読書感想文(306)江國香織『思いわずらうことなく愉しく生きよ』
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は久々の江國香織さんの作品です。
江國香織さんの作品は『東京タワー』と『つめたいよるに』を読んだことがありますが、『東京タワー』が特に好きでした。
感想
やっぱり江國香織さんの文章はとてもきれいだなと思う一方、登場人物があまり好きになれなかったのでモヤモヤしながら読み進めました。三女の育子やその恋人となる正彰、あとは治子の恋人の熊木は良かったのですが、それ以外の人達はあまり好きになれませんでした。
特に三姉妹の父親と、麻子さんの夫は苦手です。
この作品のタイトルは「思いわずらうことなく愉しく生きよ」なのに、皆何かと思いわずらっているなぁと感じます。
けれどもそれぞれ全く異なるところでです。
本人たちがそれで納得しているのならいいのかもしれませんが……。
けれどもやっぱり共感はできません。
光。
コップの水ごしにみる冬の日ざしは、なにもかもどうでもよくなってしまうほどきれいだ、と、麻子は思う。
光。
コップの水に閉じ込められているそれは、部屋に溢れている光よりしずかだ。
午後。サッシ窓の向うの庭は、土が白っぽく乾いている。椿の葉の暗い緑。
江國香織さんはこういう表現が上手で素敵だなと思います。
尚、これは麻子さん視点の場面なのですが、コップの水に閉じ込められている光は、今思えば麻子さん自身を表しているのかもしれません。
あのときの、あの感じはなんだったのだろう。(中略)里美をうらやましいと思った、あの感じは。
育子は光夫と暮らしたくなどない。ただ、暮らすことに決めたりできるさとみが、うらやましかった。
麻子には、自分がきちんとしていると思えることが大切だった。いつ誰に見られてもいいように、ではなく、いつ誰に見られてもいいと思えて、誇らしく安心できるように。実際には、誰も見ていないとしても。
こういう、物事をできるだけ正確に捉えようとする表現もいいなと思いました。
自分の考えを深めていくと、より正確に自分の考えを表現しようとして、このような思考回路になることがあります。
「ありがとう」
育子には、それが感情からでた行為ではなく意志による行為だとわかっていた。だからこそ、安心して受け入れることができる。
これはとても身近な例で言えば、脈アリサインとか、恋人ならそうするべきだとか、そういうものに近い気がします。
ではその意志はどこからやってくるのかというと、実は作中で治子のセリフに書かれています。
「でも意志の動機づけは恋愛でしかあり得ないことが、いつかあの子にもわかるわね」
これは賛否分かれそうな考え方ですが、麻子さんはまさにそれを体現しているように思われます(或いは愛があった頃の意志による習慣が続いてるというべきか)。
治子はこれは理解した上で恋愛という感情に重きを置いています。
私はかつて感情を根拠としてもよい論理的思考というものを考えていましたが、この治子のセリフには近いものを感じました。けれども恋愛のようなエゴの感情が全てなのではなくて、世間体のような感情も含んで、意志は形成されると思います。
そう考えると、治子が恋愛に限定してこのセリフを言うのは、確かに治子らしいような気がします。
育子は思うのだが、男の人というのは夜の深さを時計でしか計れない。
これは何となく引っかかったのでメモ程度に。
ただ、江國香織さんの作品には女らしさ・男らしさという意識が強くあるように思います。
これをどう捉えるかは、現代の課題のようにも思われます。
おわりに
これを読んでいた時、奇しくも知り合いに『きらきらひかる』って読んだことありますか?と聞かれました。
読んだことはないのですが、この作品が好きだという人はちらほら見かけたことがあるので、週明けに読んでみようかなと思っています。
ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。