街に響く、鐘の音色。
今週は冬至でしたが、今年の冬至は、イタリアでは12月21日、日本では12月22日だったそうで、国により、冬至の日が異なることを初めて知りました。
今回は、時を告げる鐘楼の鐘にまつわる話しを、お伝えしたいと思います。
鐘のメインテナンス
11月中旬、大聖堂の隣に建つ鐘楼、通称「ジョットの鐘楼」の鐘が鳴りませんでした。鐘楼が鐘楼であるために、もっとも重要な役割である、時を告げるための、鐘のメインテナンスが行われたためです。
鐘楼は「鐘が鳴るもの」と当然に思っていたけど、それを修復して使い続ける、というところまで、考えが及びませんでした。確かに。確かに。手入れは必要。
メインテナンスでは、ブロンズ製の鐘の状態を検査し、鐘が撞かれる部分を、4分の1づらすことによって、鐘が磨り減る位置を、分散させることが目的です。
1300年代のフィレンツェ
ジョットの鐘楼の鐘って、いくつあって、どのくらい古いんだろう。鐘について、ちゃんと調べたことがなかったかも。
「ジョットの鐘楼」と名前が付いているのは、1300年代のマルチな芸術家ジョット・ボンドーネが、設計をし建てたから。「ジョットが建てた鐘楼」という意味。1334年に着工を開始し、ジョットが他界したあとは、二人の人物が跡を継ぎ、1359年に完成。
約630年もの間、フィレンツェの街に鐘を響かせているんです。石畳には、鐘の音がすっかり染みてて、振ると、鐘の音が聞こえてきそう(笑)
鐘楼建立の60年ちょっと前の、1296年は、お隣に大聖堂を建て始めた年。大聖堂や鐘楼を建てるための足場が組まれ、多くの人が作業に従事し、市民達は、世界で一番の自分たちの教会や鐘楼が建つのを、ワクワクしながら、誇らしげに眺めていたんじゃないかしら。
1300年代は、フィレンツェの貿易業も、銀行業も、急成長をし飛ぶ鳥を落とす勢い。
と同時に、アルノ川が氾濫し、黒死病が猛威をふるい、諸外国からの債務不履行で銀行が倒産し、悪条件で仕事をさせられていた労働者が反旗を翻したチョンピの乱もありで、暗黒の100年間でもあったのです。
悪いことが続く世の中で、人々は生活をし、大聖堂、橋、鐘楼、さらに、ヴェッキオ宮殿、地区教会も建設していたんだから、すごいエネルギーとパワーですよね。
ちなみに、アルノ川が氾濫したあとに再建されたヴェッキオ橋は、1345年に造られて、いまもなお、その姿で建ち続けています。
悲惨だけど、希望もある、みたいな、感情や時間が同時進行していて、立ち止まることなく、一歩づつ前に進んでいった、まるで、いまのコロナ禍みたい。やがて訪れる、華やかなルネッサンス時代を誰が想像したであろうか。
1300年代に思いを馳せすぎたので、ジョットの鐘楼に話しを戻します。
2016年に行われた、鐘の修復
鐘楼の鐘は全部で12口(こう)。(鐘は口(こう)と数えるんですね。日本語は、なんて奥深く美しい言葉なんでしょう。)そのうち、5口は、現在は使われず、鐘楼内に展示されています。
そのうち最も大きいのは、1401年に造られたもので、高さ165センチ、直径142センチ、重量は1268キロ。アポストリカ(Apostolica)鐘と呼ばれておいて、使徒という意味。
615年後の、2016年に、ブロンズ職人であり修復士でもある、ブルーノ・ベアルツィ氏が修復し、
と言わせた、アポストリカ鐘。
5ヶ月後には、無事修復が終わり、鐘楼内に展示されているので、近距離で見ることができます。
12口のうち、7口は、いまでも現役。時間がくると、1200年代に記載されたコードをもとに、その時々の祝賀や祝日により、曲調を変え、この7口の鐘が、フィレンツェ街中に響き渡ります。
曲調といっても、音楽を奏でるのではなく、『ガランゴロン、ガランゴロン』と賑やかだったり、『ガラーーン、ガラーーン』と厳かだっりします。
クリスマスイヴからクリスマスにかけては、歓喜!という感情がぴったりの、晴れやかな音が響きわたり、気分が明るくなる音色です。
フィレンツェらしい、鐘の名前
現役の鐘たちにも、ちゃんと名前が付いているんです。
1番大きい鐘は、現在の大聖堂が建立される前のフィレンツェの守護聖人「聖女レパラータ」もしくは「一番大きい鐘」という意味のカンパノーネという名前がついています。
高さ210メートル、直径200センチ、重量5385キロ。1475年に造られ、亀裂が入ったので、1705年に一度、修復されています。音階「ラ」の音を鳴らします。
1000キロが1トン。ということは、5トン以上ある、ものすごく重たい鐘。どうやって、当時は上げて、支えるための木造の梁はどうしたんだろう?
ゴロンゴロン、鳴るたびに、鐘が左右に動くけど、毎日のその重さと揺れの引力に耐え、何世紀も支えてる鐘楼の建築構造、どうなってるの?
もう、クエスチョンばかりです。当時にタイムスリップして、質問してみたい、見てみたい。
2番目に大きいのは「慈悲」という意味のミゼリコルディアという名の鐘。1670年代に造られたもので、直径152センチ、重量2320キロ。こちらは、1830年に、修復されています。音階「ド」の音を鳴らします。
3番目に大きいのは「使徒」という意味の2代目アポストリカの鐘。直径128センチ、重量1200キロ。音階「レ」の音を鳴らします。
大きな鐘のほかに、小さな鐘も4口あります。上図の4〜7aがそれです。
1956年に造り直されたもので、聖母マリアさまに捧げられた大聖堂にちなんで、すべてマリア様に関わる名前が付けられています。
4aは「受胎告知」という意味のアヌンツィアータ鐘。直径115センチ、重量857キロ。音階「ミ」の音を鳴らします。
5aは「神の母」という意味のマーテルデイ鐘。直径96センチ、重量480キロ。音階「ソ」の音を鳴らします。
6aは「被昇天」という意味のアッスンタ鐘。直径85センチ、重量340キロ。音階「ラ3」の音を鳴らします。
7aは「無原罪のお宿り」という意味のインマコラータ鐘。直径75センチ、重量258キロ。音階「シ」の音を鳴らします。
音階は、ド・レ・ミ・ソ・ラ・シ。音階があることを、初めて知りました。ファがないのは、どうしてなんだろ。
古代ギリシャ時代のブロンズ製の彫刻が、いまでも海底で発見されたりするから、ブロンズというのは、本当に息の長い素材なんだろうけど、幾世紀も毎日現役で音を鳴らし続けてるという、その事実もすごいし、造った職人は、現在のわたしたちにまで、音が届くと、思っていたのかしら。
ジョットの鐘楼は、高さ84.7メートル、外から鐘楼に入るための階段を含めると、階段は413段。今も昔も、エレベータなどありませぬ。最上階はテラスになっていて、目の前に迫るくる大聖堂のクーポラが目の中に飛び込み、眼下には、8角形が美しい洗礼堂を見下ろせます。
昔は、鐘撞きをする人がいたけど、いまはオートマチックになっています。でも、スタッフは最上階のテラスの一段下がったところにいるので、毎日、ここを上り下りしてるはず。スタッフ専用のトイレは、あるようです。でも、忘れ物をしたときなんか、下界に戻るかどうか、究極の選択ではなかろうか。
鐘楼の鐘はいつ鳴るの?
さて、鐘楼の鐘は、1日に何回、いつ鳴るのでしょうか。
1日に鳴るのは6回で、午前3回、午後3回。
午前は、7時、11時30分、12時。
7時は「さあ、朝です!」
12時は「お腹空いたー!ランチタイム!」
というのは、想像がつく。
中途半端な11時30分は、どうして鳴るの?
この時間には『フィレンツェらしい、鐘の名前』で登場した、2番目に大きい、「慈悲」という意味のミゼリコルディアという名の鐘が鳴ります。
ジョットの鐘楼の隣には、1200年代から続いている「フラテルニタ・ミゼルコルディア」という名のボランティア慈善団体があり、彼らが、11時30分の鐘の合図とともに、フィレンツェの街を歩き回り、困っている人、病気の人、食に困っている人はいないかを見回る時間だったのです。
この「「フラテルニタ・ミゼルコルディア」ボランティア慈善団体は、いまも現役で、ボランティアの医師達による診療所もあり、建物の前には、常に救急車が待機しています。
さらには、15世紀になると、大聖堂のクーポラの建設が始まり、11時30分の鐘がなると、モルタル作りはせずに、そろそろランチに向けて準備をしましょう。という合図としても、使わてたんです。
次に、午後の部。
午後は、日没前1時間、日没時間、日没後1時間。
午後はなんて、ざっくりなんでしょう。
一応基準になる時間はあり、
日没前1時間は、おおよそ16時。
日没時間は、おおよそ17時。
日没後1時間は、おおよそ18時。
なぜ「おおよそ」を付け加えたかというと、イタリアは4月から10月までが夏時間、11月から3月までが冬時間です。そのたびに、日没時間が変わり、それに合わせて鐘楼が鳴ります。
夏時間の6月下旬の日没時間は20時30分。日照平均時間は、なんと、15時間40分もあるのです。
一方、12月下旬の日照平均時間は8時間40分。冬と夏で7時間も差があるって、すごいです。だから、冬は1日が早くて、夏はずっとお昼って感じです。いまなんて、夕方5時で真っ暗なので、出るのが億劫。早く、6月にならないかなぁ。待ち遠しぃ。
ここはイタリア。鳴る時間によっては、キリスト教とものすごく繋がりのある時刻があります。
*クレドの時間*
ってなに?って感じですよね。
日本語では、使徒信条と呼ばれ、「天地の創造主、全能の父である神を信じます。」から始まる、文字数にしたら250文字くらいの、神を、キリストを、マリア様を、聖霊を信じる言葉を唱えるもので、この信仰箇条を唱するための時間が、クレド時間です。
日没前の夕方4時を指します。
クレド時間の鐘は、
という合図でもあり、その後、しばらくして、昔は城壁に囲まれていたフィレンツェの城門が閉じるようになっていたのです。
入り遅れた人は、城門前で一晩過ごさねばならなかったよう。袖の下とか、あったのかもしれないけど。
*アヴェマリアの時間*
アヴェマリアというと、シューベルトの曲を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。意味は「アヴェマリアの祈り、お告げの祈り、天使祝詞」。さらには「夕べの祈りの時刻や、夕暮れ」という意味もあわせ持ちます。
日没時間の夕方5時を指します。この時刻に鐘楼の鐘が3回鳴ると、カトリック教では、晩のお祈りを唱えます。
*死者の時間*
日没後1時間の夕方6時を指します。夜の時間に入り、死者のためのミサを唱える時間です。
ジョットの鐘楼と時計の関係
時を告げる、ジョットの鐘楼には、時計がありません。
フィレンツェが国だった頃、ジョットの鐘楼と連動していた時計がありました。いまもほぼ合っています。
それが、大聖堂内の、正面玄関上にある、時計です。
私たちが、普段見慣れている時計とは、様子が違う。
6時を指すところに注目すると、左側に「XXIIII」右側に「I」とローマ数字で記載されていて、これは、それぞれ24時と1時を指しています。
しかも、右側の「I」から、ぐるりと、反時計周りで、1時から24時間まで表している、24時間時計。これは、イタリア式時計と呼ばれるもので、1700年代にフランス式時計(いまの時計)に統一されるまで、使われていたんです。
ロウソクは高価なもので、夜更かしなんて、とんでもない。昔は、日没とともに休み、日昇とともに起きる生活。
イタリア式1時(I)が夕方6時で、日が沈み、夜の時間が始まります。死者のためのミサを唱えたら、食事をして、ベッドに入る時間です。
もともとは、修道僧が、鐘を鳴らして、祈りを捧げる時を告げていたものが、人々の生活にも取り入れられ、作られた鐘楼。
お日様が昇り沈むのは、どんな時代に生きようとも変わらないもの。時刻の刻み方は違えど、そのなかで、人の営みが形成されるのも変わらない。
フィレンツェにきて、ジョットの鐘楼の鐘が聞こえてきたら、こんな話しを思い出して頂ければ、中世から時を紡いでいる、生きたフィレンツェを、ちょっとでも体験できるのではないかしら。モニュメントを見て回るだけじゃない、中世へのバーチャル滞在を楽しんでいただければ、嬉しいです。
最後まで読んで頂きまして、
ありがとうございます。
大聖堂内にあるイタリア時計に興味のある方は、こちらをどうぞ。フィレンツェ大聖堂公式HPより。
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