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変わらなくてもいい生活

「変わらなくてもいい生活」がしたいな、と思った。

したいな、と思ったからには「変わらなくてもいい生活」をする。

そう決めた。

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、これからあと1、2年は「コロナとの戦い」に負けないために「新しい生活様式」で過ごさなくてはならないらしい。

でも私は「変わらなくてもいい生活」がしたい。そう決めた。

きっかけは、代々お米をつくってきた祖母の一言だった。
祖母は耳なじみのいい、やわらかな盛岡弁をしゃべる。

「自分たちが食べられる分だけあれば生きンだ」

そのときの私たちは、大して難しい話などしてなかった。
孫と祖母との他愛ない近況報告。
コロナがねー、コロナがなー、といった程度の日常会話からぽんと飛び出たすさまじく強いことばだった。

祖母は、生活の延長でしかないとばかりに、当たり前のようにその言葉を口にしていた。
その横で、孫が雷に打たれたような衝撃をうけているとも知らずに。


生活の中に、自らを生かす糧がある。
米や野菜を育て、川から水をひき、冬は薪で暖をとる。

こういった生活を脈々と続けてきた祖父母は、3.11のときでさえ、困ったことなど何一つなかったという。

これまでも祖父母のこういった生活を尊敬していたし、だからこそ憧れに留めていたけれど、遂に決意してしまった。

私も、変わらなくてもいい生活を送りたい。
世の中が、世界がどれほど変わろうと。

はじめっからすべてできるようになるとは思っていないけれど、

私のこれからの在り方の道筋がはっきりと示された。

どこに住むのか、だれと住むのか。それは全く決めていない。

決めていないけれど、やる。

私にはそういう見切り発車なところがある。

そんな自分を楽しみたいので、マイペースにちょっとした記録をつけることにした。

「変わらなくてもいい生活」とはいえ、当の私の心は、日々機微に彩られるだろうと思うので。

はじまります。

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