わたしがわたしを受け入れて
幼い頃から、わたしは人の目を気にして生きてきた。「人の期待に応えよう」というのは言い過ぎた響きで、本当は自分に言い訳を重ねて生きてきたのかもしれない。ただ、常に色々なことへ疑問を抱く少年ではあった気がする。
親の期待通り(?)、中学のときに親や先生へ向けて発した「学校の先生になりたい」がわたしの夢であるかのように、高校、大学と進学し大学では外国語学部英語学科で教育を専攻した。正直に話すと、英語へのちょっとの興味と女子が多い学部であったからというのが選んだ理由のひとつにある。学生時代はスポーツマンだったので、そういう意味ではスポーツを通して人と交流することはたくさんし、それはそれで楽しかった(ちなみに小〜中は野球、高〜大はバレーボールをしていた)。心は中途半端なまま限りある時間だけが過ぎ、大学三年次、進路や自分が信じてきた“教育”の可能性への疑念、家族問題などたくさんのストレスが重なり、肺炎を患った。そんな中、ゼミの先生からの進言でアメリカへの交換留学を挑戦することになり、運良く試験をクリアし四年次に五ヶ月間程留学を経験する。これまでのリフレッシュと異文化に触れたいという想いで滞在したのだが、ここでの経験が今のわたしになるための大きな一歩になるというのは当時は思いもしなかった(この件については後ほど記事にする)。。
アメリカの生活を通して「好きなことで生きていきたい」と強く感じてきたわたしは、どこか一皮向け自信に満ちたように帰国した。ここがわたしの一つ目の分岐点。無事、教員免許は取得したのだが、教員にはならないと決めたわたしのそれからは、自分の趣味を本気でやってみようと、カフェ巡りをはじめた。地元へ戻ったわたしは掛け持ちでアルバイトをしながら休みの日は東京へ出て、5、6件はカフェをはしご、頭がくるくるしながら帰りの運転をしていたのをよく覚えている。なんとなく将来は自分のコーヒー屋を持ちたいなと思いはじめた頃、いいなと思う感覚に近いお店を探すようになった。
2018.03.18- 一軒の古民家のカフェをSNSで発見し、姉とふたりでそこへ向かった。老舗のお菓子屋と古家の間の小径を抜けると自然に佇んだ古民家がある。少し階段を上がり、ガラスと銀のサッシの引き戸を開けると心の好奇心が高なった。雰囲気から求めていたものに近く、わたしは鼓動を抑えるのに必死で一杯のコーヒを注文し、古家具で揃えられた席に着く。運ばれてきたコーヒー、陶器のカップからたゆたう湯気のアロマが心地を帯びていて、そのままひとくち口へ運んだ。初めてだった。脳天から体全体へ痺れるように走る様々な刺激を感じた。言葉にすることはできず、ただただ涙が溢れてきた。「これだ。」“わたしがわたしを受け入れた”瞬間だった。心の泉に、波紋が広がった。
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