スマホを捨てよ、感覚を研ぎ澄ませようー暗闇の島で体験するアート
新型コロナウィルス感染が報告され、コロナ禍に突入して2年目を迎えた2022年。「ニューノーマルの時代」とも言われるように、この2年で私たちの生活にも大きな変化がありました。
感染防止のために非接触社会が提唱される生活様式で、もはや不可欠とも言えるデジタルデバイス。特に普及率が約9割にのぼるスマートフォンで、写真や動画を撮影し、SNS等で瞬時にインターネット上に公開することは、今では身近な行為となっています。
そんな中、横須賀にある東京湾内唯一の無人島・猿島で開催のアートイベント、『Sense Island -感覚の島- 暗闇の美術島』は、スマートフォンや携帯電話を封印して、自然豊かな島に設置されたアート作品を鑑賞するものでした。また、イベント名に『暗闇の美術島』とあるように、夕暮れ時から夜にかけて開催されることもあり、暗闇に目をこらし、海や木々のざわめきに耳を澄ませ、自然の匂いを嗅ぎながら作品を鑑賞することで、感覚を研ぎ澄ませることを促しています。
港からフェリーに乗ること約10分、猿島に到着すると、まず封筒が渡されます。その中にスマートフォンや携帯電話を入れて封をし、スタッフが封印を確認した後、地図やスタッフの案内を頼りに島を一周します。島を出る時に開封されていないかチェックされますので、スマートフォンや携帯電話は原則使えません。
撮影ができなかったため、視覚的に展示の様子を伝えることができませんが、トンネルの中で音が響くものや波音と呼応するもの、暗闇の中で光を放つもの、風によって動きを変化させるものなど、感覚を研ぎ澄ませて鑑賞する作品が設置されていました。そして、坂道や階段を上り息を切らせつつ、太陽が沈み暗闇と化していく空の変化を眺め、海の波音や風で木々がざわめく音を聞き、土や草木の匂いを嗅ぎながら島を周ることは、まさに心身をフル稼働しての鑑賞でした。
野外のアートイベントだけでなく、美術館で行われる展覧会でも、展示作品を撮影しSNS等で公開することができるようになってきました。たしかに、SNSで拡散された写真や動画は、イベントや展覧会を知るきっかけとしても、いまや重要なツールです。
ただし、気軽に写真を撮り情報を拡散できるようになった反面、写真を撮ることに気をとられ、スマートフォンの画面越しでしか作品を観ていなかったり、視覚以外の感覚を使って作品と向き合っていたかどうか、後から疑問に思うこともしばしばあります。
このアートイベントのHPには、以下のような文章が綴られています。
島の中に「日蓮洞窟」という名の洞窟があるように、日蓮聖人が布教のため鎌倉に向かう折、嵐にあって難破しそうになったところに白い猿が現れ、その猿がこの島に導いたことで「猿島」という名前がついた、という伝説のある猿島。その後、明治から昭和時代には要塞として使われるなど、湾の護衛地として戦火を目の当たりにしてきました。
私たちは今やテクノロジーなしで生活することはできません。この猿島でのアートイベントを知り、島に降り立つことができたのも、テクノロジーを含め先人たちの五感を通し蓄積された知見を譲受しているからこそです。「失った時にはじめてその有り難さを知る」ごとく、こうして猿島で安全にイベントを楽しめるのはこの島を切り開いた先人らの努力によって、と気づけたのも、デジタルデバイスを手放して鑑賞したからかもしれません。
展示作品のひとつ、ブックディレクター・幅充孝さんの作品《孤読と共読の広場》に置かれていた一冊の本、『カステーラのような明るい夜』。実際に夜空を見上げると、港の明かりと共に、冬の星座の代表格であるオリオン座がきらめいていました。星明かり、という言葉があるように、かつて電灯もなかった時代、星や月の明かりを頼りに夜を過ごしたこともあったであろう昔のことを、ふと思い起こしました。
このアートイベントでは、展示作品もまた「自分自身と向き合う」ためのツールにすぎないのかもしれません。しかし暗闇の中の自然に設置されたその作品は、五感への刺激と共に、自分の中のさまざまな思いを呼び起こしてくれました。
「デジタルデトックス」という言葉もあるように、スマートフォンはじめデジタルデバイスと距離を置いてアート作品と対峙することは、自分の中に埋没した感覚を蘇らせるきっかけになるかもしれません。
アートハッコウショ
ディレクター/ツナグ係 高橋紀子
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?