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気持ちよく過ごせる世界に生きる

本を読んでも、Twitterを見ても、色んな人が色んなことを言っている。

「成功者」と慕われている人を見ても、ひとりひとり考え方はまったくちがっている。

たとえば、努力は報われるかどうかについて。

王貞治は「努力は必ず報われる。報われない努力があるなら、それは努力とは言えない」と言っているけれど、林修は「じぶんの勝てる世界で人一倍努力しよう」と言っている。

どっちが正しいかは誰も決められない。

そもそも一生において、何かを成し遂げることでさえ、正しいとはいいきれない。

ただ、空気を吸って生きているだけで偉いんだ、という考え方があってもいい。世間の評価・承認など目もくれずに。

じゃあ、僕たち私たちは何を基準にして生きていけばいいんだろう。

自分の都合にいいことを選ぼう

結論から言ってしまう。

常に自分の気持ちを基準にすればいい。

相手の発したことばを「何度でも聞いていたい」と思えるか、「聞きたくない」と思うのか。

自分の心の振れ幅に敏感になること。

これが生きていくための軸になっていく。

相手のことばは、都合よく選んでいい。

全部受け入れて、どのことばが正しいかなど、考える必要はない。

どのことばが自分の人生に都合がいいかだけ、考えればいい。

都合のよい生き方なんてしていいの?

きみはこう思うかもしれない。

他人の自由を認めることができるのであれば、自分も自由に生きていい。

そもそも、本来人間は都合がよくないと生きていけない生き物だ。

お腹が空いたらご飯を食べるし、トイレに行きたくなったら席を立つ。

無理だと思ったら、恋人と別れる。

「そんなの当たり前だ」と思ってしまうような行動もすべて「自分の都合」。

結婚するのもしないのも、自分の都合だし、子供を産むも産まないも、自分の都合だ。

だから、もし学校に行きたくないのなら、学校に行かなくったっていい。

なんで?

学校に行く暇があったら、その時間に自分が気持ちよく過ごせる環境を探したり、創り出したりして、生きやすい世界を創れるから。

そっちの方が、長い目でみて人間らしく生きられるようになるから。

もちろん学校は必要だと思うのなら、学校に行った方がいい人生を送れる。

自分に都合のいい世界がみんなの価値になる

気持ちよく生きられる世界を創り出していくと、人が集まってくる。

おもしろいね、教えてよ、と。

ただ過ごしやすいように生きていることが、みんなにとって価値あるものになっていく。

もちろん、異論を唱える人だって集まってくる。

でも異論を引き出せるだけのことを成し遂げた、ということでもあると思う。

むしろ、反対派が出ることでじぶんの生き方に一層価値が生まれる。

インターネットが発達して情報が行きかう今は、なんだってひとつの価値になってしまう。

色んな人が色んなことを言うけれど、自分の過ごしやすい世界を形にし続けることが、誰かの新しい世界を創り出す。

ノイズをかき消すため、心に耳栓をして、しばらくきみだけの世界を創ることに励んでいいんだよ。

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