教育は過去の自分を救えるか②
学生時代を振り返った時に
「あの頃が一番楽しかった!あの頃に戻りたい!」と声高らかに言う人もいれば、
「中学生時代は黒歴史ばっかりで…」と口ごもってしまう人もいます。
私はどちらかというと後者。
若さは欲しいものの、わざわざあの頃を追体験したいとは思わない。
かといって、学生時代を触れてはいけない暗黒のままにして記憶に蓋をしてしまいたくない。当時手を差し伸べてくれた人や確かにそこにあった楽しい思い出まで消してしまいたくないのです。
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約2年前の大学3年の頃から、だっぴという活動に関わるようになりました。主な活動内容は中学生や大人の方と対話すること。
参加者は8人ほどで1つのグループを作り、出題されたテーマへの回答をそれぞれ自分のフリップに書きます。
そして一斉にフリップを見せ合い、だっぴトークという名の対話が始まるのです。
私が活動の中で最も大切だと感じ、同時に難しいと感じたのはありのままの自分を表現すること。
変にプライドが高く、学生時代にも良い印象を持てていなかった私は、ありのままの自分を表現することに不安と恐怖を感じていたのです。
対話の中では大抵の場合、過去の自分について語る機会があります。中高時代に不登校の時期があったと初対面の人に伝えたのは、だっぴの場が初めてでした。
今も自分のことを話すのには若干の抵抗があるものの、最初の頃よりは自分のことを話せるようになってきました。
そんなこんなでだっぴに関わり続けて2年が経ち、母校の附属中学校でもだっぴが開催されることになりました。
自身の高校時代を振り返った時、大半は嫌な思い出です。
私は中学3年の秋~高校2年の冬まで不登校に苦しみ、その期間は向精神薬を飲んでいました。
人の視線が気になって落ち着かなる症状を抑えてくれる一方、薬の作用で表情が固くなり自然に振舞えないことも多々。
友人関係やごたごたに苦しんだ高校時代だったので、高校を卒業してからも整理できていないモヤモヤがありました。
そこで10月下旬に当時の担任の先生に会いに行くことに。元々は今年の3月頃に会いに行きたいと考えていたのですが、卒業できなくて立ち消えになっていたのでした。
こういう突発的な行動力はあるんです…笑
その方は現在教員をされていないのもあって、連絡をとると簡単に予定を合わせることができました。
自分がいまフリーターをしていること、大学時代から始めた活動のこと。一時間半ほど話をしても物足りないくらいでした。
「表情が固くなくて安心したわ~」
高校時代のことを掘り返すことはあまりしませんでしたが、先生のこのひと言が何よりも嬉しく感じました。当時の私をちゃんと見てくれていたこと、昔から変わらずひとりの人間として自分と向き合ってくれていること。
この方が担任で良かった、出会えて良かったと感じました。
一度先生に会って過去を振り返ることができたため、だっぴ当日は大きな懸念もなく参加できたように思います。
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そして11月のだっぴ当日。
スタッフ側の自分が言うのも何ですが、とても良い場ができていました。
「中学生の純粋な眼差し」
「大人が中学生の話を懸命に聞き取ろうとする姿勢」
何よりもこの2つが見れて気持ちが高まりました。
私が在学していた頃は中学校がまだできていなかったものの、自分がかつて学校生活を送った場所にこういった形で戻って来れて、感慨深いものがありました。
出席日数が足りない云々で心配をかけた、当時の学年主任の先生。いまは中学校の方で勤務されており、短い時間ではあったもののお話することができました。
「また遊びに来いよ!」
最後にかけてくれたこの言葉で、過去の自分も何だか救われました。
いくら良い思い出ばかりではなくても、自分の高校時代もこの日のためにあったのかもしれない。そう感じました。
過去を変えることはできなくとも、過去に対する自分の捉え方や印象を変えることはできる。
過去の自分は救えなくとも、これからを生きる子どもたちに伝えられることがある。
次は自分の出身中学でだっぴが開催されることを期待しています。その時は何としてでも参加したい。
何もかも順風満帆で生きてきた人よりかは、寄り道しながらでも何とかやってきた人の方が、語れることは多いのかなと思います。
留年ネタで友人と話すことがあるように、自分の辛い経験もいつかネタに昇華できたら、そこそこ強い男になれそうです。
教育を生業とする人のモチベーションには、過去の自分への後悔や悲哀もあるのかもしれないなあと思いながら、第1考にしては長くなってきたのでこの辺りで…
ではまたノシ
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