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【別冊をとめ】杜野凛世──本邦の創作における伝統文化について【まとめ・感想】

 本記事は『アイドルマスターシャイニーカラーズ』にて2022年11月6日現在開催中のイベント「FesTours」の報酬sSRコミュ、『【別冊をとめ】杜野凛世』のまとめ・感想コミュです。
ネタバレをします。
 FesToursに参加すればすぐに手に入るから、ゲームシークエンスごとに何度か挟まれるロードや選択回数に苛々して、ややうんざりして、ミッションの報酬を得て、コミュを読んで、それからまだ読む気力があって、その上で「はぁー……!」よりも多くの何かを得ることを望み、「はぁー……!」という気持ちを喪ってしまうことへの覚悟があるのであれば、この記事を読むと良いのではないかと思います。

本記事の主旨

 【別冊をとめ】杜野凛世では、本コミュにおいて描かれた本邦の創作活動における伝統文化を紹介します。そしてそれを通して、今日において繁茂し、増長しがちな百合のオタクを掣肘することを目的とします。
 世界に生きるオレたちは、何をやってもバトって……そして、淘汰されてゆく。そういうふうにできている。

本邦の芸術における伝統文化および日本語について

 【別冊をとめ】杜野凛世では、本邦の芸術における伝統文化を取り扱っています。私達の認識上の態度における特徴であると換言しても良いでしょう。
 これは私たちの用いる日本語という独特な言語に表出しています。

 そもそも今日の現代文は、源氏物語に連なる和歌のキャプションとして発達したような風合いがあります。極めて女性的だと言っても良いでしょう。理知的な文章を書くのにこんなに向いていない言語もそうはないはずです。

 外国語と比較しましょう。
 実に簡単な例を挙げると、まず日本語では省略、特に主格の省略が非常に多い傾向があります。
 例えば日常会話でもそうではありますが、古典で習う源氏物語などを思い返せばよろしいかと思われます。この作品を読もうとすると、全編を通して主格の記述に欠き、用いられる敬語によって主格を類推しなければいけません。主格の欠如が著しいことには特に身分の高い者、こと天皇などに至ってはそうです。

 これに対して、日本人には到底容認できない文章として名高い、外国の小説にある女性の容貌についての描写を紹介します。翻訳文かつ現代仮名遣いではありますが、飽きるまでは頑張って書き起こしてみます。
 《艶消しの金色の髪が人目を惹く彼女は、確かにエヴァを記念するために言うのだろうと思われるが、あの天女にもませほしいと称される金髪の、肌はといえば、肉の上に貼られた絹紙が手に眼を妬ませて見る目の太陽に当たると花やぎ、冬にあうと震えるのにさも似た繻子のような肌の女性の仲間に属している。こうのつるの羽のように軽く、イギリス風に巻き毛にしたその髪の下の額は、それこそ清らかな恰好をしているので、コンパスで引いたかと思われるばかりで、思想の光で輝いてはいるが、いつも慎み深く、静けさの極平穏なほどである。とはいうが、いつどこで、これ以上に淡白な、これほど透明な明確さを持った額を見ることができたであろう。それには、真珠のように、艶があるように思われる。灰色がかった青の、子供の眼のように澄んだ両の眼は、弓なりの眉毛の線に調和して、子供らしいいたづら気と無邪気さをすっかり見せていた。その眉毛の反りがまた、筆で書いたシナ画の人物の眉の根と同じような植わり方の根によって、僅かにそれと示されているだけなのだ。こういう才智に富んだあどけなさは、その上なお眼の周りやそちこちのくまや、こめかみの、こういう繊細な肌色に限って見られる、(毛細血管の描写中略)。顔立ちは(中略)。頸は(中略)。唇は(中略)。(中略)、(中略)、(中略)……。モデストは、好奇心も羞恥心も強く、自分の宿命を心得、貞潔さに満ちた娘だったのだ。ラファエロの処女というよりむしろエスパニヤの処女だったのだ。》(バルザック『モデスト・ミニヨン』寺田透訳、一部改変)
 小説における登場人物の顔貌というのは、ただ初めに「世界一の美女である」と書き、その後の物語における描写によって世界一の美女を描けるものです。
 それにも関わらず、上の文章では名詞、動詞、形容詞、副詞を多数、また句と節を繰り返し繰り返し用いて書かれています。
 不必要であるにも関わらず、西洋人はこのように極めて強く描写を重ねることがあります。その結果として、私たちはこの女性の具体的な顔立ちというものを描き出すことなどできなくなるわけですが、彼らは細部に渡るまで明晰な説明をしなければ気が済まないか、それとも言語の理知を盲信しているか、あるいは文章を書くことに謎のステイタスを感じているのだと思われます。
 こういった文章は、日本人の日本語による文章では決して見られない、あったとして悪文であると断じられるに違いない文章です。

 また、日本語は語彙も少ないです。
 谷崎潤一郎の名著『文章読本 現代口語文の欠点について』において紹介されているものを例に挙げれば、「まわる」という表現だけを取ってみても、中国語では「回」、「転」、「廻」、「周」、「循」、「旋」、「巡」……など多様にあります。今日の日本では、執筆当時よりも「まわる」という言葉に多少の変化があるといえども、運動の様式に応じてこれらの用法を厳密に使い分けることはありません。 
 しかし、一方で日本語では非常に語彙の発達した豊富な類型があります。それが敬語です。これは他の言語に類例を求められないほどに多い。目上の者の行為を、日常言語によって表さない意図が顕著に見られます。

 つらつらと並べましたが、日本語は、対象を観念に抽象するという言語そのものの機能が極めて低い。特に、その特徴においては、自身の存在証明に関わるような他者に対する保守の心情の強さから、あるいは美しいものへの愛好からくるのだろうと思います。外在する主体の主体性、つまり美の減損への忌避、ありのままを肯う心持ちの大きさがあるのでしょう。
 畢竟、その態度の表象となる描写というものは、対象自体を抽象しない暗喩に富み、対象自体を直截に表さない仄めかす表現が好まれるようになる。
 
 これ以上に例を挙げるとエスパニヤの処女よろしく余計な分かりにくさに繋がってしまいますので、ここでは、こういった態度への収斂こそが本邦の文化といって差し支えない、と結ぼうと思います。
 『【別冊をとめ】杜野凛世』では、このような言語としての日本語の性質に触れながら、知らず知らずのうちに文化的伝統を引き継いでいる今日の文化の表出や、保守というものの素朴な心情が描かれています。

まとめ

 ここからは、『【別冊をとめ】杜野凛世』の内容を全体から振り返り、各話【解釈いたしませう】および【まみ伏せればきらきらと】について内容や表現を踏まえてまとめます。

コミュの主題

 コミュ全体の主題は、目前の尊重、特に本邦の言語と芸術文化における伝統への収斂としての発露です。
 主題に合わせて、全編を通して直截表現を弾圧し、暗喩に暗喩を重ね、暗喩しまくる非言語的作品となっています。要BGM、場合によっては要アルコール(認知機能の低減のため)

あらすじ

 杜野凛世は放課後クライマックスガールズのメンバーと少女漫画の一場面の解釈について話し合う。
 後日、自身が住むアイドルの寮にて西城樹里が早朝ランニングに出かけるのを見送り、帰宅した彼女とともに勉強をする。杜野凛世は、勉強の途中で居眠りをしてしまった西城樹里の寝顔を眺める。

【解釈しませう】

放課後クライマックスガールズの面々が、いわゆる「胸キュン」な一場面の、いわゆる複雑な乙女心について語らう。少女たちはめいめいにこの場面を解釈する。

 まずは一つ目のコミュ【解釈しませう】についてです。
 このコミュでは、典型的な少女漫画の一幕とそれについて語らう放課後クライマックスガールズの少女たちを描きます。

 まず、作中の少女漫画『制服♡パラダイス』に登場するキャラクター「セーラー」と「詰め襟」を描写する一場面について話し合います。

sSR【をとめ大学】より

 「詰め襟」は幼馴染の「セーラー」に想いを寄せているものの、「セーラー」は同じく幼馴染の「ブレザー」に心惹かれているようです。いわゆる三角関係の彼らは、幼馴染への友情と恋心の間、禁止と侵犯の揺れる綱の上で苦しい均衡に耐えています。

 本コミュで語られる場面では、登場人物の主観を通したかなりハイコンテクストな叙事および昂ぶった叙情が行われています。また表されるのはエロティシズムです。
 ここでの表現では、叙事が叙情の中に暗喩され、独白の主格が大胆に省略されています。
 この後に続く放課後クライマックスガールズのやり取りにおいても、この少女漫画の場面における細やかな状況の説明や独白の明確な主体は示されず、コミュ全体を通しても高次の暗喩に留まります。

誰が独白しているのかは示されない。

 どうやら、「(どちらかが)目を閉じて眠っていた。(眠っていた方は)目を開ける前に、(眠っていない方が)静かにこちらを見つめていて、『まつ毛、長いな』と呟くのを聞く」場面であるようです。「こんなに近くにあいつがいて」という言葉も、男言葉で「詰め襟」くんらしくありながら、男女同権の社会風潮も踏まえた「セーラー」でもあり得ます。
 この場面に添えられた独白は、シャンプーの匂いや、吹く風や、それに揺れて擦れ合う草木や、そして、長いまつ毛を語っています。
 小宮果穂が言うには、「きらきらと」しているそうです。

 ……そして、この話を読んでいるオタクもオタクで、この複雑で、曖昧で、感情の霧に包まれるかの如き不可思議な情景に、特段の違和感を覚えず、雰囲気で読んでいます。そう、雰囲気で読んでいるのです。
 ここにおいて、「詰め襟✕セーラー」、「セーラー✕詰め襟」などという形式は、この情景に不要で無粋な抽象観念です。
 そしてそれはそういうものとして受け容れており、叙情として成立しています。

 次のシーンに進みましょう。
 一同はこの「胸キュン」な場面に嘆息します。それから彼女たちは、この場面を如何に解釈するべきかを話し始めました。
 西城樹里と有栖川夏葉は、この一幕の叙情を通して描かれる「詰め襟」と「セーラー」の関係に、「セーラー」を主格とする「詰め襟」への思慕の情を感じたようです。そして、それでは「セーラー」は「ブレザー」に「心を寄せている」ことに矛盾があると感じます。
 彼女たちは、「セーラー」が愛しているのは「ブレザー」であって「詰め襟」ではないと考えるのです。

作品に対して控えめに異を立てる西城樹里と有栖川夏葉および理解の及ばぬ小宮果穂
彼女たちは曖昧な述懐を物語上の恋愛に係る象徴的な表現と解釈した

 この意見に対して、当作の既読者である杜野凛世は言葉に窮します。彼女たちが提起したような矛盾が生じているわけではないと確かに思いながらも、言葉にはなりません。
 同じく既読者である園田智代子は、現状の維持を願う保守の心情を抱いていたのだと思われる杜野凛世の言葉を引き継ぎます。

杜野凛世は心情の説明に際して吃ってしまう
園田智代子は叙情における一定の解釈を示す

 この意見に対する杜野凛世の同意をもって、彼女たちの微かな論争は幕を引きます。
 最後に、有栖川夏葉は、ここまで話に参加できていなかった小宮果穂に意見を促します。
 すると彼女は、ここまでの内容が分からなかったと答え、そして、その上で、今話で意見を交換していた放課後クライマックスガールズのメンバーを指して、「まつげが長いな」と思っていたと話します。

話し合いの内容が理解できなかったことを告白する
「まつげが長い」と思っていたらしい

 小宮果穂、有栖川夏葉、西城樹里の未読者は、自らの読解力が不足していることに原因を求めます。
 そうして、「国語の勉強を頑張る」という小宮果穂に対して、杜野凛世が「制服♡パラダイス」と類推される作品の第一巻を手渡すオタクの布教を行いました。

未読者たちは読解力不足であることが問題と考えた
いわゆる布教行為は今日のオタク活動において高頻に見られる

 このコミュでは、叙情される繊細な心情と曖昧な叙事を通じて、西城樹里と有栖川夏葉の両名が理知的に考える一方、杜野凛世と園田智代子は感覚的に物事を捉えている様子が描かれます。
 特に、杜野凛世は、少女漫画の一幕に描かれた情景に抱いた何かを言葉にすることを避け、感じることを優先した態度が暗喩されています。
 自然と成立した未読者と既読者の対立の外にある存在として、小宮果穂は理解が及んでいません。しかし理解が及ばないというのは、その内容を抽象しないということです。なぜなら、理解というものこそが、対象を抽象して観念に変える言語の手続きだからです。
 一方で綺麗であると感じてはいます。その内容を理解せずただ綺麗であると感じている、見ながらにして理解しないでいられる、というのは、美を保存したい心情において望ましい状態です。

 そして、肝心の解釈の対象となった『制服♡パラダイス』と思われる一幕に関しても、とにかく対象である何者かを決して直截の認識の対象として観念に抽象しないようにする心情が表されています。目前の世界をそのままにしておきたい、尊い者を尊いままにと願い祈る保守の心情が、尊い者の他に認識の対象を移す様を描いています。
 例えば「シャンプーの匂い」、「風の音」に意識を向けます。ここで暗喩されるのは「詰め襟」あるいは「セーラー」の匂いで、「詰め襟」あるいは「セーラー」の薫を運んだ風です。ここでは対象を無意識の恣意により目を背けています。
 尊い者に近づきたいという欲求と、近づきたくないという二律背反のなかで、そして、ついに、その一線を超えんとする瞬間の極北が「まつげ、長いな」という独白です。
 ここでは、クローズ・アップの技法が描かれます。睫毛という一部への過剰な接近による逆説的なフレーム・アウトによって、「微妙な感情を有する相手に帰属する睫毛」は「睫毛というもの全体」への知覚に変貌します。このとき、睫毛は長さという物質に対する尺度によって裁断される「物質」です。「詰め襟くん」あるいは「セーラーちゃん」の睫毛から、「睫毛というもの」への知覚に逃れたのです。
 しかし、その逃避は完全ではなく、ほんの少し何かが変われば、ほんの少し風が凪げば、目前の長い睫毛は、「詰め襟くん」か「セーラーちゃん」の睫毛に変わってしまいます。
 友情と恋心の間に揺れる幼馴染が、ここでは更に意識と無意識の二律の緊張に、禁止と侵犯の極限に、苦しみと歓びの頂点に彼らは留まることを願います。押し寄せて高まった波が、ついに砂浜を打とうとするのが、いつまでも落ちないようにと願うように。

少女漫画は成人向け作品よりも猥褻であることが多い

 この情景をただ「きれいだ」と感じるばかりであった小宮果穂は、この場において唯一人、緊張からは自由な、純粋な憧れをもって、この情景と、語らう少女たちを眺めていたようです。

【まみ伏せればきらきらと】

283プロダクションの寮にて、杜野凛世は早朝ランニングに出掛ける西城樹里を見送る。帰った西城樹里とともに勉強をして、眠った彼女の姿を眺めていた。

 この話では、西城樹里を眺める杜野凛世の叙情が行われます。

 杜野凛世が目覚めると玄関からは微かな物音がします。
 西城樹里が日課の早朝ランニングに出掛ける音でした。小さく出立の儀礼としての挨拶をして扉を開きます。

出立の挨拶は家の内と外とを分離する儀礼の性格を有する

 そのまま走り出そうとする彼女に、杜野凛世は鏡越しに見送りの挨拶をします。
 ここでは行こうとする西城樹里を引き留めぬよう、小さく声が出るほどに大きく口を動かしているのでしょう。
 応じる西城樹里も、小さく声の出るような口の開き方と身振りをしたのでしょう。

 そして駅前や路地が示され、再び寮に転換します。
 寮では、先刻ランニングに出掛けた西城樹里ではなく、杜野凛世が帰宅の挨拶をします。

自動車の始動を示す音や、囀り終える小鳥の声が聞こえる
先に出掛けた西城樹里が家に居る
杜野凛世は挨拶に応じる

 寮に戻った二人は共に勉強をしているらしい。杜野凛世は、西城樹里の様子に宿題が捗らないかを訪ねています。
 そんな西城樹里は否定しつつも集中しきれないようです。

 杜野凛世は早朝にランニングに出掛けていたことを回想し、身を案じる言葉を口にしますが、西城樹里は風を入れ替えることにします。
 彼女が開け放った窓からは心地良い風が吹き込みます。小鳥の囀りや遠くに走る車、木々に揺れる葉の音が聞こえます。気持ちを切り替えて、二人は勉強を再開しました。

 勉強を再開した西城樹里は、途中に分からないところがあったようです。
 “to think so” という不定詞で構成された句が、句であることが分からず、句であるか節であるかを知りたいように見えます。彼女は杜野凛世に訪ねました。
 杜野凛世は高校一年生であり、学年が上の西城樹里の質問の回答を得ることができません。しかし、彼女は西城樹里に不適切な質問であることを指摘しません。

“to think so” のみであれば句です。

 ほどなくして西城樹里は自らの質問が適当でないことに気が付きます。
 放課後クライマックスガールズのメンバーとして共に過ごす杜野凛世は、対等であるように感じらるのだそうです。それに対して杜野凛世は自分が年少であると応じ、共に笑います。

 そして暗転したのち、背景の日差しは赤みを帯びています。
 硬筆を走らせ、それを置く音が鳴り、杜野凛世は、しかし嬉しいのだと呟きます。

 西城樹里の返事はありません。頁が捲れ上がった音がして、シャンプーが匂います。
 そして、想起される少女漫画の情景が独白されます。杜野凛世は「まつげ……長いな」と口にします。

 そうして、杜野凛世は前話でのやり取りを回想します。誰かが言っていた「特別な思いがあることを象徴的に表現する」という言葉を思いました。


 今話では、ヱロ小説より全然ヱロい緊密なエロティシズムを描写した「制服♡パラダイス」の一幕を描いた前話とは打って変わって、素朴で安らかな情景が描かれます。
 全話で見せた理知や、挨拶や道徳といった礼節、承認者としての言葉、先んじる行為者としての振る舞いから、主体性のある、美しい、男性的な者として自然に西城樹里を描きます。それに応じる杜野凛世は受け身で慎み深い女性的なありようです。
 杜野凛世は西城樹里の色々な振る舞いを眺め、応じ、付き合い、共に感じています。例えばそこに不適切なことがあろうともそれを指摘するようなことはせず、彼女のなすがままに見守っています。

 そして自らを承認する彼女の言葉には、長い間、安らかに続く深く穏やかな喜びを感じています。

 そして、いつしか寝入ってしまった西城樹里を眺めての独白で、慎ましい彼女の思い遣りが示されます。

 そして、風に吹かれて、シャンプーが匂って、黄昏の日差しに包まれて、睫毛に目が誘われていく。先日語りあったように、けれど切実な緊張を帯びずに、ただゆっくりと美しいあなたへと。窓を引く振動が、枯れ葉を除く手が、私の視線が、あなたを起こさぬようにと。

 そうして静かな心持ちのまま、杜野凛世は先日の語らいに話された睫毛の長いのを眺める「特別な思いの表現」という言葉を回想します。
 口から漏れた「まつげ、長いな」という言葉はともすれば杜野凛世の言葉ではないのかもしれません。元は少女漫画の台詞で、さらに遡れば源氏物語やその創作の源泉となった宮廷に生きる女性の苦痛や嫉妬から生まれたものなのかもしれません。あるいは、今し方吹いた風や、匂ったシャンプーや黄昏に差し込む陽光やそれに明るむ部屋がそうさせたのかもしれません。 
 だから杜野凛世が口にしたこの言葉にも、本当のところは指示するべき主格に欠けているのでしょう。それが相応しく思われる。

何者かの言葉は独白の形態を取って現れる

 そして更に先日話された彼女たちの語らいはいずれもエロティシズムの激しい緊張を直截指示することはありませんでした。それは、解釈としては失敗なのかもしれません。
 しかし、目前の光景はそれには当たりません。この眠る人を眺めるこの気持ちは確かに何らかの意味において特別だと言える思いであり、少女漫画の彼らとはきっと異なる今の心持ちには、かえってしっくりと納得されるのでした。

感想

 「制服♡パラダイス」で疲弊した脳が樹里ちゃんと凛世ちゃんの暖かな交友で回復していくのを感じました。
 成り行きでクラブに連れられ終電を逃しキャバクラへと誘拐されEDMばかりが耳に残る朝焼けに、パッヘルベルのカノンを聴いた時のような気持ちです。

 解釈する不躾を敢行し明晰に指示するという誤謬を伴う硬い文章を書こうとしていたのに、【解釈しませう】と【まみ伏せればきらきらと】の圧力差で柔らかい文章に変わってしまっているような感があります。

 全体として、台詞以外の表現について様々な趣向を凝らしたコミュだったと思います。まとめの中では触れ始めると切りがないくらい様々な暗喩が行われていて、例えば、spineくんでの果穂ちゃんの挙動や、SEやBGMを使った時間経過なんかは典型的で安心感がありました。
 ややテクニカルなところでは、早朝ランニングに出た樹里ちゃんと凛世ちゃんの帰宅時間の入れ代わりのような、明晰でない様子を目指した筆致も細部まで精巧でした。叙情と叙事、韻文と散文の不明瞭なところなども文化的だなと思います。
 古語で書かれたタイトルもコミュ内容の慎ましさと謙譲の様態と良く噛み合っていて綺麗です。
 また、少女漫画やオタク活動の仕草などに表出してくる伝統文化も面白いと思います。
 やや理知的な暗喩もあって、 “to think so” という英語の句についても象徴的で良いですね。比較的截然とした英語の中でも、“to think so”という不定詞句で、ここでの “so” も「そのように」という、英語の中では目立って曖昧な言葉で、今回のコミュ全体の曖昧さへの希求との連関を出しつつ、英語と日本語の対比も暗喩していくあたりが良かったです。
 また各論的なことで言えば、夏葉ちゃんは理屈で解釈しようとしたり大人っぽいところがあるかと思うんだけど、やっぱり勘違いをする初心さがあって、そういうところが魅力だなと思います、稚らしいところが可愛いらしい。
 果穂ちゃんはね、ずっとそのままでいてほしいという気持ちと大人になってほしいという気持ちで制服♡パラダイスしそうなので今回は少し疲れてしまいますね。
 園田智代子は本当に優秀で、何ならその気になれば例の場面のエロティシズムを指摘することもできそうな雰囲気があります。
 樹里ちゃんは凛世ちゃんにまで大好きな樹里ちゃん感情を向けられていて、本当に樹里ちゃんは罪深いです。
 凛世ちゃんはお嫁さんに来てください。

 少し思想らしいところを言えば、自然と成立していく「制服♡パラダイス」の既読者と未読者の二項対立や、樹里ちゃんと凛世ちゃんの年齢の生得性も踏まえた主客の関係性とその関係性に準じた承認の様態を含めて、いわゆる脱構築の発想を人間に敷衍することへの反論めいたものを感じて気分が良かったです。

色々良かったです。お疲れ様でした。

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