見出し画像

教育は過去の自分を救えるか①

やっと書き出すことができました。
これまでの自分を振り返るシリーズ。

私のこれまでの20数年の人生を振り返ると、教育に触れていない期間はほんのわずか。
英才教育のようなものは受けた記憶がないので、幼稚園~大学4年までの18年ほどの期間、私は教育機関の中で育ってきたと言えます(何か韻踏んだ)

大学院などで研究を続ける人や教育者となる人は、これよりも遥かに長い年月を「教育」とともに過ごしていくことになります。
いずれ親となり子どもが生まれれば、今度は親の立場として教育に向き合う必要が出てくる。
人が暮らす地域には大抵子どもや学生がいますし、災害の際に避難するのは体育館といった学校の施設。
濃度や立場に差はあれど、人はずっーーと教育に関わりながら生きていくんだろうなあと感じます。

20代の私が自分の過去を振り返るということは同時に、これまで自分が受けてきた教育を客観的に評価することにも繋がるわけです。
そして、「これからの教育に何が必要なのか」を自分の意見として持つきっかけにもなると考えています。

つまり、このマガジンで書いていきたいのは「学校に通っていたあの日の自分について」となります。
私の学生時代はなかなかにヘビーな思い出が多いので、いかに感情的にならず当時の自分の状況と向き合えるかがポイントとなりそうです。
また自分は教育者でも何でもないただの市民なので、ゆる~く教育について考えていく予定。
当時のことを思い出しては落ち込むことも時折あるので、遅筆な私が書くこの記事はなおさら投稿スピードはゆっくりめかと。

こんな苦行のような状態になってでも記事を書いていくのは、大学を留年し挙句の果て中退した自分だからこそ、書けることがあると思うから。
留年に至った経緯やその時の荒んだ心理状態については、ボチボチ書いていくこととします。
というか、留年・中退の流れをあまり人に話しているわけでもないのにnoteにするのはいかがなものかと考えないこともないですが、あなたがこれを読んでいるということが全てを物語っています。

そしてnoteを書いていく上で、自分の過去をきれいに整理してから次に進みたいという思いもあります。
心機一転して新しいことにチャレンジしても、自分の過去に折り合いをつけられないままはマズイです。
これまでの自分がそうでした。
モノはちゃんと捨てるなり片付けたりしないと、新しく増えたモノでより一層部屋が散らかってしまいます。
それは人のこころも同じ。

さて、ここからやっと本題の「教育は過去の自分を救えるか」についてお話しできますね。


と思ったのですが文章がかなーり長くなってしまったので、
後半に続く(声:キートン山田)ということでお願いします。
初っ端から2本立てとは豪華ですね。
まあ初回2時間スペシャルということで。

ではまたノシ

読んだ感想をいただけるだけで、跳びあがって喜びます。