【地中海ひとり旅】わたしはなぜ、旅をするのでしょう。
ひとり旅をしていると、「わたしはなぜ、旅をするのでしょう」と考えてしまうことがよくあります。特に移動中、長距離列車なんかに揺られてしまえば。やることは、およそ読書か車窓を眺めるか、あるいはもの思いに耽るか。これはきっとひとり旅あるあるだと信じてやみませんが、ほかの旅人さんは、どうなのかなあ。ねえ、向かいに座るお兄さん。あなたもきっとひとり旅をしているようにみえるから、教えて欲しいな。なんて声をかける気力を、いまこの瞬間は持ちあわせていないけれど。
ことわたしにおいては、旅をしている理由はひとつではなく、たくさんの理由が複雑に絡み合って、それはまさに、リュックやカバンの中で絡まってしまった有線イヤフォンのような様相なのですが、例えばひとつ挙げるとすれば、「子どもになりたい」という理由があります。
旅をしているときのわたしは、およそ子どもです。視界に入ってくるものごとすべてが初めての景色で、道ゆく人は難しくて理解のできない言葉を話していて、分からないことだらけ。でもそうして胸がキュンって優しく締め付けられるような感覚が、色々な“初めて”が一度に大量に押し寄せてくることへの心の高揚が、大好きなのだと思います。
「子どもになりた」くてひとり旅をすることについてもう少し掘り下げてみると、「わたしはなぜ旅をするのだろう」と考えてしまうことにも、着目するべきでしょう。子どもの頃のわたしは「どうして旅をするか」なんて難しいことは考えなかったでしょうから、“物思いに耽る”ときは、わたしは“大人”であるといえるのかもしれません。そのように考えると、わたしのひとり旅の80%は“子ども”であるように思いますが、20%くらいは、“大人”が混じっていそうです。お金を払って美味しいものを食べたり、色々なことを調べながら旅路を歩むことも、どちらかというと“大人”と言えますよね。
この“80%の子どもと20%の大人”という割合は、わたしにとっては本当に心地よいです。都合が良いとも言えますが、そんなことはどうでもよくて。
さて、物思いに耽るのも飽きてきましたから、この列車が次の駅を発車したら、そろそろやっぱり、向かいに座るお兄さんに話しかけてみようと思います。
「どこからきたんですか」「どんな旅をしているんですか」
この出会いの入口に対するドキドキは、80%の子どもかな、それとも、20%の大人でしょうか。
地中海ひとり旅日記より抜粋
in Tunis, Tunisia Feb.2024