読書感想文(408)三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
今回は昨年話題になった新書です。
私自身は、年間休日が70日程度のブラック企業(私立高校)に勤めていた時、なんとか自分の時間を確保しようとして隙間時間(信号待ち含む)で本を読み、何とか年間100冊ほど読むことができました。しかし、そんな生活では一生やっていけないと見切りをつけて一年でやめました。
そんな経験をした後にこの本を知り、読まねばと思いました。
感想
とても面白かったです。
事前の口コミでも見かけていたのですが、本書は読書史としての側面が強く、とても勉強になりました。
また、まえがきに書かれていた「読書する余裕がない社会なんて絶対おかしい!」という意見にも共感しながら読み進めました。
全体的な感想として、教養のための読書がエリート階層へのコンプレックスという根源を持つことが印象的でした。
確かに、勉強のために読書する自分にも、平凡な自分が武器を得ようという意識があることは確かです。しかし、こんなにも根深いものだったとは。
勉強本を買うほどに、学ぶことに関心を持つことができた者は、それだけ恵まれているということだ。現代では、格差は動機付けの段階で現れる。(苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会へ』有信堂高文社、2001年)
つまり読書しようと思う意思の有無に、社会の階級格差が影響を及ぼしている、ということである。
この点、当然のようでありつつ、あまり意識できていなかったなと思いました。これをメタ認知できれば、勉強意欲は湧いてくるものなのでしょうか。
自己啓発書。その特徴は、「ノイズを除去する」姿勢にある、と社会学者の牧野智和は指摘する。
「ノイズを除去する」とは、『7つの習慣』でいう「影響の輪」のことでしょう。しかし、これは遠回りの過程で得る様々なことをスルーしてしまうことです。私も自己啓発本に影響をかなり受けている方ですが、この点は意識しておかなければならないなと思いました。
面白かったのは、ここを読むことでこの本が自己啓発に繋がっていたことです。私はここを読んで自分の現状をメタ認知し、気をつけないとなーと思いました。
新しい文脈を知ろうとする余裕がないとき、私たちは知りたい情報だけを知りたくなる。読みたいものだけ、読みたくなる。未知というノイズを受け入れる余裕がなくなる。
これが働いていると本が読めなくなる理由。
多分、新しいゲーム(特にボリュームのあるパッケージ)を大人が積んでしまうのも同じ。
けれど、私は多分何かしらのおかげで働きながらでも常に新しい文脈を求められています。
だから自分は今本を読めているし、忙しかった仕事を一年で辞めました。
仕事を辞めるのは多少の勇気が要ることだけど、この新しい文脈を求める心は大事にしたいなと改めて思いました。
その他、メモに残しておきたいことを残して終わります。
61大正の親鸞ブーム
84円本ブームは関東大震災で書籍代が上がり、倒産寸前だった改造社の大博打、当時の相場の10分の1ほどで全巻一括予約システム
97大正末期から昭和初期にかけて、大衆雑誌→エンタメ小説の幕開け
104パチンコ、正村ゲージ
114労働時間のピーク、今の1.5倍、1960年2426時間、池田勇人所得倍増計画、1964東京オリンピック、余暇も職場の人と
132外からの開花、内外の不一致
229シリアスレジャー
おわりに
なんだか、本の内容の割にはあっさりした感想になってしまいました。
私は物事を通時的又は共時的に見るのが苦手なので、読書に関してもそれぞれの位置づけのマップを持っていません。
しかし、本書のおかげで少しだけ、読書についてそういった意識を持つことができました。
今後、もっと勉強して色んなことがわかるようになりたいです。
ということで、最後で読んでくださってありがとうございました。