小説・成熟までの呟き 46歳・2
題名:「46歳・2」
2036年秋、美穂の娘の日奈子は高校に入学して半年が経過していた。思い描いた理想とは離れていき、周りに合わせることにも疲れていた。そのような先行きが暗い日々の中、日奈子がインターネットを閲覧していると、アイドルのオーディションが行われることを知った。アイドルという言葉を見て、中学生の時に野外ライブで見たアイドルを思い出した。日奈子にとっては憧れの的だった。その人達が放つ明るさや輝きは魅力的だった。そして、もしアイドルになればこの暗い日々から離れられるかもしれないと思ったのだった。日奈子は書類を応募した。1か月後、母親の美穂は日奈子に電話をした。「日奈子、今週は何時ぐらいに島に来る?」という毎週尋ねる内容だった。すると日奈子は、「お母さん、私、今度の週末に首都圏でアイドルのオーディションを受けることになったんだ、私、暗い毎日にうんざりしていたんだけど、そんな中でインターネットで募集を見つけて応募したんだ。中学生のときに見たアイドルが忘れられなくて・・。もしかしたら、私が今したいことかもしれない。」と答えた。それを聞いた美穂も父親の康太も戸惑った。しかし少しすると、「日奈子がそういう風に思っているなら頑張ってね。」という言葉を贈った。そして、日奈子は首都圏でアイドルのオーディションを受けた。いろいろな人々が集まっていた。日奈子はそこで自分が好きになったアイドルの曲を歌った。自分なりに精一杯歌った。12月になり、通知が来た。結果は合格だった。メンバーを募集していたアイドルは、海崎エンジェルスという名称だった。首都圏の都市である海崎市は、工業で発展してきた場所だった。人口も増加していた。しかし、首都と縦間市という大都市に挟まれていて近年では影が薄くなっていた。そんな海崎市をアピールし盛り上げるために立ち上げることになったのだ。その後、日奈子は首都圏に行き、事務所の人々と会った。その時に日奈子は、「なぜ私が受かったのですか?」と尋ねた。すると、「歌がうまいとはそれほど思いませんでした。でも、立ち居振舞いが綺麗で姿勢もよかった。また、今時こんなに自然体に動く子はいないと思ってね。海崎市は工業地帯の要素が強いけど、里山もあってね。自然が豊かな地域のイメージにぴったりだと思ったんだ。日奈子さんは何かやっていたんですか?」と尋ねた。日奈子は、「中学生のときに剣道をしていました。剣道は、しっかりとした姿勢でないと相手とまともに向かい合えず戦えません。でもそれ以上に、きちんとした姿勢や礼のような振る舞いをしないと、対面する相手に失礼だと思うのです。私は、それが武道なのかなって思います。」と答えた。事務所の人々は納得したようだった。その後、日奈子は島の実家に戻った際、美穂達にオーディション合格に関して報告した。そして今後の話をした。歌とダンスの練習のために毎週首都圏に行くこと、そしてデビュー後は首都圏に転居することを述べた。日奈子は「お母さん、ごめん。高校、転校することになるんだ。」と言った。美穂は、「ううん、いいよ。日奈子が全力でするなら。私さあ、日奈子がずっと元気をなさそうにしていて不安だったんだ。日奈子って名前は日の光のように明るく育ってほしいという思いで名付けたから・・。だからまた日奈子が明るい表情を見せてくれて、お母さんは嬉しいよ。」と言った。康太も、励ましの言葉をかけた。日奈子の弟の健は、状況があまり理解できなかったが温かい態度で姉に接した。暗い表情をしていた日奈子を、健も気になっていたのである。2037年冬、日奈子は歌とダンスの練習に打ち込んだ。毎週通った首都圏へは4時間かかったが、日奈子が1番したかったことだから中学生のときに剣道に取り組んだ時のような熱を持っていた。もう無気力な日奈子はいなかった。そして、4月に遂に17歳になった日奈子は海崎エンジェルスのメンバーとしてデビューした。首都圏の高校に転校した。美穂と日奈子の間の物理的な距離は遠くなった。しかし、日奈子が積極的に動く姿に、母親の美穂は喜んだのである。
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