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「子育てに向いてた?」(『海のはじまり』より)
ドラマ『海のはじまり』第6話。
「子育てに向いてた?」
『向いてない』
私はずっとお母さんになりたかった。
生来の子ども好き。
妹と弟の世話も喜んでやる良いお姉さん。
母からのお墨付き。とても助かったそう。
結婚10年目にできた子。
ずっとずっと待っていた。
若い頃、私はお母さんに向いていると思っていた。
町中で子どもとすれ違う時は、全ての子ども達に笑顔を向けた。今もそれは変わらない。
子への愛情は誰にも負けない、と思っている。
ただ、向き不向きでいえば、不向きだと思う。
未熟だった。それもある。今ならもう少し余裕を持って出来ると思う。
子ども好きか否かはどうなんだろう?
少し客観的な立場でいられる人の方が向いてるのではないか?
HSPで感情移入しやすいエンパスの私は、やはり向いていない。
向いてないから後悔しているわけじゃない。子育て以外の仕事なら、向いてないことをやり続けるのはかなり辛いと思うけど、心から望んだこと、魂レベルのことだから、大変だけど喜び。喜びそのもの。
でももし、世間でいう価値観や、女性の幸せだから、親の望みだからと刷り込まれた価値観を自分の望みと勘違いした場合は、話が違ってくるかもしれない。
懸命にやりすぎて疎まれているところもドラマと同じ(笑)
優しい。子ども好き。それだけで子育てができるわけじゃない。
感情はむしろ邪魔になることも多い。
保育園に預けず24時間、3人の子を一人で見てきたのも結構キツかったな。
いきなり双子だったし。産後の肥立も悪くて1年近く続いたしね。気力だけで頑張ったけど(笑)
理想のお母さん像(世間でいう)になろうと懸命に努力したのもいけない。
サザエさんはフネさんになれない。
『私はもっとオモロい人間なんだけどな…』
ふとした時に、そう思ったものだ。
型にはまらない。はまれない。
人に笑われてナンボと思っている。
天然キャラ。
ならば、それで良かったのだ。
そもそも、お母さんに向いている、向いていないって何だろう?
誰が決めるんだろう?
自分?
子ども?
家族?
他人?
生まれてきた子どもの特性だってある。
HSPの幼稚園にも行けない息子を、保育園には預けられないもん。
こうすれば良いのよ、こうすれば良いのに、は基本無いと思っている。
個々のケースによって違うから。
但、精神レベルの高さはあるかもしれない。今ならまだマシなはず。
親も初めて親をやるわけで。
だから反省を踏まえて、孫にはたぶんひたすら優しいと思う(笑)
ドラマ内では、母(大竹しのぶ)が42歳で不妊治療の末に漸く生まれた水希(古川琴音)。
母はそれは愛情をかけ、自分の時間は全て水希に捧げるくらいの気持ちで子育てをしてきたのだろう。そして、ことある毎に「やっと生まれた子」と言葉でも投げかけてきた様子。
それを娘の水希は疎ましく感じている。
あくまでも母の力を借りない。
一人で産んで、一人で育てようとした水希。
母「自分の時間なんて無くなるのよ。全部子どもに合わせて。水希、絶対に向いてない。あんたみたいなマイペースな子は一番子育てに向いてないの。」
水希「お母さんは?」
「お母さん向いてた?子育て」
6話まで観て思うのは、水希は娘の海(泉谷星奈)に対して、押し付けず、幼くても海ちゃんの意思を尊重して子育てしてきた。そこを一番大切に、意識的に向き合ってきたような気がする。
水希は子育てに向いていた、ような…。
でも、別の場面で、
水希たち親子が生前、住んでいたアパートの大家さんから、「きちんとしたお母さんだった」と聞いて、夏(目黒蓮)が、
夏「ちょっと意外です。僕が知ってる頃は結構、大雑把というか、自由な人だったので」
大家「じゃあ、より大変だったでしょうね。そういう人が頑張ってそうしてたんでしょうから」
ちょっと重なった。
産む前は水希だった私。産んでから大竹しのぶ扮するお母さんになってしまった私。
『ほんとはもっとオモロいのに、私…』
サザエさんはフネさんにはなれないんだよ。
だからリセット。
今は別居して、自由気ままなワタクシ。
本来の、ありのままに近いのかな。少なくとも嘘はない。
別居して4年。
旦那さんは、生活費を折半で入れ続けてくれている。
子どもたちも応援してくれている。
無理して頑張っていた私も、
無理しない私も、
丸ごと受け入れてくれる家族。
ありがとう。
私は幸せです。
PS
ドラマ内、エンディング曲が流れる中での会話。冒頭に戻って。
エンディング曲は大好きなback number💕
水希「お母さん向いてた?子育て」
母「向いてるわけないでしょ。短気でせっかちなんだから」
水希「ハハハ…。自覚あんだ。凄いねえ。向いてないことこんなに長く続けて」
母「続けるしかないわよ。産んだら最後、子どもに振り回される人生が始まるんだから」
水希「いつ終わんの?お嫁行くまで?死ぬまで?」
母「死んでも終わんないわよ。お母さん、どうせ先に死ぬけど、それでも水希のお母さん、続けなきゃいけないんだもん」
水希「それは大変だね」
母「あんた、ほんと、他人の影響受けなさすぎ。普通、もう少し気持ちが揺らいだりするでしょ?」
水希「そんなことないと思うけどね。堕ろすのやめたし」
母「何かあって産むことにしたの?」
水希「やっぱ産もうと思っただけ。神のお告げ」
母「あ、そ。これ早めに食べてね」
産婦人科に堕しに行った時、病院にあったノートを見て、他人に影響を受けることが滅多にない水希の気持ちが変わった。
そのノートを書いたのが、夏の現在の恋人である弥生(有村架純)だった。
『生方さん、そう繋げてきたのね』
脚本家さんの発想には脱帽です。
過去記事です↓
ほぼ生方さんのこと(^◇^;)↓
これも(^◇^;)↓
ほぼドラマとは脱線しております(^◇^;)↓
妊娠。中絶。出産。家族。娘の死を支えた母。娘を失った両親。母を失った子。6歳になる自分の子の存在を突然知った青年。その恋人。水希に想いを寄せていて今なお忘れられずにいる青年…。
年齢と子育てが大竹しのぶに近い私は、どうしてもそこに注目してしまいます。
目の前に小さな命がいるといないとでは、大きく違ったでしょう。
大きな喪失感を抱えつつ、目の前の命を育てなければならない。子育てだけでなく、孫育て。
先の「産んだら最後…」の会話は親子のことでしたが、結局、子だけで終わらない。
そうやって受け継がれた、受け継いできてくれたバトン。
子育てを永遠に続けなければならないと捉えている母と、命が有限だからこそ、一日、一日が大切な水希。
向き不向きでいえば、二人共、不向きなのかもしれない。でも、そういう意識の違いで、【子育ては「永遠」だけれども「今」を生きる】方が良いのかなと。
大変な時期に、感情がどっぷり浸かってしまうのでなく、大変だけど、可愛い盛りの「今は今しか無い」と意識して向かうのとでは違うように。
親にすぐ楯突くし、先に死んじゃうし。親不孝に見える水希ちゃんだけど、存在してくれただけで親孝行だったと思う。生まれてくれて、存在してくれていた、それだけで。
生方さんはまだお若いけれど、“命”という難しいテーマを扱った本作。
どのような展開を見せてくれるのかでしょうか?楽しみです(*^^*)
長文、最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました🙏
ありがとうございます🙏
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