ルイス・ブニュエル Luis Buñuel (1900年- 1983年) の誕生日 (2月22日) 仏・墨・西 映画監督
ルイス・ブニュエル Luis Buñuel (1900年2月22日 - 1983年7月29日)フランス・メキシコ・スペインの映画監督・脚本家・俳優。
🔍 Lost in Film のTweet 。
📝 1972年、ルイス・ブニュエルのアカデミー賞授賞式参列による来米を祝して、ジョージ・キューカー邸に集うハリウッドの映画監督たち (鍵カッコ内は著名な監督映画)。
前列左からビリー・ワイルダー [「お熱いのがお好き」「麗しのサブリナ」「アパートの鍵貸します」]、
ジョージ・スティーブンス [「シェーン」「ジャイアンツ」]、
ルイス・ブニュエル、
アルフレッド・ヒッチコック [「北北西に進路を取れ」「サイコ」「鳥」]、
ルーベン・マムーリアン [「虚栄の市」「絹の靴下」]、
後列左からロバート・マリガン [「アラバマ物語」]、
ウィリアム・ワイラー [「ローマの休日」「ベン・ハー」]、
ジョージ・キューカー [「マイ・フェア・レディ」「ガス燈」]、
ロバート・ワイズ [「ウエスト・サイド物語」「サウンド・オヴ・ミュージック」]、
ジャン=クロード・カリエール (当時ブニュエル映画の脚本) 、
セルジュ・シルベルマン (当時ブニュエル映画の製作) 。
ジョン・フォード [「駅馬車」「荒野の決闘」] も訪れたが病のため早退。
もっとも優れた映画監督 ブニュエルとラング
アルフレッド・ヒッチコックは映画史上最も優れた監督はルイス・ブニュエルであると語り、
ルキノ・ヴィスコンティも同様の発言を述べています。
そして、ルイス・ブニュエル自身は最も影響を受けた映画監督としてフリッツ・ラングを挙げました。
私は以前、一番優れた映画監督はフリッツ・ラングで、その次にルイス・ブニュエル、アルフレッド・ヒッチコックが来るだろうと書いたことがありますが
私の見立ても、この方々と肩を並べるレベルでしょうか?
🔸ビリディアナ
📝 右上写真は1961年にブニュエルがフランコ政権下のスペインに帰国して監督した映画「ビリディアナ」Viridiana の、特に物議を呼んだ場面。
金持ちの邸宅で宴会する乞食たちが「記念写真を撮る」時、
なぜかダヴィンチの「最後の晩餐」そっくりのポーズで一同が静止する瞬間。
中央の男性を演じているのは、数十年前の論評ではブニュエルであると言われてましたが、俳優のホセ・カルボ José Calvo とのこと。
この男性によって食卓が叩き潰され、食器のカケラが凄まじく飛び散り続けるアクションシーン (?) も有ります。
「物議」を呼んだのは本質的には、このアクションシーンの方かもしれません。
カンヌ映画祭グランプリ (パルム・ドール) を受賞しましたが
内容が反宗教的であるとして、
スペインでは作品の国籍を剥奪されて上映が禁止になったとのこと。
ブニュエルは1932年にも故郷のスペインで映画「糧なき土地」を撮っていますが、
これは国辱映画とされスペインでは上映禁止になりました。
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作品リスト
(特記以外は監督映画) /🔸『アッシャー家の末裔』La Chute de la maison Usher 1928年 (助監督・脚色。監督ジャン・エプスタン) /🔸『アンダルシアの犬』Un chien andalou 1929年 (共同監督サルバドール・ダリ /兼出演) /🔸『黄金時代』L'Âge d'or 1930年 /🔸Menjant Garotes (英題 Eating Sea Urchins [ウニ] /スペインでダリの家族を撮った記録映画) 1930年 /🔸『糧なき土地』Terre sans pain 1933年 /🔸 El Vaticano de Pio XII 1940年 /🔸『グラン・カジノ』Gran Casino 1947年 /🔸『のんき大将』El gran Calavera 1949年 /🔸『忘れられた人々』Los olvidados 1950年 (🌐 ユネスコ「世界の記憶」[世界記憶遺産] /♦️ 註1.) /🔸『スサーナ』Susana 1951年 /🔸『賭博師の娘』La hija del engaño 1951年 /🔸『昇天峠』Subida al cielo 1952年 /🔸『愛なき女』 Una mujer sin amor 1952年 /🔸『乱暴者』El bruto 1953年 /🔸『エル』Él (「彼」スペイン語) 1953年 /🔸『嵐が丘』Abismos de pasión 1953年 /🔸『河と死』El río y la muerte 1954年 /🔸『ロビンソン漂流記』The Adventurers of Robinson Crusoe 1954年 /🔸『幻影は市電に乗って旅をする』La ilusión viaja en tranvía 1954年 /🔸『アルチバルド・デラクルスの犯罪的人生』Ensayo de un crimen 1955年 /🔸『それを暁と呼ぶ』Cela s'appelle l'aurore 1956年 /🔸『この庭に死す』La Mort en ce jardin 1956年 /🔸『ナサリン』(ナザレ人) Nazarín 1959年 /🔸『熱狂はエル・パオに達す』La Fièvre monte à El Pao 1959年 /🔸『若い娘』The Young One 1960年 /🔸『ビリディアナ』 Viridiana 1961年 /🔸『皆殺しの天使』El ángel exterminador 1962年 /🔸『小間使の日記』Le Journal d'une femme de chambre 1964年 /🔸『砂漠のシモン』Simón del desierto 1965年 /🔸『昼顔』Belle de jour 1967年 /🔸『銀河』La Voie lactée 1969年 /🔸『哀しみのトリスターナ』Tristana 1970年 /🔸『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』Le Charme discret de la bourgeoisie 1972年 /🔸『フランコ・ネロとナタリー・ドロンのサタンの誘惑』Le Moine 1972年 (脚本。監督アド・キルー [仏語版]) /🔸『自由の幻想』Le Fantôme de la liberté 1974年 (兼出演)/🔸『欲望のあいまいな対象』Cet obscur objet du désir 1977年 /
ブニュエル監督映画は (「グラン・カジノ」と幾つかの記録映画以外は) 全て見ました。「グラン・カジノ」のホルヘ・ネグレテとリベルタ・ラマルケらの圧倒的なボーカルシーンはほぼ見たと思います。
註
♦️註 1. (世界記憶遺産の映画作品2件目はブニュエル監督作。1件目はラング監督映画)
ユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産・世界記録遺産) への映画の指定としては、フリッツ・ラング監督「メトロポリス」(1927年公開。2001年指定) に続き、ルイス・ブニュエル監督「忘れられた人々」(1950年公開。2003年指定) が2件目。
🔍 NPO法人映画保存協会公式ページ
🔍 ユネスコ公式ページ (世界の記憶 /「忘れられた人々」Los olvidados ) のアーカイヴ (ウェイバックマシン [Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/世界の記憶の一覧#外部リンク でのリンクから] / 英語) https://web.archive.org/web/20161020172150/http://portal.unesco.org/ci/en/ev.php-URL_ID=23036&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html /
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📖 本ブログ内関連記事「サルバドール・ダリ」(ブニュエル監督の記録映画「糧なき土地」[ダリと関係ありませんが] について、など)
📖 本ブログ内関連記事 (9月) 「ジャン・ルノワール」(「小間使の日記」について)
📖 本ブログ内関連記事 (9月) 「ジャン=クロード・カリエール」
📖 本ブログ内関連記事 (12月) 「フリッツ・ラング」
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桜井健次さん ( https://note.com/ksakurai007 )、サポート、おすすめ、ライクありがとうございます!
(22日23日5月9月10月12月,22年7月,24年2月[リスト, 世界の記憶リンク],更新)