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漫画『とりかえ・ばや』を、不妊症患者が読んだ。
『とりかえ・ばや』は、「とりかへばや物語」という古典を、漫画家のさいとうちほさんがアレンジした少女マンガ。
何巻か試し読みできたら、まんまと最後まで買ってしまうんだよな。お小遣い少ないのに…。
構成や設定は、現代の少女マンガとして成立するよう、それなりに改変されているとのことだが、
それにしても、令和まで読み継がれるこのファンタジーが、平安時代に書かれたというのだから、本当にびっくりだ。
沙羅双樹と睡蓮が繰り広げる「わたしたち」「僕たち」『入れ替わってる!?』。それに振り回される、石蕗、帝、四の姫、ほか。
それぞれにツッこむべきポイントはあるのに憎めない、魅力的なキャラクターたち。
男女逆転系の話は『君の名は。』みたいにやや気持ち悪い感じになると思っているが、
こちらの作品は、むしろそういういざこざがバッチリフィーチャーされて、ジェンダー論も火サスもびっくりのドロドロ具合で、大変良かった。
梅壺の女御。
わたしは物語や何かを楽しむとき、自分の身の上を通して読んでしまうので、ここから書くような感想になってしまうのだが。
今わたしは、メインどころの登場人物を差し置いて、嫌われ者の梅壺の女御のことを想わずにはいられない。
不妊症、平安時代にもあったってことか。
梅壺の女御は、世継ぎを産む役目を背負って帝の妃になったはずが、長く子どもができない人。
この設定だけでもう苦しい。泣ける。
闇雲にでも妊活できるならまだしも、諦められてしまった梅壺氏は、相当な絶望を抱えたはずだ。
「なんで私には子どもができないんだろう」
「子どもができない私の存在価値って」
思ったはずだ。時を超えて共感する。
普通の医療すら未発達の平安時代。
不妊治療どころか不妊の概念も曖昧で、何と闘うわけでもなく、やる瀬無く時間は過ぎただろう。
梅壺氏が現代に来て検査したら、何か原因が見つかるだろうか。
別の女御も子どもできないって描写があった気がするが、1000年以上前は衛生用品もなかっただろうから、もしかして今より不妊は多かったのかな?いや出産年齢が低いからそんなことないか。
平安時代の苦しみに思い馳せた。
そして、梅壺の女御が心の闇に流され、付け込まれるさまが可哀想で。
いじめはダメ、絶対。苦しいからとて一連の行為が許される訳はない。
梅壺の女御は嫌なヤツだ。…だけどね、現代なら、ここまでヤバいヤツにはならなかったとわたしは思う。
令和の世は、不妊の原因をある程度探って対策が取れるし、10人に1人は体外受精で生まれた児だ。SNSでは同じ悩みを持つ人がいることを知れる。孤独だけど、孤独じゃない。
時代が違えば、誰もがこの人みたいになる可能性があるんだ。
思えば、夫である帝の態度も酷い。
へいちゃらな顔で妻に責任押し付けて別の若い妻探しよるけど、一夫多妻でどの妻にも子どもおらんのやから、お主、な…?
現代の男の人は、不妊ならばちゃんと自分も検査しましょう。
ふう、梅壺の女御ガチ勢になってしまった。
(ちょっと時間経ってから思い出しで記事書いてるので、誤認があったらごめんなさい。)
最後に、あと一つだけ。
それがただの執着だとしても、良し悪しはあれども、帝の側に居続けるのを辞めなかったのは、梅壺の女御の強さだと思う。強い人、尊敬できる。
わたしも心の闇を飼い慣らすことはできていないけど、泣いて暮らすだけじゃなくて、
恵まれた環境にいるのだから、できるだけ腐らず、真摯に前向きに生きていきたいと思った。