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本棚:『嘘つき女さくらちゃんの告白』

美少女だけど中身は空っぽの嘘つき。でもその可愛い顔でニコッとされたらどうでもよくなるのかもしれない。何かの思い違いだと言い聞かせて。

簡単に言ってしまえば、八重子(「さくらちゃん」と呼ぶのも嫌なので…)は、サイコパスなのかもしれませんが、嘘の程度の差こそあれ、人をうまく利用して…というのは世の中ではたくさんあるのでしょう。なぜ才能のない人間が、才能のあるフリをするのか、しかも他人のものを盗んでまで。読んでいて腹立たしく思ってしまったけれど、本当は仕事ができないのに仕事ができるフリをするというか、自分は仕事ができると勘違いしているというか。はたまた、同じ内容でもあの人が言うとダメなのに、別の人だとOKという場合に、事を進めるために、これは○○さんの考えってことにしたり…、なんてことならあるよなと。嘘も方便とは言うけれど、どこまでが許される範囲なのかな。
宮部みゆきさんの『火車』を読んだとき、他人の人生を奪ってまで幸せを手に入れたいものなのか?と衝撃を受けたことを思い出しました。諦めることは悪いことじゃなくて、自分に合った方向性を明らかにすることで、諦められないということは、大人になれていないというか、自分のことをちゃんとわかってないというか、そういうふうにも考えられるかなと。
10代の頃は、友達が自分と同じものを持ったり真似されたら、真似したくなるほど、私の持っているもの、やっていることがいいんだ!と嬉しかったものですが、いつの間にか真似されると「教えなきゃよかった」と思うようになりました。そんな私は、自分には何かあると思っている勘違い野郎なのかもしれません。まぁ、「変わってるね」は誉め言葉だと思ってますので。


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