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アートと生きた、女性の戦士たち。ミラノ編 n.8。 足跡。

フェルナンダ・ヴィットゲンス

学生時代の恩師パオロ・ダンコーナ教授も、イタリアに戻ってきた。戦後になりこの2人は共同で「イタリア美術史」を発行している。どのように表現されて執筆しているのか、興味深い一冊である。

共同執筆したイタリア美術史

ピカソ展示会の時には、ブレラ館長としてパンフレットを作っている。

ピカソ展

展示会を開催するときは、壁から作品を取り外すことのできる、またとない機会なので、ダメージを受けてないか検査をし、必要とあれば修復をするのは、いまも変わらない。

さらに展示会でどのように展示するのかも、訪問者には見えないが、大切な準備の一つになる。

ピカソ展ではなく、おそらくルネッサンス時代辺りの展示をするにあたり、ヴィットゲンス館長が執筆した文章が残っている。

時を重ねた価値のある額縁ではなく、ただの古くなった額縁を使うのは、悪趣味以外のなにものでもありません。

交換するか、修正しなければなりません。

その作品に相応しい額縁で絵を飾るということは、絵を描いた芸術家と額縁を作った職人に敬意を表することです。

モダンアートでは、芸術家はフレスコ画のように、敢えて額縁なしで表現する傾向にあります。ですが、過去の芸術家は、絵画と額縁を対で考えていました。芸術家によっては自ら額縁をデザインして職人に製作させています。

額縁を絵画から取り除くというのは、洋服を着てないのと同じことです。

わたしにとっては、歴史に反することで批判の対象にもなり得ません。

もちろん、過去のすべてのものが良いとは言いません。現代のテイストに合わせることも大切です。ですが作品が不自然なまでに歪められるような表現は、芸術家の魂を冒涜することにもなりかねません。

いま生きている世界で絵画を展示するので、現代の訪問者が理解できるような展示方法も必要ですが、作品を損なわない配慮が必要だと、わたしは考えます。

美しい宝飾は、その宝飾にふさわしい宝石があるから輝きを発し、宝石の美しさも引きたちます。

フェルナンダ・ヴィットゲンスの審美眼を感じ取れる文章である。

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ヴィットゲンス館長は、Fiori a Brera フィオーリ・ア・ブレラを開催した翌年、体調不調に気が付く。治らない病とわかり、一線を退きルッソーリに仕事をすべて任せて、ブレラ美術館の見える部屋で療養に入る。

自分の命が残り少ないとわかり、友人に宛てた手紙。

puo' essere salvato "l'umano" dal "bestiale" e che l'arte e' forse una delle piu alte forme di difesa dell"umano". Cosi tornata a Brera, ho fatto il "Museo vivente".
「人間」を「野獣化」から救えるとしたら、芸術は人としての尊厳を守るための最高の手段の一つかもしれません。その気持ちがあり、服役後、ブレラに戻り、「生きた美術館 museo vivente」を作りました。

Non ho mai amato l'esibizionismo perche la mia vera natura e' quella di una donna a cui il destino ha dato compiti da uomo, ma che li ha sempre assolti senza tradire l'affettività femminile.

人前にでることを好きになったことは一度もありません。男性がするべき役割を担う運命でしたが、それでも女性としての感情は常に自分のなかにありました。

1957年7月11日。フェルナンダ・ヴィットゲンスが永眠する。54歳という若さであった。

弔問に訪れる人はあとを立たず、7月13日の葬儀には多くの人で通りが埋め尽くされたという。フェルナンダ・ヴィットゲンスは、ミラノの記念碑墓地に埋葬されている。

参照:ArtShapes

そして現在、ブレラ美術館にはカフェテリアがあり、彼女へのオマージュとして「カフェ・フェルナンダ」という名前が付けられている。


あとがき

ミラノを訪れる人は、ドゥオーモとガレリアを観光し、切符が入手できれば「最後の晩餐」を訪れるのが王道でしょう。でも、もし時間が取れるようでしたら、ぜひ、ブレラ美術館へもお立ち寄りください。

ブレラ美術館は、イタリア語でピナコテカ・ブレラと呼びます。ミュージアムではなく「ピナコテカ」なのは、収集が絵画のみのためです。

フェルナンダが戦時中に守り抜いた作品を鑑賞し、鑑賞後はカフェテリアで足休めをして、1900年代の怒涛の時代に生きた女性館長を思い出して頂ければ幸いです。

次回は、ローマ編をご案内します。投稿は週末の予定です。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。心から感謝致します。


今回の額縁のくだりの所で、以前に紹介したフィレンツェの額縁職人も、額縁についてフェルナンダと同じことを言っていたのを思い出しました。

興味がありましたら、ご覧ください。

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イタリアのモノづくり | ようこ
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