曇り空の、裏側
私はときどき、なんともいえないことを、考えます。
人生であんまり、重要じゃないと思われることを。
たとえば「自分から見れば四角に見えるものは他人には丸に見えてるんじゃないか」とか。
今日はひさびさに空が雨雲で埋め尽くされていて、「曇り空の裏側ってどんなんかな」なんて思っていました。
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そこで、曇り空の裏側について色々考えてみました。
そうしたら詩ができました。
これ。
よく詩を書くことは多いけれど、「これが『痛い』って言われるものなのかぁ」とか思いながら、なんとなくつくってみています。
これにメロディーをつけて歌にすれば、すこしマシになるのかもしれません。
文字はゆがんでいますが、パソコンの編集ソフト(?)で書きました。
一応、背景は今日の新鮮な曇り空の写真です。
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「”目に見えるものの裏側に隠れているもの”を見てみたい気持ち」って、無くしちゃいけないなって思っています。
自分がいるところから見えないものを、一生懸命想像することで、たぶん人間は生きるのが楽しくなるんじゃないかなと思うんです。
そういうことを、「希望」と呼ぶのではないかって、私は思います。
それは現実でも、空想・ファンタジーの世界でも同じことだと言えます。
現実世界だったら、たとえばこんな感じです。
「駆け出しのバンドを結成したけれど、東京ドームでコンサートをやるってきっとこんなふうだろうな」
空想・ファンタジーだったら、こんな感じ。
「現実だとあり得ないけれど、虹の下にはきっと魔法使いがいて、ぐつぐつ鍋をかき回して虹を作っているんだろうな」
こうやってまだ見ない世界を自分の好きなように想像(イメージ)することは、きっと新しい世界を、自分だけの世界観を創造(クリエイト)することになる。
だから私は痛いのかもしれないけれど、今日はこのnoteに作った詩を出してみました。
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曇り空の裏側を想像して、それを形にして実現するのって私にはとても面白いことです。
たぶん自分の人生は、そういった遊びをするためにあるんじゃないかなって思っています。
なんとなく自分の中に生まれた形の無いものを、形にして出してみるんです。
形にして出してみることが何より大事で、笑われたり、何か言われたりするかもしれないという恐怖よりも、「とりあえず出してみよう」と思う気持ちが勝っています。
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ここ4日くらいはずっと晴れの日が続いていました。
でも私は今日みたいな分厚い雲り空も捨てたもんじゃないな、と思っています。
雲の上の景色はどんなんだろうなって、考えるのがたのしいから。
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