12歳
2000年3月1日に、当時小学6年だった私は、12歳だった。その月に、埼玉県の小学校を卒業したが、親の身勝手な行動によって6年間の小学校生活における最後の1年に泥を塗られたことが、今でも悔しくてたまらない。4月に、埼玉県の中学校に入学した。給食が美味しくなるなど、当初は小学6年の際の小学校よりも楽しかった。当時は詰襟とズボンの制服だったが、次第に女子が着ていた紺のセーラー服とスカートにドキドキしていった。見学を機に、5月に剣道部に入部した。当初は体育着で、基本的な動きばかり練習していた。6月の下旬頃に防具を付け始めたのだが、私には握力がなかったので面がうまくつけられず、それが大きな壁になり、さらに自信を失っていった。また、この年から塾に通い始めた。今思えば、なぜそこまで勉強しなければならなかったのだろうと思う。更に、当時は私の体も態度も弱そうに見えたためか、巨体の者にいじめの標的になった。世の中は結局、弱肉強食の世界なのかもしれない。そんな苦悩続きの日々の中で、私が唯一輝いた瞬間があった。合唱コンクールで指揮を執ったのである。小学5年までの目立ちたがり屋だった性格を活かして、大きく堂々と動いた。よく評価してくれる人もいたが、私の母親は否定的な見方だった。私を目立つ人間ではなく、自分の言うことを素直におとなしく聞く操り人形のように扱いたかったのだろう。こうして、20世紀は終わっていった。