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楽しいから美味しいんだ

食べる事が好き

私は食べる事が大好きで、夫も好き嫌いなく何でも食べる。そんな私たちから産まれた二人の息子たちも、もれなく食べる事が大好きだ。実母いわく「あれだけ食べるあんたらから少食の子どもが産まれるとでも?」ごもっともである。
そんな息子たちの離乳食期は出したものは基本完食だったのでそれはそれは大助かりだった。2歳くらいから好き嫌いが出始めたが、あれきらーい、これやだーと家では言いつつも幼稚園や一時保育の保育園では揃って完食、お代りもザラだ。
今食べれないものもそのうち大人になれば食べるようになるだろう。そんなに心配はしていない、ただ別メニューは面倒なので食べたくないものは自分で皿の端によけて欲しい。

忘れたくても忘れられない食事

全くもって楽しい話ではないが、まだ夫の両親と同居していた一年ほど前に忘れられない出来事がある。長男が幼稚園行かないと言い出し少し休ませて様子を見ようと決意、夫の両親にもその旨伝えた当日だったと思う。夫の両親は無理やり行かせるべきだと主張したが、なんとか何も言わずに様子を見たいと話しをした。
夕食は長男の大好物の餃子、一人で10個はぺろりと食べてしまうので沢山作った。私、長男、次男、夫、夫の父の5人で食べ始める。
もちろん長男は大好きな餃子から食べ始めた、いつもの事だ。すると夫の父が「ごはんも食べなさい」「好きなものばかり食べて」「後に残すと食べられない」等々長男に向けて指示を出し続ける。普段から食事中に限らずあれこれ指示出し大好きだった夫の両親だったが、ペースが異常だった。私には、幼稚園に行けと言えないからそれ以外の事で長男を自分の思う通りに動かしたいようにしか見えなかった。
恐ろしかった、胸がつぶれそうだった、長男に向けられる言葉を遮りたかったが、それでは火に油を注ぐ事になり、私も夫も言葉を失っていた。夫の父は人から意見や指図されるのが受け入れられないタチで、私はそれまでも何度か衝突していた。夫の父は自分でも何かを感じたのか指示を出しながら食事をかきこみ、早々と自室へ戻っていった。
長男は、かじりかけの餃子を皿に戻し「もうごちそうさまする…」と箸を置いてしまった。あり得ない、いつもなら2回も3回もお代りしてお腹の心配をするまでがデフォルトの餃子を、1つか2つしか食べないだなんて。夫の父の様子を伺っていただけで止めに入らなかった自分の選択を悔やんだ。
入れ違いに食卓にやってきた夫の母の態度がひどく場違いに感じる。何か話しかけられた気もするが、右から左で頭には入って来なかった。
その夜、このまま同居しながら長男を守る事は不可能である事。できるかぎり穏便に、小学校入学までの所で別居に持ち込もうとしていたけど、一刻の猶予もない事を夫と話し合った。それから約1ヶ月後に引越し、一日でも早く離れたかった。

「お母さん食べさせて」のワケ

長男は年中になっても毎日のように「お母さん食べさせて」と言っていた。「いいよ~と」食べさせる私。それを良く思っていない夫の両親は「自分で食べれるでしょ」と毎日言っていた。一人で食べなさいと指示していた事も少なくない。一人で食べたら食べたで「ちゃんとお茶碗もちなさい」やらなんやら言っていた。
別居して、新しい家になって、ゆるーい食事になった。「お母さん作ったから一口は食べてほしいなー」や「お皿気を付けて~」なんかは言ったりするけれど、ひたすらキノコ類を私の皿に移す長男や白飯ばっかりお代りする次男、休日前にビールを心ゆくまで飲む夫とか、「今夜はお父さんいないからお蕎麦ゆでまーす」に「やったー」と返してくれる子どもたちに助かっている私。
いつの間にか、長男の「お母さん食べさせて」はなりをひそめていた。おそらくだが、自分で食べるとああしろこうしろの指示が飛んでくる。その指示から身を守るための「お母さん食べさせて」だったのではないだろうか。
指示とは用はダメ出しで、言わば食事中ずっとダメ出しを食らっている事になる。精神的なダメージは底知れないだろう。自分で食べさえしなければ「自分で食べれるでしょ」とは言われるもののそれで終わるのだ。指示が続く訳ではない。
思えば夫の両親はやたらに「○○できた」を多用していた節がある。出来てなくても、「出来るでしょ?」といった感じで使っていて、それもまた暗に「出来なければ駄目である」と言われているような気になるのだ。

食事で優先されてしまうものたち

食事は楽しく、よく聞く言葉。でも、実際楽しい食事ができているだろうか?せっかく作ったものをやだーと言われる悲しさ。食事マナーがなっていないと後々苦労するのではないかという不安。好きなものばかり食べて栄養が偏るのではという懸念。それでも、楽しく食べる事以外に何が必要だというのだろう。
皆で楽しく食べるために、食べなくてもいいから「きらい」「いやだ」と言われたら作った方は悲しくなる事を知ってもらう。肘をつかないで食べるというマナーは嫌な気分になる人が出ないように気を付けるルールであると知ってもらう。栄養の偏りだって食べる事が嫌いになってしまえば元も子もないだろう。子どもの頃なんて、これで十分じゃないだろうか?
あとはひっくり返したりこぼれたりすれば自分で拭いてもらえばいいだけの事。服だって洗濯機が洗ってくれる(うちは乾燥までしてくれる!乾燥機付きを選んでくれた夫には感謝しかない)。

『楽しい』に勝るものなんて存在する?

今日あった事を伝えあったり、笑ったり、急に変な顔やダンスが始まったり、およそ落ち着いた食事ではない。時にはうんざりしたり、いいかげんに食べ終わってくれと急かしてしまう事もある。それでも、楽しい気分で食事できた時、それに勝る『美味しい』はこの世には存在しないのだ。あの出来事があったからこそ断言する、楽しい食卓を囲む事のできる今が本当に素晴らしい。

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