"意味"だけが重要になる | AI時代のUXとmoatを考える
はじめに
AI(人工知能)の急速な発展は、私たちのビジネスや日常生活に大きな変革をもたらしています。この変化の中で、UX(ユーザーエクスペリエンス)の重要性が一層高まっていると多くの人が感じているでしょう。しかし、AIの進化は単にプロセスの効率化にとどまらず、ビジネスの本質的な在り方そのものを根本から変えつつあります。
この変革の波は、私たちデザイナーが慣れ親しんだ「サービス/プロダクトのUX」といった議論の枠をはるかに超え、より大きなスケールでの思考を私たちに要求しています。
本記事では、プロダクトのUIやサービスの体験価値といったUXがもはや競争力にならない可能性を探り、デザイナーが"意味"について取り組む必要性を考察します。さらに、次世代のmoat(競争上の優位性)とは何かについて深く掘り下げていきます。
ビジネスのmoatと城について考える
ビジネスの世界では、「moat」(堀)という言葉が使われます。
本来、城や要塞を守るために掘られた広く深い堀を意味する言葉が、ビジネス戦略の文脈で使われ、競合他社から自社を守る競争優位性を指す比喩的表現となりました。
具体的には、ブランド力、特許、規制上の許可、コスト優位性、ネットワーク効果など、企業が競合に対して獲得する様々な防御的優位性を「モート」と呼びます。
では、moatが参入障壁を示すのであれば、城とは何を指すのでしょうか。
moatは本体、つまりプロダクトやサービスそのものだと考えられます。守るべき城(プロダクト/サービス)に価値がなければ、どれだけ深い堀を掘っても意味がありません。逆に、守るべき城に大きな価値があれば、堀の重要性も増すのです。
プロダクトやサービスの根源は人々の"ニーズ"にある
ここで、良いサービスとは何かを考えてみましょう。便利さでしょうか?価格の安さでしょうか?それともmoatの深さでしょうか?
様々な意見があるかもしれませんが、私はそれを「人々のニーズに応えるサービス」と定義します。
なぜなら、プロダクトやサービスの根源は常に人々のニーズにあるからです。
どんなに優れた特許や規制上の許可を持っていても、ニーズがなければ誰も使いません。
価格の安さも、そもそもニーズがあってこそ意味を持ちます。
複数サービスの連携によるネットワーク効果も、その世界観自体がユーザーの求めるものであることの上に成り立っています。
つまり、人々のニーズに応えていない限り、その城(プロダクト/サービス)に価値はないのです。
価値のない城にmoatを作っても、誰も攻めてきません。moatをプロダクトやサービスの本質だと捉えてしまうと、ビジネスの真の価値を見失う危険性があるのです。
プロダクト/サービスにおけるUXの意味
さて、プロダクトやサービスを城に例えましたが、UX(UIUXやサービスの体験価値)は城でしょうか?
答えは「はい」であり「いいえ」です。
UXにも程度があります。
1.城としてのUX
まず最低限ニーズに応えられるだけのUXがサービスには担保されてなければいけません。
つまり、「目指した未来には共感できるが、このサービスでそれが実現されない」という状態であれば元も子もありませんよね。
まずそのレベルのUXを達成することは、城の基礎と言えます。
そこに競争力があるというより、それがないともはや城と言えないという話です。
2.moatに踏み込んだUX
しかし、城の基礎としてのUXは、ある時点からmoatに変化します。
先行者のプロダクト/サービスのUXが優れていれば、それは競合にとって乗り越えるべき障壁となります。
UXが綿密に設計されていれば、それ自体が参入障壁となるのです。
UXデザインの本質は、同じ課題に対してよりスムーズでエレガントな解決策を提供することにあります。
つまり、UXは城でもあり、城を守る堀の一部なのです。
ではあらためて問いましょう。"城"とは何なのでしょうか?
概念としての城/物理的な城 - なぜ立てるかだけが城の価値を決める
城の真の価値は、「人々のニーズに応えていること」にあります。
つまり、どのニーズに応えるか、言い換えれば城をどこに建てるかだけが、城の本質的な価値です。
これは現実の城でも同じことが言えます。
城の価値は、それがどんな意味を持つかにあります。要所に睨みを利かせることや、戦略上の拠点となること、権威を示す居心地の良い居住地であることなど、城の意味こそがその価値を決定づけるのです。城の建築は、その意味を物理的な形にしたものに過ぎません。
まず概念としての城の価値があり、それを具現化させたものが物理的な城なのです。これは、ビジネスの世界でも同じことが言えるでしょう。
加速するサイクルとスケールシフト
AIで築城が爆速化するさて、AIの台頭により、「課題の特定→解決策の考案→サービス/プロダクトの開発」というサイクルが驚異的なスピードで回るようになりました。
かつては月単位、年単位で考えていたこのプロセスが、今や週単位、日単位で実現可能になっています。
しかし、この変化は単に開発速度が上がったということにとどまりません。AIの台頭により、このサイクルと「moat」の概念が根本から覆されつつあるのです。
結果としてプロダクトの中にmoatを用意することが、もはや不可能になりつつあります。
この加速は、私たちが考える「スケール」自体を変えました。かつてない速度で変化が起こる中で、私たちはより大きな視点で物事を捉える必要に迫られています。
moatがmoatたりえる条件を考える
ここで、moatがmoatたり得る条件について考えてみましょう。それは、同じニーズに応えているサービスが複数ある場合に、その差別化要因となることです。
では、なぜ同じニーズに応えているサービスが複数存在するのでしょうか。単純に利益が見込めるからという理由もあるでしょう。確かに、ニーズには強弱があり、複数の企業が同じニーズに目をつけることはあります。
しかし、より本質的な理由は、「一人ひとりのニーズに応えることができず、まとめて対応するしかない」というデザインの限界にあるのではないでしょうか。つまり、同じニーズに応えるしかなかったのは、技術的な制約があったからだと考えられるのです。
これまで、UXデザイナーはまとまったニーズに応えるため、プロダクト/サービスを多くの人に使いやすい形にすることで価値を生み出してきました。しかし、一人一人のニーズに応えられる時代が来たとき、UXデザインの意味は大きく変わることになります。
個人のニーズごとにサービスが生成される時代の意味
個々のニーズに応えられるサービスと、そうでないサービスの間には、単なる画面のUIUXを超える天と地の差があります。
どれだけUIUXが美しくてもニーズに応えられないサービスは、ニーズに応えるサービスには太刀打ちできません。これは、体験価値やユーザーフローについても同じことが言えます。
つまり、重要なのは、最初から課題を解決できるサービスであるかどうかです。
以前なら「体験価値をどうするか」「このプロダクトのUIをどう改善するか」といった議論に時間をかけていましたが、サービス/プロダクトを作る速度が爆発的に向上しつつある今、「どの課題に取り組むか」「この課題をどう解決するか」という、はるかに大きな視点での議論が焦点となりつつあります。
そうなった時、今ほど一つのプロダクトのUXデザインを掘り下げ、「競合と戦って最善を目指す時代」は終わり、もう少し簡易的に-「競合がいないニッチなニーズに対して、最低限のUXのサービス/プロダクトを作る時代」が訪れる気がしています。
ところで、ニーズに応えるデザインはもはや限界がある/"意味"だけが重要になる
ではどのようにユーザーのニーズに応えていくのでしょうか?
…あぁ、やっと言えるのですが、もうこの考え方をやめましょう。
自分はずっと思っていたのですが、今の時代のUXデザインの悪いところは「ユーザーニーズに応える」ことを大前提としていることです。
私は今、かつてないほど「意味のイノベーション」の時代であると感じでいます。
意味のイノベーションについて
意味のイノベーションという概念は、2000年代初頭にイタリアのデザイン研究者ロベルト・ベルガンティによって提唱されました。これは製品やサービスの機能的な側面を超えて、それらが持つ意味や価値を根本的に変革する革新的なアプローチです。
ベルガンティは、多くの画期的なイノベーションが単なる技術的進歩や市場ニーズへの対応ではなく、製品やサービスの「意味」を変えることで生み出すことができると主張しました。
"意味"とは何か
意味のイノベーションにおける"意味"とは、製品やサービスが社会や個人の生活の中で担う役割や価値を表す概念です。これは単なる機能的な側面を超えて、人々の生活様式、価値観、そして社会全体の在り方に影響を与える可能性を持つものです。
"意味"は、人々がその製品やサービスを通じて何を経験し、何を達成できるようになるのか、そしてそれによって生活や社会がどのように変容するのかを示します。それは既存の枠組みや常識を覆し、新たな可能性や視点を提供することもあります。
この"意味"は固定的なものではなく、文化的背景や時代の変化、技術の進歩によって変容します。また、明示的に認識されていない潜在的なニーズや願望を顕在化させる役割も果たします。
つまり、"意味"は製品やサービスの存在理由そのものであり、それが人々の生活や社会にどのような変革をもたらすのかを表現するものです。意味のイノベーションでは、この"意味"を新たに創造したり再定義したりすることで、従来にない価値を生み出すことを目指します。
従来の市場駆動型やユーザー中心型とは何が違うか
意味のイノベーションは、競合調査ベースで行われる市場駆動型アプローチや、昨今のUXデザインの源流にあるユーザー中心型デザインとは明確に異なります。
市場駆動型は既存の市場ニーズに応えることに焦点を当て、ユーザー中心型は現在のユーザーの要望や問題点(ニーズ)に基づいて改善を行います。
一方、意味のイノベーションはこれらの枠組みを超えて、人々がまだ認識していない潜在的なニーズや可能性を探求し、そこに一つのビジョンを提示します。
歴史的に見ると、ソニーのウォークマンは、当時誰も「音楽を持ち歩く」ことを求めていなかったにもかかわらず、新しい音楽体験の意味を創造し、大きな成功を収めました。
これは、単なる市場調査やユーザーの要望からは出てきたと思えず、デザイナーが音楽の"意味"を変えたことによって、新たな体験が生まれたといわれています。
この当たりは持続的イノベーションと破壊的イノベーションの話です。破壊的イノベーションの話ももっとしましょう。
"意味"を考えるとはどのようなことか
この辺りはこれで一つ本が書けるぐらいの話があるので細かいことは割愛しますが、意味のイノベーションでは最初に"意味"を探索・定義するところから始めます。
ウォークマンの例であれば、「今までの鑑賞体験」や「人々の課題」、「願望」、「音楽と望ましい関係性」「音楽が生活の中でどのような意味合いを持っているか」などなどなどなど…様々な方面から音楽というものを掘り下げ、ある時に「音楽を持ち歩けたらもっと良い体験につながる!」と気づき、それをプロダクトのビジョンとして定義したのではないかと思っています。
単にデザインチームの偏見でビジョンを定義すると人々から離れてしまいますが、このビジョンをきちんとリサーチを通しながらユーザーが持ちうるニーズと照らし合わせながら進めることで、革新的なデザインのためのビジョンを描くことができます。
終わりに:"意味"だけが重要になる
というわけで、AI時代の到来により、製品やサービスの機能的な差別化がますます困難になる中で、"意味"の重要性は急速に高まっています。
この記事は少し物事を単純化しすぎだったり、まだUXにやれることがなくなったわけではないですが、一つの未来としてあるのではないでしょうか。
製品やサービスの本質的な価値は、もはやその技術や機能そのものにはありません。それらが人々の生活や社会にもたらす変化、つまり"意味"こそが、真の価値を生み出すのです。
これまでのUXデザインは、ユーザーニーズに応えることを中心に据えてきました。しかし、ニーズの多様性に全て応えることには限界があります。
「こういう世界はどうですか?」と新たな可能性を示すこと、つまり新しい"意味"を提案することは、むしろAI時代だからこそ人間にしかできない重要な役割となるでしょう。この"意味"の探索と定義こそが、これからのデザイン-UXに求められるでしょう。
さらに、この"意味"を中心としたアプローチは、ビジネス戦略全体にも大きな影響を与えます。従来のmoat(競争上の優位性)が崩れつつある中、新たな"意味"の創造こそが、次世代のmoatとなる可能性があります。それは単なる差別化戦略ではなく、社会や生活の在り方そのものを変革する力を持つからです。
このパラダイムシフトは、デザイナーやビジネスリーダーに新たな挑戦をもたらします。"意味"を探索し、定義し、具現化する能力が、これまで以上に重要になります。
おそらく、AI時代のUXデザインとビジネス戦略において、"意味"の探索と創造が最も重要な活動となります。
それは単なるプロダクトやサービスの改善ではなく、私たちの生活や社会の在り方そのものを再定義する可能性を持っています。この新たな挑戦に向けて、デザイナーやビジネスリーダーは、より広い視野と深い洞察力を磨く必要があるでしょう。"意味"を中心とした新しいイノベーションの時代が、今まさに始まろうとしているのではないでしょうか。
そろそろ意味のイノベーションの記事を書いた方がいい気がしています。
そのうち
補足1.これからの時代のmoat
AIの台頭により、従来のmoatの中でも機能するものと機能しないものが出てきます。そしておそらくですが、新時代のmoatはAIに代替できない部分において人間や国家、自然の適応速度に依存するものとなるでしょう。
例えば、国の法律による規制は非常に強固なmoatとなり得ます。
AIの発展速度に比べ、法規制の変更には圧倒的な時間がかかるためです。
同様に、ブランドイメージや流通チャネルも、人間の思考や行動の変化速度に依存するため、依然として強力なmoatとなる可能性があります。
物理的な制約もまた、新たなmoatとなり得ます。デジタル空間では瞬時に変更可能なものでも、現実世界では時間と労力を要します。
不動産開発や都市計画などの分野では、この物理的な制約がむしろ優位性となる可能性があります。
さらに、長年にわたって築き上げられた信頼とレピュテーションは、AIでは即座に複製することができず、人のイメージも変わりません。
特に医療、金融、コンサルタントなど、高度な専門性や長期的な関係性が重要視される分野では、この信頼関係が強力なmoatとなるでしょう。
また、特定のコミュニティや文化に深く根ざしたサービスも、その独自性ゆえにAIが簡単に模倣することはできません。
地域に密着した飲食店や、何世代にもわたって受け継がれてきた伝統工芸品などがその好例です。これらは単なるサービスや製品を超えて、その地域や文化のアイデンティティを体現するものとなるでしょう。
補足2.これからのUXの立ち位置-UXデザインの自動化と、メタUXデザイン
近い将来、AIがUXデザインを行える時代が来るでしょう。
現在はまだ、私たちがUXを考え、個別のニーズに応えるサービスを量産する体制を作っている段階です。しかし、これがやがてシステム化されると、私たちはUXデザインそのものを考える必要がなくなるかもしれません。
そして、これからの時代に求められるのは、UXを直接考えることではなく、「AIがUXを考えてユーザーやニーズごとにパーソナライズできる」ためのメタ-UXデザインです。
これは、UXの概念をより抽象的なレベルで捉え、システム化することを意味します。言わば、UXデザインのデザインとも言えるでしょう。
先ほど、「競合がいないニッチなニーズに対して、最低限のUXのサービス/プロダクトを作る時代」と言いましたが、とは言っても、ユーザーは他のニーズに対してのサービス/プロダクトを使っている以上、デフォルトの期待値というものが存在しています。
その平均的なUXデザインの品質が存在しているので、「どうやってあらゆるサービス/プロダクトで、世の中の一般的なサービス/プロダクトの平均かそれ以上のUX品質を提供できるか」がメタUXデザインの肝となるでしょう。
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1.
組織で誰がどのようにUX-デザインに取り組むことができるかという話です
2.
3年ほど前に、デザイン思考について書きました。
アップデートされた部分もありますが、参考になるかと思います。