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アトナンカのもの

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アトナンカなのかありがとう高橋なのか私なのか分かりませんが、今までのテキストとそれを作ることに関しての記事をまとめています。
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#演劇

広義の演劇と狭義の演劇への走り書き

私にとって演劇は広義の演劇ではないものです。  私自身は演劇をすることができないと思います。演劇形式に安心して沿って何かを作る事ができないのもそうですが、演劇が何であるかを考えれば考える程、いわゆる演劇形式が演劇の核心とズレていて、いやに装飾的なように思えて仕方が無いのです。(これが既にミニマリズム視点だなとは思いますが、私の様な素人や小演劇ではお金が無いのが現実ですし、演劇形式を印象付けている色々な要素を組み込む時間的・金銭的・精神的苦労は恐ろしいものです。)  私も「演

言葉という奴について

言葉は無粋。人間の心からの行動をまったく崩してしまう時がある。 理由のない行動に理由を生み出そうとする、心は少し苦しむ。 なんとなくを認める事こそが、 人間が人間にできる優しさの一つなのだと思う。 言葉は何かをあきらかにするように見えてその実、大切ななにかを 分断してしまう。世の中にはすべて見えるべきではないこともある。 心は頭の中ではない。胸の中にありつづけるものなのだ。 台詞には心理がつきもの そう考えて、そして、間違えて、割り切れた心を再現しようとしてしまう。

上演前に公開する終演後に見て的なもの Ver.3

アトナンカの ありがとう高橋です。 勝手に。 上演前に。 「農耕民族史B最終講義」について。 書いておきます。 裏話のようなことを言うと 農耕民族史B最終講義にはかなり他の作品へのラブレターのような側面があります。 たとえば「ゴドーを待ちながら」 農耕民族史B最終講義と関係があると思うと沢山そう見えるでしょう しかしだからと言って ゴドーを読んでから農耕民族史B最終講義を見るべき なんて事はありません 作る側として事前知識が必要な作品は受け取り手にハードルが