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安息の暗闇の中で -レナード・コーエンの詩と音楽の美しさ
私にとって最愛の詩人、シンガー・ソングライターの一人に、レナード・コーエンがいます。
暗い個人的な欲望の呟きと、聖歌のような清浄さを併せ持った、夜闇のような音楽と詩を作る、他には得難いソングライターです。
レナード・コーエンは、1934年、カナダのモントリオール生まれ。10代の頃から詩を創り、大学に入って雑誌に発表したりします。
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イギリスやギリシャを旅行し、小説や詩集を次々に発表。いくつか賞をとるもののこの頃はまだカナダのローカルな存在でした。
詩の朗読や、メロディをつけた、シンガー・ソングライター的な作品も創り続けると、コロンビア・レコードのプロデューサー、ジョン・ハモンドに認められ、1967年にアルバム『レナード・コーエンの唄』でデビュー。
ハモンドはビリー・ホリデイ、ボブ・ディラン、後にはブルース・スプリングスティーンまで、ジャンルを超えた優れた音楽家を見出す名伯楽であり、確かにコーエンは破格の存在ではありました。
既に33歳になっており、どちらかといえば作家的なスタンスですが、柔らかいメロディを創れる才能と、抑えられた呟きのような歌声は、シャンソン的でもあり、単純なフォークとは言い難い艶と暗い夢想に満ちています。
コーエンの歌詞は、女性への崇拝の思いを歌った謎めいた詞と、愛慾を歌った闇の中の溜息のような部分が同居しています。
あなたは知っている
彼女を信頼してもいいと
なぜなら彼女の心が
あなたの美しい身体にふれたのだから
あなたは手紙で今でも私と共にいると言う
ではなぜ私はこんなに孤独なのだろう
私は岩礁に立ち、あなたの細いクモの巣は
私の足首を石に縛りつけようとしている
私が好きな3枚目のアルバム『愛と憎しみの歌』では闇が凄まじく膨らみ、とぎれとぎれの真夜中の呟きのようになっていきます。
ただ興味深いのは、彼は結構音楽性を変える、決して詩作のみの人ではないということです。
1977年の『ある女たらしの死』では、様々な意味で伝説的な50年代のプロデューサー、フィル・スペクターを迎え、「ウォール・オブ・サウンド」という巨大な響きに満ちた彼の音楽の中で溺れるかのような、異色の曲集を作りました。
1984年のアルバム『ヴァリアス・ポジションズ』は、80年代最新のシンセやドラム、リヴァーブを取り入れたアルバム。様々なアーティストにカバーされた『ハレルヤ』も入っています。その傾向は次の『アイム・ユア・マン』、その次の『フューチャー』まで続き、バキバキのシンセサウンドが、全編支配するようになります。
たとえ歌が通じなくとも
私は神の前に立ち
自分自身のハレルヤを歌おう
80年代は、サウンドプロダクションがポップかつ巨大になり、60年代のフォーク・ミュージシャンは、一様に苦戦を強いられました。ディラン、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤングは、明らかに資質に合わない派手な響きを纏った作品をいくつか作っています。
ただコーエンの場合、そのサウンドが歌から浮いているかと言うと、そうでもないのが、面白い。
それは、彼の歌自体が、サウンドに左右されない位強固なものだったからに思えます。
初期に比べて信じ難いほど低くなった嗄れ声で、一定のテンポの粘っこい呟きまみれの歌のため、硬質かつどこか浮遊するようなチープなサウンドが上に乗ると、全体としてクールに聞こえてきます。
以前書いたように、ディランがサウンドの相乗効果によって言葉を輝かせ、ゲンズブールがサウンドの強力なリズムに身を任せて、歌詞を投げ捨てるように次々と吐き捨てるのに比較すると、コーエンは、歌声と歌詞のダークさをサウンドが中和して彩り、聞きやすくするための緩衝材のように使っている感じがあります。
歌詞の世界も、段々と終末色が強くなり、性の欲望も爛れてくる。闇が濃くなるゆえに、求める光もまた強くなり、「泥にまみれた聖歌」のような感触になってきます。
恋の痛手は治せない
ロケット船が空を飛び
聖なる書物は開かれ
博士たちは日夜働くが
恋の痛手は治せない
誰もが知っている
ペストが近づき
そのスピードを上げてきていることを
誰もが知っている
裸の男と女は
単なる過去の輝ける遺物であることを
私はセンチメンタルな男
おわかりでしょう
私はこの国を愛しているけど
現状には耐えられない
私は右でも左でもない
今夜はどこにも行かずに
あの絶望的な小さな画面を眺めよう
でも私はごみ袋のように頑固で
時に抗っている
私はつまらない人間だけど
今でもこの小さな野生のブーケを掲げている
民主主義がやってくる
アメリカに
その後、ゼロ年代からは、サウンドプロダクションが大幅に整理されます。
歌手のシャロン・ロビンソンをコラボレーターに迎え、女性コーラスに、アコースティックな楽器と、しなやかなシンセやオルガンを交えた最小限のコンボで、攻撃的なサウンドがふくよかな響きに変わる。優美且つ、ぎっしりとパワーのつまった音楽となりました。
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2004年のアルバム『ディア・ヘザー』は、ロマン派の詩人バイロンの代表作にメロディを付けた曲から始まり、『テネシー・ワルツ』の典雅な響きで終わる、夜更けから早朝までの愛の囁きと瞑想が混じる大傑作です。
そして、特にライブ盤では、過去の曲が洗い直され、決定版とも言える澄んだ響きと歌唱になりました。お薦めは2009年の『ライブ・イン・ロンドン』で、ユーモア溢れるMCも楽しい名演奏。
遺作は2016年の『ユー・ウォント・イット・ダーカー』。男声コーラスが聖歌のように響き、綿連とヴァイオリンが歌う中、82歳のコーエンによって、最早絶望を超えた、男と女の黙示録の世界が呟かれます。
あなたがディーラーなら
私はゲームを外されている
あなたが癒す者なら私は壊れている
あなたが栄光なら私は恥辱
あなたはもっと暗くしたいんだね
最後の灯を消そう
主よ
準備は出来ている
コーエンの歌の世界は、暗黒の世界ではあります。しかし、そこには欲望を燃やして浄化するような、静かな呟きと響き、そして相手(多くは女性)への優しさが溶け合った響きがあります。
恐らくそうした響きがあるから、黙示録的な絶望に浸されているのに、何度も聞けて、安らぎをも感じる。闇の深さを知る者こそが、光の美しさを知る如く、闇の中に潜り込んだからこそ掴める静けさがあるのでしょう。
それが、コーエンの歌の魅力であり、名曲『バード・オン・ワイアー』に歌われるように、私たちの生きる意味にも関わってくることなのでしょう。是非その歌の世界の魅力を体験いただければと思います。
電線の上の一羽の小鳥のように
酔っぱらった真夜中の聖歌隊のように
私は私のやり方で
自由になろうとしたんだ
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。
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