒険です。それでも、なぜ彼らは旅を続けるのか。クック船長は、ある人物にこう説明します。
実際、大航海時代の船員には、犯罪行為等により本国に居られなくなって、一旗あげるため、というよりも、居場所が無くて、生きるために海の上の危険な旅に身を投じた人が多くいました。
ここに出てくる船員たちは、暗い過去を持ちつつ、あるいは、現在進行形で暗い罪を重ねつつ、それでも広大な海を我が物にするという熱病のような夢に取り憑かれています。それはダンピアも決して例外ではありません。
そしてダンピアの場合、そこにもう一つの大切な要素が加わります。それは「知」です。
彼は、学校をやめて船乗りになったものの、知識欲は旺盛で、哲学者フランシス・ベーコンの『ノヴム・オルガヌム』を暗誦できる程でした。
偏見をなくして、経験を重んじて観察することで、自然を体系立てられる。「知は力なり」という格言で有名なこの哲学書は、まさに、当時の最先端の生き方のマニフェストでもありました。
ダンピアのこの言葉は、彼の行動原理をよく表しています。そして、この「知ること」への欲望と好奇心が、何度も彼を窮地から救うことになります。
彼が「奪うこと」ではなく、「知ること」に主体を置いているため、現地人や船員からも信頼を得て助けられます。その中で、大切な人との別れや再会を通して、ダンピアは成長していくのです。
未知の危険な世界だからこそ、好奇心を失って、何かを知ることを止めてしまっては、死に繋がる。
だからこそ、経験から知識を得て、慎重かつ大胆に行動する。人には誠実にして、ほんの少しの幸運を祈りつつ、いつも前に進む。
この作品が素晴らしいのは、17世紀の冒険を丁寧に描くことで、私たちの人生の冒険にも通じる、そうした真理と教訓を描いているからでもあります。
そこには、フィクションであっても、人が確かに生きたという実感があり、だからこそ
私たちの日々の生活に、勇気と力をくれるのでしょう。機会がありましたら、是非、その冒険を体験していただければと思います。
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。
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