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木工用ボンドで描く画家_冨永ボンド

【プロフィール】

世界で唯一、木工用ボンドを使って描く画家でお馴染みの冨永ボンド。
福岡デザイン専門学校を卒業後、独自の思考でアーティストの道を切り開いた第一人者。創作テーマは「つなぐ、つくる」。絵画のライブ創作を通して、自由に絵を描くことの楽しみをより多くの人へ伝え、日本社会の日常に心と生活の豊かさを創ることが作家活動の目的としている。今やテレビや新聞、ラジオでも多数活躍。

【How I am here】

僕の視覚表現活動は、1枚のクラブイベントのフライヤーのデザインから始まりました。

忘れもしない。2003年大晦日、佐賀県武雄市にある老舗のクラブ「GET FUNK」。2003年から2004年に変わる、年越しのクラブパーティーのグラフィックデザインです。自分の作ったデザインが会場の入り口に並べて貼られてるの観て、めちゃくちゃ嬉しくて、自慢げに会場に入ったのを今でも鮮明に覚えています。2004年になった瞬間、一曲目にかかった曲は、K DUB SHINEさんでした。

それからはクラブに通い、カッコいいデザインのフライヤーを大量に収集し、デザインの仕事を貰ってきては、昼の仕事から帰ってきて徹夜でパソコンと向かい合い、フライヤーやCDジャケットなどのグラフィックデザインをただ只管作り続けました。

月に20~30個作品は作っていたと思います。
この頃は本当に、寝てなかった。楽しかったから。

コラージュデザインが得意だった僕は、コラージュ(糊付け)から取って付けた屋号「ボンドグラフィックス」を名乗り始めます。先輩たちに「ださい、ださい、ださい」と言われ続けやり直しの日々。たくさんのカッコいいデザインをサンプリングし、提出してはやり直しの日々。少しずつでしたが、デザインスキルが向上していくにつれ、徐々に徐々に、BOND GRAPHICSの名前が浸透。全国DJコミュニティー、SUPA GOOD DJs(現在のDJ CITY JAPAN)の専属デザイナーとして抜擢されるまでになりました。県外にもよく遊びに行ってた。楽しかった。何よりも、自分の制作物が認められることが。(僕が作ったグラフィックデザインの殆どには、Design by BOND GRAPHICSの表記が入っています)

デザイン会社を作りたくて、24歳の頃、会社を辞めてフリーランスに。

しかし、単価の低い案件を数多くこなし続けることは金銭的にも精神的にも不安定で、1年で会社にトンボ返り。これではだめだ、何とかして大きな案件、ビックアーティストのデザインを手掛けられるようにならなくては!と思うようになりました。大物に営業するための肩書きが地方のグラフィックデザイナーではダメだと気付いたのです。

そこで、

東京や大阪から福岡にゲストでやって来るビッグネームのミュージシャンと話すきっかけを得るため、一体どうしたら良いのか、考えた結果、デザイナーよりもアーティストの方が話して貰えやすいだろう、よし!

「イベントに出演しよう!」

と決意。しかし、DJもラップもダンスも出来ない。音楽にもそこまで詳しくない。現場ではただの酔っ払いピーポーの自分に何が出来るのか。悩みました。
この頃の僕が持っていたものと言えば、DTPスキルと、独自の色彩センス&コラージュの構成力のみ。絵は一度も描いたことが無かったし、デッサンとかやったことないし、画材のこととかわかんないし、そもそも絵が下手くそやし、うーどうしよう。よし!

「人と少し違ったことをしてみよう!」
「意外性のある画材で絵を描いてみよう!」
「ライブで絵を描いてみよう!」

やったことが無いことに対して不安はなく、とりあえずやってみてダメだったら辞めたらいいかくらいの"ノリ"で始めたのがライブペインター「冨永ボンド」です。

なぜ、ボンドだったのか。

それは、前述しておりますが、この時既にデザイナーとしての屋号がボンドグラフィックスだったから。名前のボンドを取り、ボンドで絵を描くことを決意したのです。

しかし、この決意から2年、ライブペイントをすることはありませんでした。

思い立っただけ。2年間を無駄しました。何をしてたんだろう。2年間。やったことが無いことに対して、ハードルが高いなって思ってたのは覚えてるけど、おそらくグラフィックデザインの案件に追われていたんだと思います。この時、有言実行即行動、仕事は追われるより追え、そんなことを心に刻みました。

そして、いよいよ初めてボンドで絵を描く日がやってきます。

「 2009年8月1日 @親不孝通club MARZ 」

600mm x 900mmの板をイーゼルに立て、会場外のロッカーとロッカーの間の狭いスペースでライブペイントをしました。
めちゃくちゃ緊張して描いたのを覚えています。そしてめちゃくちゃ酔っぱらったのも覚えています。記念すべき処女作は、九州最強前説系アーティスト「星屑ロンリネス」のDJ 4to-keyさんが額装して大事に持ってくださっています。

アーティスト「冨永ボンド」をセルフプロデュースする
グラフィックデザイナー「ボンドグラフィックス」

この形が誕生した瞬間でした。


以上です。

『木工用ボンドで描く画家 冨永ボンド Official Website』
「2020年ありがとうございました! - 冨永ボンド」より引用
(ご本人より掲載許可をいただいております。)

【ご本人から皆様へのメッセージ】

実際、美大や芸大を卒業して「画家」になっている人は、今の時代ごくわずか。ただ、画家をはじめアーティストで食べていくことはそこまで難しくないと思う。
アーティストとして活躍するためには、
ミュージシャンの活躍の仕方を真似るといいと思う。
ミュージシャンは会場を借りて、イベントを開き、人を集客して、チケットを売って、そこで収益を得る。さらにチェキやグッズなどを売ればさらに収益を出せる。
これをアーティストになりたい人も真似して
ライブペイントなどを開いてみたら案外簡単に収益を得ることができると思う。自分もそうだったから。
ただここで「お金のためにアートを作る人」にはなってほしくない。
「10代だから描けること」、「20代だから描けること」が絶対あると思うから作品を作る時はそこを忘れないでほしい。

冨永ボンド

【👀 冨永ボンドさんについて詳しく知りたい方はこちらへ 👀】

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〜最後に:運営局より〜

冨永ボンドさんは1年前にInstagramのDMで「話したいです!」と伝えたら快くお話しをさせてくださったのがきっかけで繋がりました!当時自分は学生でしたが親身になって色々お話しを聞かせてくださったのがとても印象的でした。「なぜボンドで絵を描くのか」「なぜこのように何ももっていない学生と話してくれるのか」など気になることを色々聞いたことを覚えています。冨永ボンドさんは誰に対しても平等で優しく接してくださり、本当に心の広い方だなとこの記事を書いている時も終始感じていました。冨永ボンドさんご自身が「芸大や美大出身ではないが絵描きとして活躍する道」を歩んでいるため、ボンドさんの歩んできた道やそれまでの想いや葛藤などを少しでも多くの方に伝えたいとずっと思っていました。だからこそ「アート系の記事を書こう!」と思った時に一番最初は絶対にボンドさんに出てもらおうと思っていました。そして、今日、無事にこの第一回の記事を作成することができてとても嬉しいです。より多くの方にこの記事が届いたら嬉しいです!!ぜひ拡散のご協力よろしくお願いします!!

アーティスト発信所_運営局より


※この記事にある写真や引用に関してご本人の許可をいただいております。

以上になります。



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