![いのちの子守唄](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12298943/rectangle_large_type_2_55487b7600232df36723e30a27155b90.png?width=1200)
いのちの子守唄
今日も今日とて、僕の心臓は止まることなく一定の速度で鼓動を刻み続けている。
いつもだいたい同じ時間におなかが鳴って、大きなため息の後にはゆっくりと深く酸素を吸い込んでしまう。
そんな当たり前すぎる不変の事実にさえも、今はもう絶望に似た苦しみを感じてしまうのはどうしてだろう。
僕はもう早くも僕の人生に絶望しているのに。
僕の孤独も哀しみもつゆ知らず、この体は今この瞬間も、そのいのちを明日に繋ごうと、変わらず気づかないところで活動し続けているんだって、そんなことをありがたいとも思えずに恨んでしまう僕が、なぜだかここには確かに存在している。
それでも僕自身で僕の終わりを決めてしまうほど、おこがましく我儘にはなれないという僕の弱さや人間らしさもそこに共存しているわけで。
もういいよ。もう充分頑張ったよ。
僕はもう、疲れてしまったんだ。
きっと君たちもこれまで1日も休むことなく動き続けて、僕が何も気にしていないのにも関わらず、ひたすら僕のために働き続けて、少しくらい疲れているんじゃないのかな。
だから、もういいよ。君たちももう休んでいいんだよ。今までありがとう。
そんなことをどれほど言い聞かせてみても、そんな言葉など全くと言っていいほど聞き入れる気などないように、強くいのちを紡ぐ僕の体が、僕は今少しだけ憎たらしくて、同時にそんな僕自身がたまらなく虚しい。
そんなことを言いつつ、僕は今日も淡々と食事を作る。
あの日、あの人のために作ろうと思っていた親子丼を作ろうとして、あぁそうだダイエット中だったなんてことを思い出して、ご飯を炊かずにただの卵とじにするため、新玉ねぎをリズムよく刻む。
ただ食欲を満たすため、だなんていいながら、一品だと何だか寂しいからと、みそ汁と添え物まで用意する。
僕が食べるだけのものなのに、あの頃喜ばせたいと何品も作りすぎた日の高揚感なんて全くないのに、それでも自分のためだけにただ淡々と作り続ける。
そしてテレビの音が響き渡る静かな部屋で1人ご飯を食べ、洗い物をして、お風呂に入り、部屋を掃除して、コーヒーを飲みながらPCを眺め、そしてふかふかの布団に入ると眠い目をこする。
早く時間が過ぎ去り、僕の鼓動が止まるその日が早く訪れてくれることを少しだけ祈りながら、現実から逃げるように夢の世界へと旅に出る。
やっと今日が終わることに安堵しつつ、明日がまたきてしまうことに心の底では怯えながら。
そうはいいつつも、きっと明日も目が覚めたらきっと1人、ベットメイクをして顔を洗って、洗濯をして、PCの前でコーヒーを飲むんだろう。
僕のからだが必死にいのちを繋ごうとするうちは、きっとまたおなかがすくし、眠くなるだろうから。
そんな欲求を満たすだけでは飽き足らず、いわゆる人間らしい生活を淡々と繰り返してしまうのだろう。
哀しくも切ないそんな寂しい日々を完全には嫌いになることもできずに、また明日もその次の日も、鼓動に引きずられながら、それでも自らの足で、ただただ生きることを選んでしまうのだろう。
あぁ。そうだ。そうしよう。
もし、明日、目が覚めてしまったとしたら。
こんなことを考えることができてしまう幅広い思考力と、哀しみや孤独を感じられてしまう多様な感性と、それでもって生にしがみつこうとしてしまう強欲な野性性を、兼ね備えた人間という生き物に生まれてしまった性に絶望をかみしめながら、86400の鼓動をこの世界に刻んで、そしてまた残りの数を気にしながら明日の夜明けを待ち、眠りにつくこととしよう。