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犠牲の海

数多の犠牲を、新たなる命に変えるために。

外的世界の犠牲の他にも、内的世界において、日々無数の犠牲を伴って、私たちは生きている。
一瞬一瞬よぎる思考、印象、感覚、細胞の隅々に至るまで、あらゆるものを犠牲にし、作り替えて生きている。何かの意味意義を見出そうとするために。

その無数の犠牲とまともに向き合うと気が狂う。それを、自分が信じるものを通して冷静に観察する必要がある。私がここにいるために、どれだけ多くの命たちが支えてくれていたことだろう。

言葉の一言一言。一挙手一投足。
阿頼耶識に蓄えられた、無数の種たち。それらは発芽し、花を咲かせる。自分で選んでいるようで、さまざまな過去の遺産から選ばされていることに気づくこともある。
私の言葉は、私の言葉なのか。

今この瞬間にも、毛細血管が表に現れたように、感受性がダメージを受け、犠牲になっていく。翻弄されて、道を見失う。
それをなんとか、自分で選んだ認識に置き換えて、心の深い部分につなげていく。それらはやがて「印象」に変わり、創作の源泉に浸ったあとに、線や色として浮かび上がり、紙に描かれていく。

その過程において、幾たびも邪に遮られる。無知により、今ここに、生まれたものしか認知できない。それまでの多くの繋がりを見失う。
それらがその1つも欠けていたら、この絵は絶対に生まれないのに。

犠牲を受け入れる。
何億という細胞の犠牲を。

その犠牲に目を向けて、背景を観る。過去を、未来を感じていく。そして、新しい、純粋で善なる命として継続させていく。それには絶え間ない努力と忍耐と意志力がいる。

私もやがて犠牲一つとなり、大きな循環の中で、透明で変幻自在なものとして生まれ続け、消え続ける。

宮沢賢治がこう言った。
「わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です」と。
永遠に点滅し続ける。

犠牲を嘆かない。
慈愛を持って受け入れ、そして作り替える。

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