アートと生きた、女性の戦士たち。ミラノ編 n.4。 服役 。
フェルナンダと刑務所。
フェルナンダはその場で拘束される。警察はアパートを隅々まで家宅捜査するが、家族に伝わる古い家具の隠し扉に慎重に隠していた、偽造パスポートを作成する機械や、専用の白紙などは発見されなかった。
一方、アデレ・カッペッリ・ヴェーニの別荘からは、証拠となるものがすべて見つかり、トレソルディー姉妹は逃亡前のユダヤ家族を匿っていたところを捕まってしまった。
さらに、証人までいる。あの、ドイツ出身のユダヤ少年だ。彼が囮となり、フェルナンダをはじめとする、4人の女性の活動をすべて警察に話していた。
アデレ・カッペッリ・ヴェーニの別荘はコモ市にあり、四人全員がコモの劣悪な留置場に収容され尋問が繰り返される。拷問の厳しさと、それに伴う健康状態の悪化を、医師であるアデレ・カッペッリ・ヴェーニが、勇敢にも告発し、弁護士を通して、ミラノにあるサンヴィットーレ刑務所の拘置所に移送させられる。
サンヴィットーレ拘置所に到着し、それぞれが告げられた雑居房に向かうと、4人が鉢合わせする。4人全員が同じ雑居房に収容されたらしい。
「まるでヴァカンスみたい!」
「なんて素敵なのかしら!」
嬉々として喜ぶ囚人達であった。
当然ながら、フェルナンダのブレラ美術館の館長の座は取り消される。
ブレラの女館長、女医のアデレ、姉妹二人。ミラノの街角では、4人の女性の話題で持ちきりだったろう。それを証明するように、裁判が行われる日、女性が傍聴するのを禁じられる。
彼女達を擁護する女性達が押し寄せ、パニックになることを予想したためだ。代わりに多くの警察官が動員された。
そんな特殊な雰囲気のなか、裁判は開始される。
4人は否認することを拒否し、自分の行ったことを事実として承認する。
裁判の結果、医者のアデレは懲役6年、フェルナンダは懲役4年、トレソルディ姉妹には懲役3年が言い渡された。
フェルナンダの手紙。
フェルナンダは心配する家族に宛てて手紙を綴っている。
見つかったらブレラ美術館の館長の座を剥奪されのは当然で、さらに重刑を負わされるかもしれないと、頭をよぎることもあったであろう。
それなのに、自分の地位を犠牲にしてまでも信念を貫き、刑務所での生活を凛として受け止める、自分の人生に責任を取る潔さが感じられ、彼女の性格が見て取れるようである。
刑務所では、読書や考える時間がたっぷりあり、想像してたよりは悪くない。ときには、服役中の女性達の悩みを聞き、励ますこともあった。
半数以下とはいえ、多くの女性達は、出所しても帰る家はなく、仕事に就くこともできず、路上の生活を余儀なくされ、食べものも手に入らない。哀れみを感じずにはいられなかった。
医者のアデレと何度もこのことを話し合い、出所したらすぐに、釈放後の彼女達を救助する福祉活動を立ち上げることにした。
フェルナンダは、心配性の母親にはユダヤ人の逃亡を援助していることを話していなかった。コモで逮捕されたときも、ヴェネツィアにモザイクの修復に行っていて留守にしていると伝えていたのだ。だが、いまとなっては、本当のことを話すしかない。
そこで、母親に宛てた1通の手紙。彼女の崇高で気高い精神性を感じる内容になっている。少し長いが、ここに引用する。
お母様は、わたしが良心の痛みから、もしくは哀れみから、危険を顧みずにユダヤ人を助けたとお思いだとしたら、それは間違いです。これがわたしの生き方です。
長いものに巻かれ、傍観者としてなにもしない人達を一刀両断する、なんとも切れ味の良い文章。
意思の強さや純粋な勇気を持っている彼女は、何者でもなく、フェルナンダ・ヴィットゲンスである。
服役中には、ロンバルディア出身の1430年のアーティスト「ヴィンチェンツォ・フォッパ」についての論文も執筆している。もちろん、参照する文献は手元になく、すべて彼女の頭の中にある知識のみで書いている。
書くための紙とペンは、手紙の交換や、生活に必要なものを届けてくれた従兄弟のジャンニ・マッティオーリや、刑務所に出入りする尼僧や左官業の人達に、手元に置いていた私物と交換して入手していた。
出所。
年が明けて1945年。フェルナンダの家族が「娘が重い肺の病気に罹っているようなので、すぐに出所させ病院へ搬送するように」と医師に偽の診断書を書いてもらい、それが受け入れられ4月24日に出所する。
その翌日、1945年4月25日は解放記念日。ミラノも解放され、フェルナンダも法的に服役から解放される。
フェルナンダに与えられた次の使命は、破壊されたミラノの街を建て直すことだった。
次回につづく。
前回まで連載していた「解放されたアートと勇士たち。」の続編「女性の戦士たち」をお届けしています。
もとは、こちらの展示会に足を運んだのがきっかけです。まさか、自分でもこんなに長く書き続けるとは思ってもみませんでした。
ミラノでも残念ながら知っている人が少ない彼女の存在ですが、2023年1月にイタリアのテレビ局Raiでフェルナンダ・ヴィットゲンスの物語が放映され、ようやく、彼女の一端が知られることになりました。イタリア在住の方でご覧になられた方もいるでしょう。
創作大賞にも応募しています。ぜひ応援をお願いします。
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
参考資料:
"Sono Fernanda Wittgens" una vita per Brera di Giovanna GinexBiblioteca d'Arte Skia出版
https://pinacotecabrera.org/
https://riviste.unimi.it/index.php/concorso/article/view/5108/5167
https://www.elle.com/it/magazine/storie-di-donne/a22513576/fernanda-wittgens-biografia/
音声&映像の参考資料
https://www.youtube.com/watch?v=A5Tjq8XgiMM
https://it.gariwo.net/storie-di-giusti-24456.html#wittgens
https://www.raiplaysound.it/audio/2023/03/Il-pescatore-di-perle-del-25032023-a7a6618f-a6fb-4404-9825-81f31b25264c.html
https://www.youtube.com/@UnioneFemminileNazionale/search?query=fernanda
https://www.youtube.com/watch?v=u9DwfvCvGHQ