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断捨離(R)番組から見る「家は心」の精神
断捨離の番組を見るのが好きだ。具体的に言うと「やましたひでこのウチ、“断捨離”しました!」を見るのが好きだ。BS朝日ね。コロナの時に片付け動画をたくさん見ていたけどけっきょく私の習慣として残ったのはこの番組だ。この番組は家の片づけについて悩んでいる相談者の依頼を受けてやましたひでこが派遣されて断捨離のコツ(物の捨て方)をいろいろ伝授する。コツを伝授された依頼者はそれから一か月くらいかけて家の中を片付ける。その様子をカメラがときどき撮りに来る。順調な依頼者なら片付けが終わった頃にもう一度やましたひでこが来て「よくここまでできたわね~」と褒めパートで終了。順調じゃない依頼者にはやましたひでこの弟子が派遣されたりマジで片付かない依頼者にはもっかいやましたひでこが指導に来ることもある。結局片づけられなくてお蔵入りになった依頼者もいっぱいいるんだろうな~~~。ちなみに放送されたものとして、「依頼者には断捨離がそもそも必要じゃなかったので断捨離中止」というオチの回もある。
依頼者によっても違うけれど、この番組ではだいたいの場合「家の荒れ」=「家庭の悩み」として解釈される。たとえばこどもが何人かいる家庭の母親から依頼が来たとする。仕事もしながら子育てをして片付ける暇がないと依頼者は言う。やましたひでこは荒れ果てすさんだ家の中の様子を見て「あなたは(こんな汚い家に住んで)自分をいじめてるのよ、わかる?」とか言う。やましたひでこはよく「ありさま」という言葉を使う。「このありさまでいいと思ってるの?」みたいに使う。汚い家に住むのはセルフネグレクトみたいなもんだよという言い方は断捨離を信じていない人にもわかりやすいだろう。ちなみに断捨離はヨガの思想からきているアイディアなので信じる・信じないみたいな温度感で語れる概念だ。依頼者は時間がないからしゃーねーだろみたいに最初は反論するけど、やましたひでこの話を聞いているとそもそもいらんもんが多すぎるので部屋が片付かないんだということに気づいていく。やましたひでこが教えるのは「家の中にある大半のものはいらんものなのですよ」ということで、「いる・いらない」を選別する能力を身に着けてね、というのが断捨離の指導の中身なのだ。ものが少なければ片付けをする時間を大幅に確保する必要はない。そして子育て世代の家の多くが捨てられないものとして「子どもの思い出のもの」が挙げられる。「これを捨てたら子どもとの思い出までなくなる気がして……」。しかしやましたひでこは「いやあんた、思い出の品で家の中を埋め尽くしているこのありさまで、今目の前にいて一緒に生活している子どもは大変な思いをしているんだが?」と正論をぶちかます。子どもの思い出の品を大事大事している依頼者の後ろで子どもが勉強机も置けない部屋で縮こまっている。うーん正論。しかし正論なんか聞きたくないという気持ちもある。人間の心というのは正論だけで片付けられるものではない!そう、部屋というのは人間の心そのものなのだ。片づけをしているうちに依頼人は自分の真の願いに気づく。「私は……部屋を綺麗にしたかったわけじゃない。私が本当に願っているのは、子育てや家事に非協力的な夫との関係を改善したかったんだ!」と……。そして家が綺麗になるのと並行して、依頼者は夫と話し合う。番組のラストでは、平泉成のナレーションと共に綺麗になった部屋で団らんする家族の一幕が映し出されて終わる。わりとこの番組の典型的な展開をまとめてみたのでこれと同じ展開の回があるわけじゃないけど雰囲気はつかんでもらえるかなと思う。
先ほども言ったように断捨離は思想なので、「ものに執着するな」というのがこの番組の根幹にある。なぜものに執着するのかというと、現在や未来への不安にとらわれているから。かわいかった子どもが成長してしまう。夫との会話がないし私のことをもう愛していない気がする。子どもが赤ちゃんの頃に着ていた服、キラキラした思い出が映し出された結婚式のDVD。とにかくやましたひでこは「執着」を捨てろと言いまくる。ヨガだから。ときどき依頼者の親類が「仏教思想とは相容れなくて~」みたいに賢しらにやましたひでこに反論しようとするがやましたひでこは累計発行部数400万部パワーで粉砕する。そもそもが断捨離(R)、論理的に強い。
そして執着を捨てて実際に部屋がきれいになると多くの依頼者はなんか人生が好転した感じになる。まあでもそれも当然で、多くの場合、依頼者には「自分の力では自分の人生などどうしようもない」という無力感があるんだけど、片づけをすることで自分の人生をコントロールできるんだという実感を得るから。部屋がきれいになるっていうのはそれくらいのインパクトがある。混とんとしていた部屋、つまり自分の心の中が、自分の理性によって統制可能になるのだ。
しかし同時に私は部屋を綺麗にできない時の依頼者の言い訳に情熱を感じる。特に、いっかいゴミ捨て場に持って行った大きめの不要品(視聴者から見るとどう考えても不要品)をわざわざゴミ捨て場から拾って家の中に戻す依頼人を見ると「今回はいい依頼者だな……」となる。執着がでかければでかいほど片付けの本質があらわになる。執着がある状態の依頼者はいろいろと捨てられない言い訳をする。代表的なものは「私は戦後生まれだからものを大切にする習慣が身についている」だろう。しかしインタビューを受けている依頼者の背後を見ると、買ったはいいが汚い部屋に埋もれて無駄になってしまったものが積み上げられている。
ここにはふたつの合理性が存在し、相矛盾するそれらの合理性がぶつかり合っている。「せっかく手に入れたものを捨てるなんて」「使わないものを持ち続けるなんて」。片付けは常に後者を勝利させていくプロセスだが、それは前者を否定することと等しい。お金を出して手に入れたもの、あるいは誰かから譲り受けたものを捨てる。つまり、過去の自分の判断を丸ごと否定し、消し去るまでの工程を自分でしなければいけないということだ。これはかなりの精神的苦痛だ。そのエクスキューズとして「私はものを大事にするんで」という言葉も出てくる。あと、「こんなに汚くて不便ではないですか?」という質問に「全然!」と食い気味に反論するのもよく見る。どう見ても不便そうでもその認識を受け入れない。部屋は心の中だから。
同時に、多くの依頼者(の家)からは現代日本のジェンダーの非対称性を感じ取ることもできる。基本的にある一定以上の世代の家庭に入った女性は自由にお金を使うことはできない。彼女たちはお金を使えない代わりに、生活に必要な物品を「もの」として手に入れることを許される。お金と違ってものの流動性はいちじるしく低く、しかしそれは彼女たちが所有することを許された限られた財産でもあるので容易に手放すことはできない。結果として、家はものにあふれていく。お小遣いのすくない子どもがわけわかんないものをため込むのとそれは似ている。ある回では、めちゃくちゃ自分の趣味にお金をかける夫が妻に「ママはさ~なんでそんなに捨てられないの~?」みたいに煽り散らかしていたが、妻は実際にはものすごく節約していて、けっきょく子ども達から「パパこそ無駄遣いしすぎ」と総スカンをくらっていた。金銭の管理をし、自由にお金を使える彼には妻にとっての「ものの価値」がわからなかったのだ。ここには、「捨てると本当に手に入らない」というもうひとつの合理性が存在する。
ちなみに番組で取り扱われる事例の半数くらい(体感)は、この旧態的なジェンダーの非対称性から生じている。家の管理をするのは女性であるという通念によって追い詰められた依頼者、夫が非協力的な依頼者がにっちもさっちもいかなくて番組に連絡を取る。はたから見て「こりゃ夫が悪くねえか?」と思うことも多いのだが、やましたひでこや彼女の弟子(断捨離トレーナー)が「旦那さんもね、照れ隠しなのよ」とか問題の本質っぽい部分をなあなあにして旧いジェンダー観を温存しがちなのはこの番組に不満を感じるビッグポイント。まあでも、傍観者がそんな無責任なことを言うもんでもない……んだけど、この番組を見ていると「家という空間の社会的閉鎖性」を強烈に感じてしまう。
話を戻そう。ものを気持ちよく捨てるためには、ものをいつでも再び手に入れられる確信がなければいけない。お金がないとものが買えないのでものを溜めこみ、部屋が汚くなる。部屋が汚くて自分の生活のコントロールを失い、ますますお金がなくなる。負のループだ。基本的に現代社会においてはものの価値は低い(かなりのものが100均で買える、今のところは)ので今、この時にいらないものはどんどん捨てたほうがいい。しかしそんなのは消費社会のルールの従順な遂行者でしかないとも言える。もちろん部屋がきれいになるとそもそもいらんもんを買わなくなるということもあるけど。
加えて、自分の生活の機能を自分の家の外側に配置するから家の中をすっきりさせられるという側面も確かにある。洗濯機や冷蔵庫を持たないミニマリストなんかはその例だろう。しかしそういった生活はバッファがないため、病気や災害などに弱い。東北地方で賞味期限切れの缶詰を溜めこんでいた依頼者がいたが、その人は東日本大震災の時に家にあった缶詰でたくさんの人を助けることができたので備蓄食料を捨てることはできないと語っていた。賞味期限切れはともかく、生活の正しいスケール感というのは決められない。というのも片付け系のコンテンツを見ているとわかってくる。現代における消費の矛盾みたいなものに思いを馳せざるを得ない。
とはいえ自分のためにならないくらいにものがあふれた家で暮らすのはやっぱよくないよ、自分をないがしろにしていることと同じだよというのはそうよなあとは思えるので、私は今日もこの番組を見るのであった。
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