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謎めくまどろみ -ジョルジョーネの絵画の魅力


 
 
【月曜日は絵画の日】
 
 
歴史上、天才と呼ばれる存在は沢山います。
 
その斬新さゆえに周囲とあまりに隔絶して影響を与えない天才もいますが、その存在が後に大きな影響を与えるからこそ、天才と言われる所以となるのが殆どです。
 
しかし、イタリア、ルネサンスの画家ジョルジョーネは、確かに後世に影響を与えた天才のはずなのに、様々な事情で、本人の生涯どころか、そもそもどれが本人の作品かすら、よく分からなくなってしまっているという、不思議な存在です。




ジョルジョーネは、1477年、ヴェネツィア近郊生まれ。作風から、ヴェネツィア派の画家ジョヴァンニ・ベリーニの元で修業し、おそらくはヴェネツィアで生涯を過ごしたと推測されています。

 

ジョルジョーネ自画像
アントン・ウルリッヒ公爵美術館蔵


若い頃からその才能を認められ、当時の元首や傭兵隊長といった地位の高い人の肖像を描いていたり、宮殿の装飾画を手掛けていたりする記録があるものの、ほとんど現存していません。
 
ジョルジョーネが強く影響を受けたと言われるレオナルド・ダ・ヴィンチと会見したり、10歳程年下で、同じベリーニの工房出身のティツィアーノと共同制作したりしたと言われていますが、そこら辺も、後世の憶測の域を出ないところです。
 
名声は高まり、同時代に大きな影響を与えたものの、1510年にペストで死去。30代前半での夭逝でした。




ジョルジョーネの作品は、とにかくよく分からないことが多いです。真作の特定すら難しい。
 
その理由としては、まず、早世してしまったこと。同時代の模倣者が多かったこと。

そして、後輩のティツィアーノが、ジョルジョーネの死後、画風を継いで、旺盛に傑作を創りあげ、ヴェネツィア派の最盛期を築いたことがあります。ごっちゃになってしまい、現在ですら真贋を巡って論争になる程です。




彼が手掛けたとはっきりしている作品の中で最高傑作は、『眠るヴィーナス』でしょう。


『眠るヴィーナス』
ドレスデン美術館蔵


理想化された風景(アルカディア)を背景に裸婦が眠るこの絵画。背景のぼやけた感触(スフマート)には、明らかに『モナリザ』等のダ・ヴィンチの影響が見られます(未完だったため、この背景は、ティツィアーノが加筆したと言われています)。
 
何よりも、裸婦の横たわるポーズと、均整の取れたプロポーションの見事な調和。それが、美しい構図となって、画面に収まっています。
 
そして、目を瞑ったヴィーナスの両性具有的な神秘的な表情は、「愛の女神」ヴィーナスというより、聖母のような、敬虔なものをも感じさせます。




ヴェネツィアは海上都市のため湿度が高く、乾くのに時間がかかるフレスコ画が出来ませんでした。

そのため、キャンバスを使った油彩画の導入もスムーズに進み、より細やかな、近代絵画的な表現が可能になりました。『眠るヴィーナス』もその一つです。
 
この絵画が画期的だったことは、後輩ティツィアーノが、全く同じ構図で『ウルビーノのヴィーナス』を描き、更にその絵画を、300年後のエドワール・マネが『オランピア』で引用していることからも分かります。


ティツィアーノ
『ウルビーノのヴィーナス』
ウフィツィ美術館蔵


 
中世の宗教画ではない、横たわる人間そのものを捉えるための、「これしかない」という構図であり、ジョルジョーネは『眠るヴィーナス』一作だけでも、近代絵画の元祖として絵画史に残るに十分値する画家でしょう。同時代の画家が夢中になったのも分かります。


マネ『オランピア』
オルセー美術館蔵




それにしても興味深いのは、真筆と分かっている彼の代表作は、どこか夢想的で、謎めいた雰囲気があることです。
 
例えば、『ユディト』は、聖書に出てくる苛烈な聖女を描いたものです。国を救うため、攻め込んだ敵の大将のホロフェルネスを酒宴で酔わせて、首を切り落とすという話が、多くの画家の題材になっています。


『ユディト』
エルミタージュ美術館蔵



嫌悪感露わなカラヴァッジョの絵画や、恍惚とした表情のクリムトの絵画とは全く違い、ジョルジョーネのユディトは、やはり目を閉じ、どこか聖母のような瞑想的な表情です。

それが男の生首を踏みつけているインパクトと混ざり、奇妙な静けさを感じさせます。


カラヴァッジョ
『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』
ローマ国立絵画館蔵




あるいは、大作『嵐』は、古来よりその解釈が議論になっています。

 

『嵐』
ヴェネツィア・アカデミア美術館蔵


雷が露わな嵐の見事な風景の前景に、母子と、リアルな兵士の姿。おそらく、聖母子の表現から派生したものでしょうが、祭壇画でも風景画とも言い難い。兵士がいる意味もかなり曖昧な、それ故に、意味や物語が宙吊りにされる、不思議な魅力の絵画です。




こうした静謐さが、彼の資質ではあるのでしょう。しかし、同時に、こうした絵画が彼の作品として遺ったことは、もしかすると、ある種の時代の必然ではなかったのではないか、と妄想することがあります。
 
つまり、ティツィアーノも含め、その後のヴェネツィア派の絵画でここまで曖昧で、夢想的で、意味が宙に浮いたような絵画は、おそらく多くない。
 
ジョルジョーネを受け継いだ人たちが、彼の曖昧な部分をあまり受け継いだり模倣したりすることがなく、それゆえに、夢想的な作品が浮かび上がるようにして、ジョルジョーネの真作として残っていったのではないか。




勿論、これはただの妄想です。しかし、誰もが認めるジョルジョーネの後継者で、ヴェネツィア派最高の画家ティツィアーノの女性像の多くは、しっかりと目を開いています。『ウルビーノのヴィーナス』の、挑発的に艶やかにこちらを見つめる裸婦像はその格好の例です。

 

ティツィアーノ『ダナエ』
プラド美術館蔵


そこに何か、ルネサンスから近代に向かう、ある種の勢いのようなものをも感じます。『ウルビーノのヴィーナス』は、ジョルジョーネと違って、明らかに高級娼婦だと示しており、『オランピア』の、19世紀パリの高級娼婦まで続く、近代の人間の諸相を描く絵の端緒となっています。




ジョルジョーネと、ティツィアーノと、マネ。三つの横たわる裸婦画を並べると、長閑な田園風景がメタリックに塗装されて、近代の光景に変わっていく工事音が聞こえてくるかのようです。
 
ジョルジョーネの絵画は、そんな騒がしく活気に満ちた近代に向かう直前で取り残され、中世の静けさとルネサンスの光の中でまどろんでいるような雰囲気があります。
 
こうした夢想を誘う、謎めいた美しさが、今の21世紀に観る時の、彼の絵画の魅力のように思えるのです。




それにしても、ジョルジョーネと対照的に、ティツィアーノは、工房を開いて実力者として大量の作品を遺し、なんと88歳まで生きています。

安定した肖像画や、ドラマがしっかり構築された神話画は、後世の画家の第一の規範になっています。

 

ティツィアーノ自画像
プラド美術館蔵


改めて、「いつ亡くなるか」も含めて、その人が残した作品の要素の一つであるのだと感じます。
 
勿論、それは長生きすることが良いという意味ではなく、芸術でもエンタメでも、作品というものは、人間そのものや歴史と結びついて、後世に伝わっていくということなのでしょう。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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