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言葉と幸福
「なんにも話さないね」
彼女が言う。
「そっちこそ」
そっけなく僕が言う。彼女はそれに対して何も言わなかったし、不満に思ってはいないようだった。
僕らには今、話すべき言葉など何もなかった。言葉で伝える必要のあるものは、何もなかったのだ。
それからもしばらくの間、二人は同じ姿勢でベッドの上で裸で抱き合っていた。普段とてもよく喋る彼女が、さきほど“なんにも話さないね”と言ったきり、何も言わない。
だからてっきり寝ているのかと思い、僕は腕の中にある彼女の顔を覗き込んだ。彼女は上目遣いで「なに?」と、口には出さずにそう言った。そう言ったと、感じた。
彼女の目はしっかり開かれ、眠くもなさそうだった。僕も同じだ。横になっているけど、眠いわけではない。
昨夜は遅くまで起きていた。会うのは久しぶりだったからこそ、長い時間をかけた。長い時間をかけたいと思った。
指先も、爪の先から、関節、柔らかい手のひら、硬い手の甲を、ゆっくりと撫でた。手首、腕、肘、そして二の腕の辺りに僕の手が届くまで、かなりの時間をかけた。
同じように、足の指から、脛、膝、太腿と、時間をかけて触れていく。まるで精密機器の完璧な設計の中に、あるはずもない微細な欠陥を点検するように、ストッキングの上から、彼女に触れた。
僕は自分の掌と指先に全神経を集中させる。彼女の肌の質感を、その湿度を、その温度を、微塵にも逃したくなかった。
指が這い進むたびに見せる彼女の新たな反応に臨機応変に対応させながら、自分の呼吸の音さえも立てないように細心の注意をはらい、彼女の体の末端から中心部へと、ゆっくりと迫っていった。
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