世界は積読に溢れている 6

 世界は積読を隠している。
 書物が堆く積まれていてこその積読ではないでしょうか。そうじゃないと感じが出ない。
 しかし21世紀になり、普段は遠くにいて、呼べば手のひらサイズで現れる書籍が登場して、積読の概念が揺らいでいる。個人的に。

 電子書籍というものがある。場所をとらないし、出先でもすぐに読めるし、とても便利だ。
 購入も指先だけで終了するから、セールの時とかにどんどん買って、読めないまま放置して、そして溜まった未読のタイトルの羅列に、戦々恐々としている人も多いかもしれない。場所をとらないから、余計に増えていく。
 そのように、買った本がいつか読まれる日を待って、そこに置かれているという状況としては、これも積読だ。ある意味、というか、積読に違いないのだろう。
 でもなー、積まれてる感ないんだよなー。
 電子書籍だろうがなんだろうが、状況的には完全に積読だとは思う。
 リアルもデジタルも、文字というテクノロジーを使っているという意味では同じだし、買うだけ買って読まずに放置するという意味でも同じだし、電子書籍でだって黙読も音読もできるから、積読だってできるだろう。
 ただなんかこう、積読という言葉が持つ情緒は失われる。詰まるところ、感じが出ないんだよなー。積読というからには、目の前に物理で積んでおきたい。

 とかいう個人的な情緒の話は置いとくとして、電子書籍のことを考えると、この文章のタイトルはこうなる。
 世界は積読に溢れ返っている。

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