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風に溶ける幻想 -シベリウス『交響曲第五番』の美しさ


 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
 
面白い作品、傑作というのは、必ずしも安定した状況で創れるから生まれるとは、限りません。
 
フィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスの交響曲第五番は、様々な意味で不安定な状況で創られたにもかかわらず、美しい清涼感と斬新さが同居する傑作です。
 
シベリウスですと、交響曲第二番や交響詩『フィンランディア』が人気で、私も大好きですが、私はこの第五番を偏愛しています。





第一楽章は、雄大なホルンの旋律に木管が鳥の啼き声のように絡んで始まります。
 
弦楽器が入ってきて、時折暗い楽想、盛り上げるようなトレモロも入りますが、ほろほろと啼く木管の声が主導するかのように、進んでいきます。
 
段々と音楽が色づき、さえずりも速度を増します。スケルツォ的な諧謔も混じりつつ、滑らかに盛り上がって切れる様は爽快です。




第二楽章は、まどろむような木管から始まり、舞曲のかけらのような美しい弦のオブリガードが、現れては消えていきます。
 
ワーグナーやブルックナーだったら、圧倒的な陶酔に誘いそうなところが、そうならない。他の作品もそうですが、悲劇的に染まらず、トーンを清浄に、一定に保つそのバランス感覚は改めて見事です。




第三楽章は胸騒ぎがするような弦の合奏から始まり、美しいホルンの、鐘のような、あるいはモールス信号のような、不思議な旋律が絡み、ゆったりと音楽が広がっていきます。
 
その広がりを金管よりも弦の合奏が主導しているのが、どこか柔らかい響きを生み出しているように思えます。
 
そして、ラストの、あの「六連打」。私がこの作品が好きなのは、この不思議に印象的なフィナーレがあるからなのは、間違いありません。
 
物凄い盛り上がりを少し抑制しつつ、どこかユーモアも込められ、それでいて神々しさが全く失われない、面白いラスト。
 
音楽評論家の岡田暁生氏が、片山杜秀氏との対談『ごまかさないクラシック』の中で、第五番を「全楽合奏のドミソで「ジャン!」できちんと終わって、しかし聴き手を恥ずかしい気持ちにさせない、20世紀唯一の交響曲」と評していますが、全く同感です。





ジャン・シベリウスは、1865年、フィンランド生まれ。首都ヘルシンキの音楽院で学び、1889年、ベルリンに留学しています。

 

ジャン・シベリウス


ベルリンでは、リヒャルト・シュトラウスの演奏に触れたり、ゴルトマルクに師事したりと、基本的にはドイツ圏の音楽に影響を受けています。
 
祖国に戻ると、1891年に『クレルヴォ交響曲』、1899年に『フィンランディア』を発表。これによって、名声は決定的なものになります。
 
1897年からは、フィンランド政府から年金を支給され、後に生涯年金となりました。
 
ただ、シベリウスの生涯と作品をコンパクトにまとめた素晴らしい『シベリウス』(神部智著、音楽之友社)によると、それでも贅沢な暮らしによって、晩年まで借金漬けだったという面白い人でもあります。精神的な安定は勿論あったことでしょう。
 
交響曲第五番は、1915年、シベリウス50歳の誕生日の記念行事に初演された作品です。





既にフィンランドで国民的な作曲家の地位を築いていたシベリウスですが、この作品は難産の賜物でした。
 
難解な傑作、交響曲第四番で、全てを出し尽くしたうえ、無理解に悩まされてスランプになり、アメリカへの演奏旅行等でようやく恢復してきた折、1914年に第一次大戦が勃発。
 
勿論、祖国の安定を願うべきではあるのですが、当時ロシアの支配下にあったフィンランドは、ドイツと敵対する関係になり、ドイツに留学して、ドイツの出版社とも契約していたシベリウスにとっては、まずは借金返済のための、年収の確保の方が大問題でした。
 
この時期の作品に小品が多いのは、アマチュア音楽家の需要のため、お金になりやすいという事情があったからとのこと。
 
とはいえ、週に一度のペースで曲を作っていると、色々着想が湧いて、新しい大作の構想と意欲が生まれてきます。私も毎日書いているので、その感覚は分かります。交響曲第五番と六番がこうして並行して作曲されていきます。





50歳の記念コンサートのために、プレッシャーから酒、たばこ、睡眠薬の常用で何とか交響曲第五番を作成して初演にこぎつけたものの、出版には改修が必要と判断します。
 
元々は四楽章形式だったものの、現行の三楽章に改める、ほぼ書き直しのような作業でした(初演版も幸い楽譜が残され、演奏も聞くことができます)。その作業は遅々として進まず。
 
折しも1917年、ロシア革命が勃発してロシア・ロマノフ王朝が崩壊。フィンランドは念願の独立を果たします。
 
しかし、その独立に伴い、左派と右派で武力衝突が起こり、市民を巻き込んだ内戦状態に。そして長年の親友だったカルペランを1919年に病気で失っています。
 
すさまじい外部の混乱と緊張状態の中で改訂された、現行の第五番改訂版は、ようやく1919年に発表されました。




シベリウスは、音楽史的には、北欧・東欧諸国の独立の機運とナショナリズムの高まりを背景に、祖国の民族的な音楽をアレンジした「国民楽派」の一人です。



 
ただ、ボヘミア(チェコ)やロシアの、あくの強い民謡的な旋律を伴ったドヴォルザークや、ロシアの国民楽派の音楽が、哀愁の強烈なスパイスの効いた、どろっとしたごった煮の鍋料理だとすると、北欧のシベリウスは、あまりそういったあくの強さがない。

具材を溶かしきって上澄みだけを掬った、澄んだコンソメスープのような味わいです。
 
グリーグ等、他の北欧諸国の国民楽派も、あまり大げさな民謡を使わないことを考えるとこうしたバルト海地域の北欧の特徴なのかもしれません。
 
その中でも、シベリウスは、ドイツ留学の過去もあり、一番構築的なもの、派手な「鳴らし」を感じさせます。先の『シベリウス』には、マーラーと対談した時のことが記されています。


シベリウスが「交響曲においては、すべての動機を内的に連関させるスタイルの厳格さ、深遠な論理が重要である」と主張すると、マーラーはそれを真っ向から否定し、「いや違う。交響曲は一つの世界のようなものである。そこにはすべてが含まれていなければいけないのだ」という旨の会話をしている。


私はマーラーの分裂した音楽世界より、断然「厳格なスタイルと深遠な論理」のシベリウス派です。

ただ、その初期の旋律が「聞かせどころ」でバッハからワーグナーまで続く、ドイツコラールの法悦の響きに近いのが面白いところ。

『フィンランディア』の、後に合唱になる哀愁の旋律に、オケの盛り上がりが組み合わさるのはその典型です。




そうした分かりやすい派手さは、徐々になくなっていきます。
 
第一次大戦後の交響曲第六番や七番は、秘教的な響きを持ち、驚くべき静謐さに満ちています。まるで澄んだ北欧の風の中に、ドイツ的な音楽が溶け、「深遠な論理」と自然の風景だけが残ったかのような。


アクセリ・ガッレン・カッレラ『ケイテレ湖』
国立西洋美術館蔵
1906年に描かれた、
フィンランドの画家による風景画


交響曲第五番は、そのように全てが溶ける寸前、国民を高揚させる旋律が、エーテル状になって浮かんで消える美しさがあります。
 
あのラストの六連打も、民族の団結でなく、或いは黙示録の到来でもなく、ただ鳴らされて、静寂の中に消えていく。その謎めいた意味は、聴く人それぞれに委ねられているのでしょう。
 
祖国やシベリウス個人の苦しみによって紆余曲折を経ながら、そうした人間の世界の混乱と幻想が、構築された音の世界の中で透かし模様のように浮かび上がる美しさ。そんな幻想と、風のような軽さを持つゆえに、私はこの作品が好きなのです。




シベリウスのこの曲の演奏で好きなのは、サカリ・オラモがバーミンガム市交響楽団を指揮した、2003年のエラート盤です。



 
とにかく澄んだ、何の力みもない演奏で、派手さがないゆえに、シベリウスの美しさが浮かび上がります。「六連打」も、タメや余計な意味を込めず、この演奏が個人的にいちばんしっくりきます。
 
この指揮者は、他の作曲家だと薄味すぎて大丈夫かと思うこともありますが、シベリウスの場合は、ぴったり合っている気がします。同じフィンランド生まれなのは偶然ではないでしょう。
 
それぞれの風土の特徴を持ちつつも、構築する意志によって、独自の味わいを見せる国民楽派の音楽は、まだまだ汲み尽くされていないし、様々な味わいがあります。

是非、その世界を何度も発見していただければと思います。
 



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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