何もかもうまくいかない④【独り言】
こんばんは。
『えり』です。
今回は以下の記事の続きから。
まだまだ続くこのシリーズ。
続いては、うつと研究室をテーマに過去を語っていきます。
これまでの記事で触れたように、
私は大学生の後半あたりに重度のうつ症状が出始めた。
それはパニック・不安に耐える日々や度重なる辛い出来事など、いろんな要素から発症したものなんだと思う。
1番近くにいた彼がメンヘラ製造機であったことも間違いない。(と思う。)
そんな私、実は理系女子である。
生物系を専攻していた。
大学4回生の頃には研究室に所属し、
研究を繰り返す日々となった。
研究かっこいい、研究職に就きたい、
そんなふうに憧れていたことがいざ目の前にやってきてしばらく経ったある時、私は気づいてしまった。
あれだけずっと夢見てた研究、
私に全く向いてない。
同じ研究室の同期は生き生きとそれぞれの研究を進めていく中、私はどんどん意欲を失っていった。
そして、意欲を失えば失うほど周りとの差を感じ、焦るようになった。
残念ながら、研究が向いていないと気づいたのは大学院試験のあとのこと。
研究の仕事に就くぞと思っていた私は、大学院試験を受け、大学院の進学が決まっていた。
-日に日にたまる劣等感
-そこに追い打ちをかけてくるうつ
-それでもあと2年は大学院生として研究室に所属しなければならない事実
どんどんと私は、不登校になっていった。
いけなくなってしまったのだ。大学に。
不登校になったら何が問題って、
研究が進まないのだ。
もっというと、研究結果が出ないのだから、
卒業論文が書けないのだ。
大学卒業の論文までは比較的元気に研究して、乗り越えることができた。
でも、大学院の修士論文は、、、
辛くて研究室に行けないながらも、
たまに研究室に行っては実験をしようとしていた。
可能な限りの努力はしたが、
論文が書けるほど行ったかというと、、、、
ただ現在、私は<最終学歴:修士卒>となっている。
それはなぜか。
研究室の先生に多大なるご迷惑おかけし、多大なるご協力を得たためだ、、、
順当な修士卒、ではない、、
頑張って論文を書き上げた同期たちと比べてたときにどうしても申し訳ない気持ちになる。
研究室、これは私のトラウマだ。
ここで語り尽くせないほど、辛い時間だった。
ありのままの『えり』より。
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