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アドバイスの難しさ。弟のドグマ

お母さんと他愛ないお喋りをしようと
実家に帰ったら、弟が先に話し中で
気づいたら家族会議になっていた。

求められて、わたしが考える彼の足りない部分をアドバイスしたつもりだったのだが、
最終的に彼が「今回の会議で、俺はまたドグマに陥るかもしれない」と宣言しお開きとなった。

ドグマ…。

フジテレビには到底及ばないものの
それなりに時間をかけた答弁だった。

有意義な時間を過ごしたつもりになっていたわたしは、彼の宣言に衝撃を受けた。

わたしが気持ち良くなりたかっただけなのか。


確かに、わたしはそもそも
仕事でちょっと面倒くさいヤツと話して疲れたから、お母さんに甘えに帰ったわけだった。

今回の会議は、傾聴とは異なっていた。
だけどそれは、発散でわたしが一方的に喋りたかったからではなく、
彼に相談される形で話した結果、谷へ突き落としてほしいんだと判断したからだった。

やりすぎた。
弟を可愛がっているつもりの言動が、
相反して彼を縛るのか。

気をつけていたのに足りなかった。
弟からしたら、わたしも面倒くさいヤツの一派でしかないんだろう。
帰り道に反省した。


何者にも縛られない人生は難しい



そういえば、わたしはドグマの言葉の意味が良くわかっていない。

「dogmatic」は形容詞で、教義を絶対的に信じる態度や、他の意見を容認しない態度を指す。「dogmatism」は名詞で、教義を絶対的に信じることや、他の意見を容認しない思考態度を指す。

weblio 国語辞典より

彼が言いたかったのは、
アドバイスを受け入れたくなくて、自分の思考の渦に囚われるということだろうか。


そういう気持ちはもちろんわかる。
わたしは、相談やアドバイスを求めたからといって、全部を受け入れる必要はないと思う。
そんな深く葛藤せずに、好きな意見を気軽に取捨選択してくれたら良い。


年長者への相談は、
先人の声を聞いて参考にするため。
家族間の相談は、
気持ち良く居るための擦り合わせ。

姉は上司でも何でもないのだから。

自分の人生を豊かにするための選択が
独善的で何が悪いんだ。


こう思うのは、
わたしのドグマの押し付けなのだろうか。
わからなくなってしまった。

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