アートと生きた、女性の戦士たち。ローマ編 n.1。 パルマ・ブカレッリ。
ローマ国立近代美術館
結構前になるが、古代エトルリア時代の宝物を展示しているヴィラ・ジュリア国立博物館を訪れたことがある。紀元前にこんなにも美しい美術品を作っていたなんて。と、感嘆の声をもらしながら魅入り、珠玉の時間を過ごしてきた。
満足して博物館を後にすると、隣にこれまた大きな建物が見える。バスを待っているところで大雨が降ってきたので、この大きな建物に駆け込んだ。
この建物は、ローマ国立近代美術館。いまでこそ、近代美術や現代美術を展示する美術館がイタリア各地にあるが、イタリアで初めて国立で作られたのが、このローマ国立近代美術館である。
申し訳ないが、そのときは雨宿りの「ついでに」足を踏み入れた。中に入ると、天井が高く、部屋もいくつもあり、広さに驚き、そのコレクションにも驚いた。
モネ、ゴッホ、セザンヌ、モディリアーニ、etc..
絵画、彫刻、デッサン、インスタレーション、オブジェ、写真、など、1800年代からのコレクションが集められており、総数約2万点。
そのときは、この大きな美術館の館長に女性が就任していて、彼女が現在のコレクションの収集に大きな役割を担っていたなど、知る由もなかった。
パルマ・ブカレッリ。1900年代に館長として活躍し、戦後にイタリアで一番最初に美術館を再開させた人物。
ブカレッリ館長は、当時のさまざまな現代美術を呼び寄せ、あまりにもアヴァンギャルドな展示で、役職を解任させられる危機にも陥いるが、どこ吹く風。「サングエフレッド=冷たい血」と揶揄された、美しい女性パルマ・ブカレッリ。
前回までの主人公フェルナンダ・ヴィットゲンスはミラノが本拠地のため、お役所仕事の遅さや資金申請のために、ローマまで赴かなければならなかった。
一方、パルマ・ブカレッリは、父親の仕事の関係でローマへ移ってからは、ずっとローマで育った、いわゆるローマっこ。
ローマのサピエンツァ大学アルド・ヴェントゥーリの元で学んだ同門には、解放されたアートと勇士たち。で登場した、ジュリオ・カルロ・アルガンや、エミリオ・ラヴァンニーノもいる。
彼女にとって、同門であり、同級であったジュリオ・カルロ・アルガンの存在は大きい。彼は歴史評論家であり、政治家でもあったので、政治的な面からもパルマを支援した。これが、ブレラ美術館ヴィットゲン館長とは異なるところで、パルマ自身も、ローマで自分がどう立ち回るべきかを良く知っていたであろう。
大学時代に、大学講師と恋に落ち、そのあと、政治ジャーナリストに恋焦がれ相思相愛になるも、既婚男性であるので禁じられた恋であった。戦争が勃発したことで、彼とは離れ離れになり、これを最後に、パルマは一人で人生を歩いて行くと心に誓う。
パルマ・ブカレッリの大きな転機は、国家公務員の試験を受験するところから始まる。
次回につづく。
アートと生きた、女性の戦士たち。ローマ編
記事リンク
第1話:パルマ・ブカレッリ (本編)
https://note.com/artigiana_arte/n/nae2b93e01f36
第2話:キャリアの第一歩
。
https://note.com/artigiana_arte/n/n62034e986c0c
第3話:時間との勝負。
https://note.com/artigiana_arte/n/n237420da1ae4
第4話:聖天使城。
https://note.com/artigiana_arte/n/n6be12e42ff3e
第5話:パルマという女性。
https://note.com/artigiana_arte/n/ne678c9d9765a
第6話:パルマの進撃。
https://note.com/artigiana_arte/n/n4886c9df52ca
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参考文献:
Regina di quadri. Vita e passioni di Palma Bucarelli, Milano, Mondadori 2010 by Rachele Ferrario
参照表示のない写真は、わたしが撮影したものを掲載しています。