それは誰の問題ですか?
バウンダリー:個人的な領域をまもって安心させるための境界線のこと。
人間関係が上手な人は、話し方、聴き方がうまいだけでなくこのバウンダリーのバランス感覚がうまいと言えます。
これはスキルというよりも感覚です。
そしてバウンダリーを意識するうえでもっとも大切なのが
「それは誰の問題ですか?」
という自問です。自分の領域を飛び越えて他人に関わる。または相手がこちらに入ってくる。この時にバウンダリーを飛び越えることが適切かどうかを考えるときにこの問いかけが有用です。
たとえば、子どもの宿題。自発的にやってくれれば問題ないですが、なかなかそうはいきません。とはいえ、代わりに親が問題を解いても意味がないわけです。宿題自体は子どもがやらないといけないわけです。やってもやらなくても本人次第です。困るのも得するのも本人です。
宿題は誰の問題かというと子どもの問題です。
とはいえ、これは年齢や状況によって異なります。たとえば小学生の低学年であれば宿題をやったかどうかの声をかけることは必要かもしれません。分からないとか難しいということであれば手伝うことも必要になります。でも高校生にもなるとそういう声がけすら必要ありません。分からないということがあっても、自分で調べるなり学校で先生や友達に尋ねるなりできるわけです。あまり声をかけすぎると、依存的な態度が生まれる恐れがありますし、親の言いなりになりたくないという反発から、やらないという選択をすることもあります。
バウンダリーを越えてしまうときというのは、誰の問題なのかが不明確なのです。
普段意識することはないと思いますが、結構なシーンでバウンダリーを侵しています。日本人の場合、多くはそれを善意として受け止め、相手に感謝の意を述べます。でもこのことが相手の重荷となって関係にひびが入ることも珍しくありません。
良好な関係でありたい相手ほど、バウンダリーを意識して「誰の問題か?」を問うてからかかわりを持つことをお勧めします。
親しき中にも礼儀ありですが、この礼儀というのをバウンダリーに言い換えてもよいのではないでしょうか。