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大河ドラマ「光る君へ」の時代の建築、その先はどう変わったか?

こんにちは!アーキロイドの福井です。
ちょっと前のブログ「大河ドラマ「光る君へ」の建築の楽しみ方-1」の建築から、どう変わっていったのか??の続きのお話。(私の興味にお付き合いいただいている感じで…ありがとうございます〜!)

(大河ドラマ「光る君へ」より)

上の写真を見ていて、
①「畳をいちいち動かすのって大変じゃない?段差で身分を分けてるのか〜」
②「唐戸(開き戸)って、あんまりものを置けない!」
③「家具で場の性格を表現するの大変じゃない?」
ついつい、ものぐさ全開なことを思ってしまう。

もちろん(?)、当時の人々もそんな人間のものぐささが端を発しているかのように、建築の設え(シツラエ)や人々の意識が変わってきたようだ。

①私的空間には、畳を敷き詰めるようになり(万年床的な?)、公的な空間にも敷き詰め均一な空間になっていった!
② 引き違い戸にしたら狭い部屋にも物が置きっぱなしにできるようになった!
③建具や天井で場の性格を表現するようになった!

なんだか、現代の家づくりと同じようなことを何百年も前から検討しているかと思うと、人間の住まいへの拘りって変わらないのかと面白くなる。

銀閣寺のホームページより)

そんな転換点が、銀閣寺「慈照寺東求堂」と言われている。
(春秋に特別公開されているよう。今年の秋に行ってみたい。)

この頃、床の間の考え方も中国からやってきた。
格式表現ではなく、おもてなしのモノを飾る場として進化していったようだ。

(御飾書)

室町時代に入ると唐物コレクションブームが起こり、「御飾書(1523成立)」という飾り方の実例集や「君台観左右帳記(1476〜1511)」という飾り方の手引き書をもとに中国に倣っていたんだとか。日本人のマニュアル好きはDNAなのか…!

(君台観左右帳記)

一輪挿しのような生活文化も同時に伝わってきたんだって!

畳は敷き詰められ、段差無しの「平等の象徴」のような空間になったのだが、歴史は繰り返す…次は、「身分格差の象徴」として空間が作られることになっていく。
あぁ、興味が尽きない。福井


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