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【最終章17-2】「すべてが、実験でした」|Arcanamusica
MAIN STORY【Chapter2】Arcanamusica —My song, Your song—
著:衣南 かのん
イラスト:ユタカ
#17 -②
アウローラはスタルトスにとって、もっとも大切な人の一人だった。
家も近く、年もスタルトスより二歳ほど年下なだけでそう変わらない彼女は、妹のようでもあり、幼なじみでもあり、親友でもあり、そして、守りたい存在でもあった。
「スタルトス!」
アウローラが≪ワールド≫に選ばれた、という報告を聞いたその日も、彼女はスタルトスを笑顔で出迎えた。
話によると、スタルトスが聞くよりもずっと前に、アウローラにはすでに連絡がいっていたという。
「アウローラ……」
「その様子だと、もう聞いた? ≪ワールド≫のこと」
「ああ。だけど、≪ワールド≫に選ばれたら何をするのか、どういう存在なのか……そこはまだ、秘匿されているんだ」
「……そっか」
一瞬、アウローラが少しだけ、切なげな表情を見せたような気がした。
「ただ、役目の話を聞く日は 僕も立ち会うことになったよ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。今回、星の軌道が変化していることを観測したのは僕だったからそのあたりの担当者は僕だし……何より、アウローラは昔からの友人だっていう話をしたら、ちょうどいいってことになってね」
≪ワールド≫を支える存在となるように、というのは、上司から伝えられていた。
それがどんな仕事なのか、その時のスタルトスには、まだ、何もわかっていなかった。
(まあ……アウローラを支えられるのなら、本望だ)
幼い頃に、アウローラは家族を亡くした。
それからは、一人で暮らすアウローラをスタルトスと、スタルトスの家族が支える形でずっと過ごしてきた。
ずっと頑張ってきた彼女に不自由な思いはさせたくないし、彼女の力になれることならなんだってやる。
そもそも、安定した研究職を目指した理由はそこにもあった。
アウローラには幸せであってほしい。
それがスタルトスの、唯一無二の願いだ。
アウルムは、『ルーキス・オルトゥス』と呼ばれる三人の老人によって政治を行っている。
彼らにアウローラが呼び出された時、スタルトスもまた立ち会うことになった。
そこで聞かされたのは、あまりにも衝撃の強い、この世界の成立と、維持の話だった。
この世界は、一人の神が作ったものであること。
アウルムという惑星は小さく、宇宙に存在するにはあまりにも頼りなく、そのために惑星を維持するために神の力が必要不可欠だったこと。
けれど、神も無限の存在ではなく——そこで作られたのが、≪ワールド≫というシステムだった。
神は、自らが不在になる前に自身に成り代わることのできる存在を民衆の中から一人、選べるようにしたのだという。
選ぶのは人ではなくあくまでも神の意志と言われるもので、拒否権はない。
そして、選ばれた人間は≪ワールド≫の役目を終えるまで——つまり、五百年の間、惑星の維持に務め、身を捧げることになる。
「……なんっだ、それ……」
あまりにも荒唐無稽な話すぎて、スタルトスは当然抵抗した。
「悪い話ではない。惑星の維持に務める間、≪ワールド≫の時間は止まる。命は落とさないし、その後の生活も当然保障される」
「だからって……五百年も経っていたら、周りの人間は皆いなくなっているでしょう。それをはいよろこんで、って受け入れろと?」
「もう一つ。≪ワールド≫は、一つ、どんな願い事も叶えられる。神の計らいだ」
だから感謝しろ、とでも言うように。
ふざけるな、と湧いてきた怒りは、けれど当の本人であるアウローラによって止められた。
「スタルトス、怒らなくていいよ。私、……わかっていたから」
「わかっていた、って」
「……最初に≪ワールド≫の話を聞いた時から。……ううん、もしかしたら、もっと、ずっと前から」
予感があったのだと、アウローラは言った。
いつか自分が、どこか遠くにいかなければならなくなる——そんな、予感。
元々勘がいい方だとは思っていたけれど、それも、≪ワールド≫の予兆だったのだろうか。
だとしたら、いつから彼女が選ばれることは決まっていたのだろうか。
彼女は、≪ワールド≫となる運命を受け入れて——そうして、その身を、アウルムに捧げた。
透明な石に閉じ込められ、眠る彼女の姿を見た時の絶望は忘れられない。
その石が割れるのは、彼女が役目を終えた時。
あまりにも、果てしない話だった。
*
やっぱり逃げよう、とスタルトスが切り出したのは、アウローラの役目が一週間ほど先に迫った日のことだった。
「逃げるって、どこに?」
「どこにでも。アウルムじゃない、どこかへ行こう。僕も一緒に行く」
幸い、アウルムには外の星との繋がりもある。
そして、この数年を研究者として過ごしてきたスタルトスは、外部との交流も何度か経験していた。
この星さえ出てしまえばなんとかなるんじゃないかと、そんな淡い目算はあった。
「以前、惑星外の学会で知り合った人がいるんだ。意気投合して、何かあったら頼ってきてくれって言ってくれていた。その人のところへ向かえば……」
「無理だよ」
だけど、それをアウローラが了承しないことも、わかっていた。
「私がいなくなったら、アウルムがなくなってしまうかもしれない。それに、スタルトスにも迷惑をかける。それは、嫌だよ」
「だからって、アウローラ一人が犠牲になるのも、僕は嫌だ」
アウルムなんてどうでもいいと、いっそ、そう言ってしまいたかった。
けれど、その言葉を塞ぐように、アウローラは微笑んでスタルトスの唇にそっと指を添えた。
「駄目だよ、スタルトス。もう言わないで。……揺らいじゃう」
いつもは無邪気な笑顔が似合っていたアウローラが、そんな風に寂しそうに笑うところを見たくなんてなかった。
揺らいでいいと、言いたかった。
揺らいでいい、逃げてもいい。なりふり構わず、わがままになっていいと。
だけど、アウローラがそれを望んでいないこともわかってしまった。
「……見守って。それで、忘れないでくれたら嬉しいな」
もちろんだと、頷いた。
忘れない。
忘れられるはずがない。
「五百年、かあ……」
私が目を覚ます時には、スタルトスはもういないんだね。
最後にアウローラが呟いたその言葉に、スタルトスは、何も答えられなかった。
そうだねと頷くことも、待っているからと否定することも、何も。
*
アウローラが≪ワールド≫となってから、アウルムの軌道は安定した場所で落ち着くことになった。
本当に彼女がこの惑星を維持しているのか、半信半疑のまま、それでも彼女のいない現実が、いやでも自覚させてきた。
≪ワールド≫の役目が明確にはどの程度で終わるのか、それはその代によるもので誰にも判断できないらしい。五百年というのも、あくまで目安という話でそれが長くなることも、短くなることもあるらしかった。
短くなる、と言っても、数百年には変わりないらしいが。
アウローラの言った通り、彼女が役割から解放された時、スタルトスは生きていないだろう。
(……彼女が、一人になる)
たとえどれだけ生活が保障されていても、願いが叶うと言われても、それはあんまりじゃないか。
彼女の五百年を、周囲は誰も知らない。ただ、異なる時代で一人生きていく。
(何かないのか、方法は)
その日から、スタルトスは地下資料庫に籠るようになった。
β列だけではなく、あらゆる資料を探し、過去の≪ワールド≫の情報を集めた。
代替わりの頻度が五百年に一度ということで、ただでさえ少ない情報から有益なもの、となるとほとんどなく、それはあまりにも途方もない作業だったが——一つだけ、ヒントを見つけた。
それは数代前の、≪ワールド≫の話。
彼か、或いは彼女かはわからないが、その時はなぜか惑星の軌道変更が起こる前に、≪ワールド≫が解放され——その後約百年、≪ワールド≫が不在の時代があったという記述だった。
(≪ワールド≫がいなくても、アウルムを維持できた、ってことか……? どうやって?)
調べていくと、その時代はちょうど、アウルムで芸術が開花したとされる時期と重なっていた。
国が豊かで、民に余裕があり、娯楽が生まれやすかった時代の話だ。
今アウルムに残っている娯楽、特に音楽や絵画、劇作品といったものの有名どころはほとんどがその時代に作られたと言われている。
(今からは考えられないな)
けれど、たまたま時代が一致しているというだけでそれ以上に何か関係はなさそうだ。
ただ、短命な≪ワールド≫もいた、と知ることができたのは朗報だった。場合によっては、アウローラもその運命を辿れるかもしれないと、少しだけ、希望が湧いたから。
研究者としても、仕事を続けないわけにはいかなかった。
星の研究は、思っていた以上にこの国の根幹に関わっている。スタルトスが今、こうして≪ワールド≫の実情を調べ続けられるのも、自分が研究者であるからだ、というのもわかっていた。
だから仕事の傍らで、ずっと調べ続けた。
To be continued…