「離れた方がよい人」の基準を考えた先に、、、
世の中には付き合った方が良い人と離れた方が良い人がいる。その判断基準があるといい。でも、人は考え方や価値観がそれぞれだから、基準を持つなんて難しい。離れた方がよい人の基準ならいくつかありそう。その基準とは、、、。それに気づいてハッと思った話。
この記事を音声化しました ↓
From:ありのまま@9 #教員生活20年 #潜在数秘術man
近くのファミリーマート、イートインスペースより、、、
昨日の記事を書いて、1日がたった ↓
記事を書き終えてからも、ずっと思考し続けている。
基準があるといいよな
ってさ。
付き合った方が良い人の基準って人それぞれだと思う。
自分が良いなって心で思えば、近づいて学ぶ方が良いと思う。
きっと学びがたくさんあると思う。
そのために心の声に常に耳を傾ける必要がある。
離れた方がよい人は共通するところがありそうだ。
昨日の記事「あなたのために言っている」でも触れたけど、
明確な判断基準はなかった。
そのことを考えた中で僕の中に判断基準が見つかった。
今の時点での基準であって、数年後には変わっているかもしれないし、
死ぬまで同じかもしれない。
でもこれは割と正確な判断基準になると思う。
それは
「あなたのため」といいつつ、自分のエゴで叱りつける人
である。
「自分のエゴ」が分かりにくいので、
具体的に考えてみる。
これは本当に「あなたのため」と思っているかにもつながる。
それは叱り方、助言の仕方だと思う。
相手のことを思い助言をするならば、もしくは指導するならば、
「その人だけを呼んで」、冷静に伝えればよい。
冷静になれなくても「その人だけを呼んで」伝えればよいと思う。
それでも伝わらない方もいると思う。
それはそれでその人の価値観であって、ほっとけばよいと思う。
当然、命に関わることについては強く何度も伝える必要はある。
会社のオーナーと従業員の関係ならエゴを押し付けることもあると思うが、
今はそう言う関係でない場合の話である。
それぞれの価値観を押さえつけて、自分の価値観を押し付けるのは、自分のエゴの何者でもない。
ましてや、「みんなの前で叱ったり、強く指導したりする」って
公開処刑と同じ。
見せしめと同じだ。
指導したこと、それによって変わらないことを
誰かに言うのも結局同じように自分の憂さ晴らしに過ぎない。
ここまで書いてきて、ふと思ったことは、
僕も同じことをしていないだろうか
って言うことだ。
いや〜すみません。
僕も同じです。
陰で言っちゃっている部分ある。
憂さ晴らししている。
愚痴をこぼしている。
愚痴も悪いものではない。
吐き出すことが必要な時もある。
毎日、毎回となると話は別だけどさ。
「陰口を言う人と付き合うな」
って聞いたことあるけど、これとつながるな。
陰口言ってもその人のためにならないもんね。
結局自分の思い通りにならないことに怒っているだけだから。
いや〜勉強になったな〜
自分が嫌な思いをしたけど、やっぱ学ぶことがあった。
自分を見直すきっかけにもなった。
よかった。
また成長できる!
よ〜し、一緒に頑張ろう!
完璧な人はいない!(←自分に甘い。それもよいところ 笑)
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