読書感想文(128)三浦しをん『愛なき世界(下)』

はじめに

こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。

今回は前回の続きです。

感想

まず読み終えて思ったことは、世界のどこかにある日常がありのままに描かれている、ということです。
三浦しをんさんの作品は他に『きみはポラリス』しか読んだことがありません。
そちらは短編集なのですが、ありふれていそうで、埋もれてしまっていそうで、でも確かに存在する、愛おしい人の営みが描かれていました。
読んだことが無いのですが、『舟を編む』は辞書を編纂する話ということで、こちらも普段あまり意識されていない人の営みにスポットライトが当たっているという点で似ている気がします。
有川浩さんは自衛隊の小説を書かれていますが、自衛隊員も血の通った人間なんだということをどこかで書かれていたと思います。
そういった当たり前だけれど見落としがちな温かい人の営みに触れられるので、私は多分三浦しをんさんの作品が好きなのだろうと思います。
といっても、まだ2作品しか読めていないので、これから色々と読んでみたいです。

この作品ではやはり研究というものにスポットライトが当てられていることが印象に残りました。
私自身、大学院に進むか迷って結局止めた経験があります。だからわかるような、でも結局行かなかったから理解しきれていないんだろうなというもどかしい気持ちになりました。
このまま突き進んで大丈夫か、という不安を乗り越えるだけの好奇心を持てる研究者の人達には憧れと、勝手ながら少し嫉妬もあります。
でも自分の好奇心は一つの物事を深く掘り下げることではなく、幅広く知る方に向いているんだろうなと、今は前向きに捉えています。古典が好きかつプログラミングが少しできる人なんて珍しいでしょう。
でもこうやって時々一途に研究している人を見ると、懐かしい嫉妬に包まれます。いいなぁ、そんなに熱中できるものに巡り会えて。或いは、熱中できる性格に生まれることができて。
私はそこに興味を持つことまではできるので、専門家から沢山の事を教えてもらって、それをわかりやすく噛み砕いて色んな人に伝えるのが自分の役割なのかなぁと思ったりもします。

予定どおりに実験を進めて、予想どおりの成功を得ることができるか。期日までに博士論文を提出できるか。そんなことばかりに気を取られてしまっていたけど、私がまちがってた。
実験に筋書きなんかない。研究に期日なんかない。
うっかりミスも含めて、目のまえで起きている事象を先入観なくよく観察し、誠実かつ公正に事実を記録しつづける。失敗しても工夫を重ね、この世界の理ににじり寄りつづける。自分の命が尽きる日まで、「どうして」と問いかけ、謎を追究しつづける。それが実験であり研究なんだ。

P132

途中で失敗したり、予期せぬことが起こったりしても、かまわない。「予定どおり」なんてありえないし、退屈だ。予定とは異なる、ままならない道を、それでも自分の思考と気持ちを信じて進みつづけたから、いまのこの発見があるんだ。喜びとうれしさがあるんだ。

P206

職業としての研究者と生業としての研究者。世の中綺麗事だけではやっていけないけれど、綺麗事には綺麗事なりの美学があると思います。
私は初め、この場面で藤丸のあっけらかんとした物言いに少し反感を覚えました。だって実際問題、博士号を取れるかどうかがかかっているのです。
でも確かに未知だからこそ面白いというのはあって、私も「学部生だからこそ結果が上手くいかなくてもまあ大丈夫」と思いながら卒業研究をやりました。
今大学を卒業してみて、次の未知なる冒険はなんだろうかとぼんやり考えています。恐らくこのまま何も考えずにぼんやりと生きていけば、私はもう未知へのワクワクを味わうことなく、淡々と日々を送っていくのかもしれません。いや、でも日常生活というのは淡々としているようで細やかな彩りが随所にあることはわかっているつもりです。だったらまあ、自分は将来も大丈夫かなぁと思います。最近は未知なる冒険へのワクワク感をより増すために、ゼルダの伝説をプレイして心を養っています。
何の話だっけ?と思って読み返すと、予定どおりにいかないことこそ、研究の、そして人生の醍醐味かもしれないなぁという話でした。

 不思議だなと思う。言語を持たず、気温や季節という概念すらないのに、植物はちゃんと春を知っている。温度計や日記帳を駆使せずとも、「これは小春日和ではなく、本物の春だ。そろそろ例年どおり、活発に生命活動をする時期が来た」と判断し記憶できる。
 翻って人間は、脳と言語に捕らわれすぎているのかもしれない。苦悩も喜びもすべて脳が生みだすもので、それに振りまわされるのも人間だからこその醍醐味だろうけれど、見かたを変えれば脳の虜囚とも言える。鉢植えの植物よりも、実は狭い範囲でしか世界を認識できない、不自由な存在。

P136

この感覚は忘れずにいたいなと思います。暦や時計は便利だけれど、本来自然には無かったものを人間が作り出したに過ぎません。
なんてすぐに思うことができたのは、印象に残っている金子みすゞの詩があるからです。

暦と時計

暦があるから
暦を忘れて
暦をながめちゃ、
四月だというよ。

暦がなくても
暦を知ってて
りこうな花は
四月にさくよ。

時計があるから
時間をわすれて
時計をながめちゃ、
四時だというよ。

時計はなくても
時間を知ってて
利口な鶏は
四時には啼くよ。

『金子みすゞ童謡全集③空のかあさま・上』
P131

そしてこの詩をすぐに思い出せたのは読書感想文に書いていたからであり、先日読書感想文の振り返りを書いたからです。読書感想文は今の所マンネリ化する気配がありませんが、きちんとモチベーションを向上させつつ続けていけたらと思います。

「私の言う『直感』は、『神からの突然の啓示』といった類のものではありません。日々、愚直に観察をつづけているからこそ得られる直感なのです。本村さんは、もっと自信を持っていいと思いますよ」

P149

これはその通りだなぁと思いました。
直感というのは、その人のそれまでの経験に基づく無意識の判断だと思っています。
しかし経験則であるゆえに見当違いな判断をしてしまうこともあるので、私はあまり直感に頼りたくはないと思っています。今回の作中の直感の場合は、直感の後に根拠を見い出せることや、より経験豊富な教授も支持していることからより信頼できるとは思いますが。
直感を信じずに考えるようにすると、考える量は膨大に増えます。その分、他のことに割く脳のリソースが減ってしまうので、そろそろ直感に頼ってもいいんじゃない?と数年前から思い始めています。でもなかなか自分の中でGOサインが出ません。

最後に少しだけ、藤丸くんと本村さんの恋愛について。
私は藤丸くんとは多分全然違うタイプですが、本村さんのことを愛おしく思う気持ちはとても共感します。
告白を即答でお断りすることすら愛おしく感じます。
これは何に対する愛おしさなのだろうと考えてみると、一途さ、素直さ、健気さといった言葉が頭に浮かんできました。
純粋な好奇心?無邪気な好奇心?そういったところに愛おしさを感じているように思います。
先にも書いた通り、私自身は一つの事を究めることに恐らく向いていません。だからこそそういう人達に憧れがあり、そしてできるだけ支えたいと思うのです。
藤丸くんの好きだという気持ちは、一般的な「お付き合いしたい」というものと少し違うような気がします。頑張っている本村さんが、いつか何かの壁にぶつかった時、少しでも力になりたいと思う、そんな健気な恋心であるように思いました。そして藤丸くんが自分自身にできることを考えた時、一番得意なのは料理です。美味しくて栄養のある料理で、少しでも力になろうとする藤丸くんも健気で素敵だなと思いました。
今は世間一般的な恋人にならなくても、いつかお互いに支え合うパートナーになる可能性はあるんじゃないかな、なんて、物語の先を想像してみたりします。そういえば岩間さんの恋愛についてはそれほど注意深く読めていませんでした。次に読む時は、もう少し気にして読んでみようかなと思いました。

おわりに

『愛なき世界』というタイトルでありながら、愛に溢れた小説でした(これは巻末「解説」にも書かれていました)。
次は『舟を編む』も読んでみたいなと思っています。
この本もまたいつか読み返すだろうと思います。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。


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