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Arim(ありむ)
2019年11月22日 16:43
かつての、漂流物にはまだ誰かの名前があったのだそれは時の中に沈んでいった静寂、だったが、ここに流れる漂流物には名前が失われていった。持ち主がいない。静寂という名前は、波に波に飲み込まれて行った。本当は、という言葉の影には、いくつの真実が眠っているというのだろう。本当は、と話し出す時、なだれ込んでくる声に包まれる。本当は、沈黙。本当は、影。本当は、あなた。本当は、
『まえばし猫町フェス2019』参加作品「ねこねこ猫」詩 Arim 写真 雪之情さん私の名前は「ねこ」誰がつけたか知らぬがいつの間にか、ねこで通っている「猫」とは、我が一族のこと人間の歴史書にも書いてある。私は野良猫。母さんは捨て猫。飼い猫、売り猫、放浪猫、全て、猫は猫だ。猫に優劣はない。皆自分は誇り高き王様だ、と思っている生まれるとはそういうことだ、諸君。ねこ、と誰
2019年11月8日 22:24
拾いものをして歩くなんて、とお母さんは言った。拾いものをして歩けるなんて、と私は思った。ねえ、お母さん、お母さんは私に命を授けて下さった。でも私はどこから来たのだろうね、この命を拾うように見つけて、この命を身体いっぱいに貰って、この命と一緒にお母さんに出会った。時間てみんなをベールのように包み込む時間てみんなにかかる雨のよう。でもね、人が拾いたくなるものはみんな違っていて
2019年11月7日 20:54
静かな時間が流れない、そんな時代に入り込み、ただただ詩であろうとすることはどういうことだと言うのだろう。人間の、小さな種のように残された光の落としていった夢。私たちは拾い集めて生きていく希望という名の大きな家を、どこかに見つけただただ詩であろうとすることだ。地面に落ちた黒い点は、そこに立っている証拠でありそれは青い点と置き換えていくことだった。希望などないと誰が決めたの