見出し画像

映画には人を動かす力はあるか?

映画「グランメゾン・パリ」

2024年製作/日本
配給:東宝、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
公開日:2024年12月30日
上映時間:117分

<スタッフ>
監督:塚原あゆ子
脚本:黒岩勉
音楽:木村秀彬
料理監修:小林圭
チアリングソング:山下達郎

<キャスト>
尾花夏樹:木村拓哉
早見倫子:鈴木京香
リック・ユアン:オク・テギョン
小暮佑:正門良規
平古祥平:玉森裕太
芹田公一:寛一郎
松井萌絵:吉谷彩子
久住栞奈:中村アン
リンダ・真知子・リシャール:冨永愛
相沢瓶人:及川光博
京野陸太郎:沢村一樹

「料理には人を動かす力がある」

その言葉が今でも忘れられないテレビドラマ「グランメゾン東京」が放送されたのは2019年。
それはコロナ禍の前の世界線。

美食家たちが国境なんてないかのように世界中を飛び回り、「旅をしてでも食べる価値のある」料理を求めて超一流レストランに足を運ぶことが当たり前だった時代。
まさか数年後には家から出ることも憚れる閉鎖的な世界が訪れるなんて、誰も考えてもいなかった。

ドラマから映画につながるスペシャルドラマという「ブリッジ」

このドラマの映画化に合わせて、12月29日にスペシャルドラマが放送された。

その冒頭で、コロナ禍によって経営が厳しくなり、生き残りのためさまざまな施策を打つ「グランメゾン東京」が描かれていく。

そして、翌30日に公開開始となった映画「グランメゾン・パリ」では、このスペシャルドラマで展開されるストーリーをブリッジにして、新たにパリでレストランを経営する様子が描かれる。

スペシャルドラマを見なくても映画は見れるが、この「ブリッジ」を渡った状態で映画館に訪れた人とのストーリーへの没入度は、明らかに差が出る構成となっている。

映画の宣伝の力の入れようは本格的だが、それでもたった一夜のスペシャルドラマというブリッジを介することを求める「テレビ」というメディア。
スペシャルドラマを経ての映画へのメディアミックスという古びたワードのような旧態依然としたやり方では、映画の魅力が伝わりづらいのではないだろうか。

次世代への「継承」という新たなメッセージ

しかし、スペシャルドラマ自体は、2019年に製作された本編のドラマのマインドをしっかりと受け継ぎつつ、「継承」という新たなメッセージを加味した「人を動かす力がある」ドラマだった。

本編ドラマの主人公たちは自らを「おじさん」「おばさん」と呼び合い、ドラマで若手としてチームに加わったメンバーたちの(ドラマでは描かれない2019年からの歳月を経ての)成長を認め、レストラン経営を次世代に託していくという「継承」物語は、今の日本の大事なポイントを描いているように思えた。

そして映画。
「グランメゾン東京」を若手に託した「おじさん」「おばさん」たちはパリに拠点を構え、新たな挑戦をしていた。

フランス料理の本場で真っ向勝負する「おじさん」「おばさん」たちの挑戦する姿は、人間が何歳になっても現状維持ではなく、より自分が成長できる場所に向かい続けるべきだというメッセージにも受け取れた。
それは高齢化し続ける日本に生きる「おじさん」「おばさん」たちへの熱いエールのようにも捉えられた。

しかし、映画の中で「おじさん」「おばさん」たちの前に立ちはだかる「壁」は、ドラマのようなライバルたちとの料理による切磋琢磨ではなく、異国の地での「差別」との戦いという意外な図式だった。

ドラマが持つ強烈な推進力の重み

テレビドラマやスペシャルドラマの「幹」として、ストーリーを豊かなものにしていたのは間違いなく「ライバルたちとの料理による真っ向勝負の切磋琢磨」という構成だった。
この厳しい戦いに勝利し、美食家たちを納得させて、ミシュランの星を獲得するためには、素材を学び、新たな調理法を開拓し、独創的な料理に仕上げる料理人としての真っ当な努力の積み重ねだった。

一方で、映画の中では、評価を得られない根本原因として、フランスでより高品質な食材が自国のレストランに買い占められるということに焦点が当てられた。

東洋人が経営するグランメゾン・パリは手に入れられる食材の質で劣るため、ミシュランの星を取れないという理屈は、ドラマを愛した視聴者を落胆させるものだった。

その後のストーリーの折り返しで、パリの市場で食材を扱う人たちの多くが、急に180度心変わりする。
その結果、良質の食材を提供してもらえるようになったレストランは生まれ変わり、最終的に三つ星を取ることにつながった……ようにどうしても受け止めてしまう。

また、中盤あたりで、シェフの尾花夏樹はパリで認められないのは「日本人らしさ」を料理に取り入れるからだと考え、フランス伝統に則った料理に限定することを厨房スタッフに厳命するという場面があった。

孤高の天才シェフだけが課題克服までのルートを見ているようでもあり、またこのドラマで何度も登場してきた「尾花夏樹の真意は別にある」ことへの伏線なのかとも思わされた。

しかし、フランスの市場の人たちの心変わりを受け、差別されていたという思い込みが晴れた後、尾花夏樹は厨房スタッフの出身国のマインドを積極的に料理に採用すると急に方針転換をする。

まさに今、トレンドの先頭を走る「多様性」を意識しているかのよう。
誰にでも伝わりやすい展開に、人気ドラマを映画化することの難しさを痛感した。

さらに、ドラマ版の推進力は「早見倫子に日本人女性初の三つ星を取らせる」というモチベーションだったが、映画版では「本場パリでも三つ星が取りたい」というありきたりで、手垢のついたものだった。

差別されたことを見返すという動機が印象に残る展開では、ドラマにハマった後にこの映画を観る者にとって登場人物たちを心から応援することは難しい。

映画のエンディングで、三つ星を取ってステージで表彰される姿からは、ドラマ版の同様のエンディング・シーンで感じたハッピーエンド感とは明らかに異なる印象を受けた。

ドラマから5年という歳月の描き方

ドラマの時から一貫して顕著だったのは、伝説の料理人・尾花夏樹の料理する立ち振る舞いはもちろん、厨房に入る動きや食材を選別する仕草ひとつ、どれをとっても付け焼き刃に見えない、相当の努力を重ねて身につけた「本物」のような演技。

映画では、そのリアルにさらに磨きがかかっているように見えた。
木村拓哉さんの作品にかける想いや仕事に対する真摯な姿勢が、今回の映画でも随所に感じられた。

そんな木村拓哉さんのプロフェッショナルな姿勢の一部として、映画の中で印象的だったのは、尾花夏樹が料理の仕上がりをチェックする際に、メガネをつけるシーンが何度か流れたこと。
この仕草も自然であり、ドラマ版から5歳年齢を重ねたことでの変化をさりげなく感じさせる演出だった。
しかし、残念ながらその理由は映画内では触れられることはなかった。

50代になれば、若い頃よりも細かいものが見えづらくなるのは当然のこと。
だからこそ、尾花夏樹にメガネをかけさせたことは、リアリティを出すという演出の面ではとても細かいなと感心した。

だが、この映画の中で2019年にドラマでスポットライトを浴びた「おじさん」「おばさん」たちが5年の歳月を重ねて、年齢と真摯に向き合う姿はほとんどフォーカスされなかった。

ドラマの登場人物は歳を取るべきか?

人間は誰しも歳を取る。
そして、アーティストやアスリートなど、「人を動かす力を持つ」特別な人たちも同様に、その自然の定理に抗うことはできない。

アーティストやアスリートたちのパフォーマンスは、年齢を重ねるごとに変化しながら、高い成果をアウトプットしようと試み続ける。
一流たちが、歳を重ねることで「得るもの」「失うもの」と真摯に向き合い、彼らとうまくやっていきながら、その時々で自身が発揮できる最高レベルのものを出し続けようとする姿が感動を生む。

そんな現実の人間と同じことを、ドラマや映画の登場人物に求めるのは意味ないことなのか?
ドラえもんやちびまる子ちゃんのようなアニメのように、ドラマや映画の中の憧れのキャラクターはどんな時も変わらないことも必要なのか?

個人的には、ドラマから5年後に映画化された作品。しかも「人の心を動かす力がる」作品には、歳を重ねた登場人物の新たな魅力をしっかりとリアルに描いてほしいというのが願望だ。

だからこそ、料理途中で何度もメガネをつけたり外したりする細かい演出を入れるなら、もっと天才料理人が年齢を重ねることで「変わったこと」「新たに得たもの」をリアルに描いて欲しかった。

2019年に作られたドラマの映画化だからこそ、この5年間の時間の流れを登場人物たちにもリアルに背負わせた上で、5歳年齢を重ねた新たな人物像で私の前に現れて欲しかった。

5年の歳月を重ねたリアリティは、若手が成長して中心になっていくスペシャルドラマでしっかりと描かれていたぶん、映画が単純にドラマ版(=東京版)のパリ版でしかないように感じたことが残念だった。

このドラマには登場人物たちには「人の心を動かす力がある」。
だからこそ、映画化に対して、より大きな期待を寄せてしまっていた視聴者としての映画鑑賞直後の気持ち。

いいなと思ったら応援しよう!