批評・パフォーマンス・『ultratronics』・池田亮司
基本情報
・形態:音楽・映像
・場所:LINE CUBE SHIBUYA
・年:2022
概要
同時期に発表されたアルバム『ultratronics』のライヴ演奏(約1時間)。
巨大なスピーカーによる大音響と、舞台一面の映像で表現され、池田亮司氏は舞台上でそれらを制御していた。
既存の批評
・コンピューター独自の内面世界を感じさせる。(kknote)
https://note.com/ntkotd/n/n457f06b592a0
(2022/12/18閲覧)
目的
「グローバルさ」の「激しさ」を示す。
ここで、「グローバルさ」とは、地球上に何らかの事物が普遍的になっていく過程や結果を指し、「激しさ」とはその凶暴さや強度の強さを指す。
方法
データに基づく音楽と映像による、大音響、光の明滅、振動、風、5分ずつのシークエンス等。
大音響は耳栓をしても通過し、映像の明滅は目を閉じても明るさを感知する神経に届き、振動は腰を浮かせても内臓に響いてくる、極めてphysicalに訴えかけてくる表現であった。
目的の新規性:やや高く感じられた。
これまでもグローバルさの暴力性を示す言説は見られてきたと思われる。
方法の新規性:非常に高く感じられた。
データに基づく音楽と映像は、池田亮司氏が世界の中でも先駆けて行ってきたと思われる(例えば、近現代芸術の最先端を示すフランスのポンビドゥーセンターでも取り上げられた)。
またそのパフォーマンスを、これほどの大音響や激しく明滅する映像で行う事例は、これまでに無いもののように思われた。
目的-方法の合致性:非常に高く感じられた。
グローバルさの激しさを示すために、データというグローバルさを示す一つの象徴を用いて作成された音楽と映像を用いるということは、極めて合致性が高いように思われた。
社会的インパクト:高く感じられた。
池田氏の音楽と映像はほとんど言語を使用しないため、世界中の誰が見ても認識が可能である。
またこれほどの感覚的な強さを持つパフォーマンスは、観客に強い印象を残したことは間違いないと言える。
加えて、そのようなパフォーマンスをグローバルさの端に位置する東京で行うことの意義も感じられた。例えば、中盤には爆発音のような音が連続する箇所があったが、それは地球の裏側であるウクライナで響いている爆発音を想起させ、そのような戦争のリアリティがほとんど感じられない現在の東京も、グローバルさの中にあることを改めて感じさせた。
ただ、今回のパフォーマンスの母体であるMutekというフェスティバルの知名度や、会場内部での案内の不行き届き、カップリングのパフォーマンスの質の低さは、ややそのインパクトを弱めた可能性がある。
その他の気づき
岡田利規氏の作品や相馬千秋氏の取り組みは、このようなグローバルさの激しさの中で、それと戦う以外に何ができるかを模索しているとも考えられる。
老いていく集団においてはそのような取り組みが重要である一方で、同時にまだ若い世代は今回表現されたような激しいグローバル社会の中で活動していく必要もある。
その時のために、このような強い表現を一個人としてできるように訓練しておくことも重要だと思った。
参考
・アルバム『ultratronics』
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nFeaX0ogfpZsZzOyiLbTKeSagfLuSYwA8
(2022/12/18閲覧)
・トップ画像引用源
https://twitter.com/www_shibuya/status/1557290706120880131
(2022/12/18閲覧)