KAZ

バリスタ、写真家、詩人、モデル、総称して「表現者」として 自然な人との繋がりを大切にしながら日々、想いを伝える活動を行っています🕊   僕の頭の中のコトを、徒然なるままに記していきます 少しでも気に留めていただけましたら幸いです🌿

KAZ

バリスタ、写真家、詩人、モデル、総称して「表現者」として 自然な人との繋がりを大切にしながら日々、想いを伝える活動を行っています🕊   僕の頭の中のコトを、徒然なるままに記していきます 少しでも気に留めていただけましたら幸いです🌿

ストア

  • 商品の画像

    観葉植物

    用紙:マットフォトペーパー額:アイナブラウン(大衣サイズ)  面にアクリル使用  マット紙あり写真サイズ(見える部分):A3サイズ程度
    ¥13,200
    air-life
  • 商品の画像

    落葉

    用紙:マットフォトペーパー額:アイナブラウン(大衣サイズ)  面にアクリル使用  マット紙あり写真サイズ(見える部分):A3サイズ程度
    ¥13,200
    air-life
  • 商品の画像

    in-to

    ■ in-to線画アーティスト Nomura Tomoyoさんとのコラボアート作品です。KAZの写真、哲学的思考を記し、Tomoyoさんの繊細なタッチでのコラージュ作品。お手軽に身につけてみてください。■ 5.6オンスTシャツ (Printstar)どなたでも気軽に楽しめるレギュラーシルエットです。ほどよい厚みが着崩れを防ぎ、快適さが持続する様に作られた着る人を選ばない定番Tシャツです。衿口は縫い目が見えず、すっきりしたシングルステッチです。生地はシャリ感、涼感のよく出たラフな風合いで、細部にこだわった丁寧な縫製が施されています。■ サイズ・XS身丈 64cm 身幅46cm 袖丈17cm身長 155~160cm 胸囲 78~86cm・S身丈 66cm 身幅49cm 袖丈19cm身長 155~165cm 胸囲 80~88cm・M身丈 70cm 身幅52cm 袖丈20cm身長 165~175cm 胸囲 88~96cm・L身丈 74cm 身幅55cm 袖丈22cm身長 170~180cm 胸囲 96~104cm※受注生産いたしますので、ご注文から2週間ほどお待ちくださいませ。※写真はイメージです。※クリックポストにて配送いたします。
    ¥4,000
    air-life
  • 商品の画像

    観葉植物

    用紙:マットフォトペーパー額:アイナブラウン(大衣サイズ)  面にアクリル使用  マット紙あり写真サイズ(見える部分):A3サイズ程度
    ¥13,200
    air-life
  • 商品の画像

    落葉

    用紙:マットフォトペーパー額:アイナブラウン(大衣サイズ)  面にアクリル使用  マット紙あり写真サイズ(見える部分):A3サイズ程度
    ¥13,200
    air-life
  • 商品の画像

    in-to

    ■ in-to線画アーティスト Nomura Tomoyoさんとのコラボアート作品です。KAZの写真、哲学的思考を記し、Tomoyoさんの繊細なタッチでのコラージュ作品。お手軽に身につけてみてください。■ 5.6オンスTシャツ (Printstar)どなたでも気軽に楽しめるレギュラーシルエットです。ほどよい厚みが着崩れを防ぎ、快適さが持続する様に作られた着る人を選ばない定番Tシャツです。衿口は縫い目が見えず、すっきりしたシングルステッチです。生地はシャリ感、涼感のよく出たラフな風合いで、細部にこだわった丁寧な縫製が施されています。■ サイズ・XS身丈 64cm 身幅46cm 袖丈17cm身長 155~160cm 胸囲 78~86cm・S身丈 66cm 身幅49cm 袖丈19cm身長 155~165cm 胸囲 80~88cm・M身丈 70cm 身幅52cm 袖丈20cm身長 165~175cm 胸囲 88~96cm・L身丈 74cm 身幅55cm 袖丈22cm身長 170~180cm 胸囲 96~104cm※受注生産いたしますので、ご注文から2週間ほどお待ちくださいませ。※写真はイメージです。※クリックポストにて配送いたします。
    ¥4,000
    air-life
  • もっとみる

最近の記事

“敢えて”の定義

いつぶりかの投稿になる。 ここ数年の出来事を振り返ると、早すぎるほどに時が過ぎていくのを感じる。30歳手前にして、まだまだ若い心と老いていく身体を背にして生きていると「焦り」や「壁」にぶつかり、自分に劣等感を抱くこともしばしば。 これまで、自分自身に対してポジティブな意見を外側からも内側からも吸収してきた。それらもとても大切なことなのだが、人と人を繋いだり、人と共に育んでいく仕事を続けていく中でたくさんの課題に気づけてきた。 課題とは、言い換えると成長するための機会点でも

    • 日々のささやき

      さて、心に少しばかりの余裕が生まれてきましたので文章を書き記したいと思います。 朝起きてから眠りにつくまで、どれだけの小さな気づきを得れたかを毎日指折り数えています。季節の朝焼けの色や香り。木々や草花の揺られ方。差し込む光と生きる人々。海と空の青や、夕焼けに咲く紫に。様々が交差するこの世界であなたやわたしが在ることを自覚して、改めて自分を知る。 なにを成し遂げてないようで、なにかを成し遂げているいちにち。そんなことを感じるひとときほど、幸せに感じることはないです。 お金は

      • 孤独、を愛して

        あくまでこれは、私の哲学。 人それぞれに価値観や考えが在る。与えられた思考する能力を、人によっては利己的に人によっては誰かに添うような扱い方をする。私も少し前までは圧倒的に後者の生き方をしていた。 何かになりたい。何かでありたい。欲求が止まないのがヒトとして生まれた性でもありヒトらしさであるとも感じる。常に目標が漠然としていてもあることが、自分の存在意義を確認できる一つの手段でもある。しかし時として(日本人は顕著であるが)、自己に対して悲観的になり、自暴自棄に陥ることは誰

        • 7/1/2021

          見つめる朝 ディープな太陽 伏せ顔な空に 淹れたてのアロマが風に靡いて chillなlyricを吹かした 葉に落ちる昨日の雨は いつか流した記憶を起こして 庭先で一服 萎れた木椅子に 垂れたつる植物

          “自然にふれあう”ということ

          旅はいい。そう、僕は感じる。 朝の訪れを伝える小鳥の声に目覚め、光とともに体の温度が上昇するのを感じながら一日の事を考える。少しひんやりとする壁にもたれた頭は鈍る感覚を研ぎ澄ませ、僕の心と体が求める場所を指差す。わからないのだけれど、なんとなく、何かと出逢えそうな気がする。 少し疲弊した体は、いつも通り、陽の香りとマグに注がれるコーヒーのアロマに包まれ癒されていく。そうして、程なく支度が済めば向かう方へと愛車にキーを入れ、エンジンを吹かした。 田舎の都市を一時間も走れば

          “自然にふれあう”ということ

          静寂と忘却

          深夜に帰り静けさの中で飯を食らう。一度死んだわたしには丁度いい程の茶碗に映える白飯に汁物、その日の父親が作る一品が雑に在る。ほうばった腹は満たされて静かに横たわり、暗闇の中、再び覚めては風呂へゆく。 気づくと、重くなった太腿や脹脛に痙攣を覚えては散らかる部屋のベッドに溺れるように潜り、光を舞う鳥たちの嘔声に起こされて、昨日を鎮めて明日へと整っていく。 朝の静けさは、時に過去の記憶を繰り返し蘇らせ、痛みを蝕む。そこへ未だに佇むわたしを置いていくかのように過ぎ去るのだが、愛に

          静寂と忘却

          day

          絶えず、流れ込む 群れ、戯れ、交わる今日 機械じみた三分間 明け暮れ差し込む熱帯夜を過ぎ ふと、見えた光の影 酔いに目覚めた昨日の朝に きつく結んだ首元が 泡のように記憶をパッと消していく 音が立ち込める午前二時 隠れて覗く白い光が なんだか少し、寂しく見えて 冷える足の指先を毛布で包んだ

          好奇心×探究心

          わたしらしさを纏った人生は、常に好奇心と探究心の瞬間の連続である。 わたしがこのようなことを口走るのは、些か年上の方々からすると舐めていると思われるかもしれないが、“現代”を生きるからこそ敢えて綴らせてもらう。 最近ですと、自分らしく、好きなことで生きるといったような謳い文句で流れる広告や雑誌などをよく目にする。世界中で広がりを見せる"SDGs"の取り組みのおかげであろうか、一方では多様性という考え方が標識のように表舞台へ上がってきてくれているので、各々の働き方や生き方が

          好奇心×探究心

          ごみのひ

          ぼくの住む街角の楽園 直ぐ向かいにはこの世帯に住む人たちの ごみ捨て場がある いつもカラスにバリケードを破られ 剥き出しになっていた それを今までは通り過ぎていたのだけれど なんだか、居た堪れない気持ちになって 初めて軍手をはめて自分から清掃をしてみた 今日はごみの日だから くる人くる人が置いていく ある人はちょっと気にしたのか足で中へ押し込んで ある高齢者は孫と一緒に 「カラスが狙ってるわね」と冷たい目 さらには指定外のごみ袋ときた 自分に子どもができたとしたら、そのよ

          ごみのひ

          わたしがわたしを受け入れて

          幼い頃から、わたしは人の目を気にして生きてきた。「人の期待に応えよう」というのは言い過ぎた響きで、本当は自分に言い訳を重ねて生きてきたのかもしれない。ただ、常に色々なことへ疑問を抱く少年ではあった気がする。 親の期待通り(?)、中学のときに親や先生へ向けて発した「学校の先生になりたい」がわたしの夢であるかのように、高校、大学と進学し大学では外国語学部英語学科で教育を専攻した。正直に話すと、英語へのちょっとの興味と女子が多い学部であったからというのが選んだ理由のひとつにある。

          わたしがわたしを受け入れて