読書感想文(134)山田詠美『ぼくは勉強ができない』
はじめに
こんにちは、笛の人です。
読んでくださってありがとうございます。
この本を買ったのは随分前なので、何故買ったのかは覚えていません。恐らく大学生協の文庫割引セールの時、いつか読むであろう本を片っ端からカゴに入れた時に買ったのだと思います。
今回読もうと思ったのは、偶然目に止まったからで、特に理由はありません笑。
読もうかなと思ったから、読んでみました。
感想
面白かったです。
正直、少し文体が馴染みづらく感じましたが、途中からは慣れてスラスラと読むことができました。
「ぼくは勉強ができない」というタイトルについて、私はあまり共感はできません。どちらかといえばお勉強は順調にこなせた方だと思います。
しかし、学校のお勉強が全てだと思うようになりたくはないし、作中でも触れられている通り、学校のお勉強以外にも世の中に勉強は沢山あると思っています。
一方で、自分が学校のお勉強のおかげで今の所それなりに恵まれているので、自分の子供ができたら学校のお勉強もするように勧めたくなります。
それを子どもが拒んだ時、どのように対応するのが良いのか私はまだわかりません。子供の人生だから、と思い切るのか、それでも子供の為だから、と嫌な親になるのか。どちらにせよなるようになる気はしますし、考え過ぎる方がかえって良くないような気もします。
また、この作品に通底している考え方が少なくとも二つあると思います。
一つ目は、真実や心情は当事者にしかわからないことであり、他人がとやかくいうのは勝手なことであること。
二つ目は体の重要性です。こちらはまだふわふわを捉えきれていませんが、頭で考えることと体が丈夫であることが対比的に描かれ、体の重要性が書かれていた気がします、既にうろ覚えですが……笑。これについては、おじいちゃんが逆に物体的なものより煙のようなものが良いといったことをどこかで言っていたはずなので、そことも関係があるかもしれません。
主人公は初めて小学生の時に大人を見下すことを覚えました(P13)。私もそうだったなぁと懐かしく思いました。
私は小学四年生の頃、担任の先生が生徒のミスを叱る割に自分のミスは軽く扱うことに反感を覚えたのが最初だったように思います。大人が正しいとは限らない、ただ子どもが年をとったに過ぎないということは、色んな所で徐々に覚えていったように思います。
自分が大人になった今、子どもたちにはありのままの姿を見せたいと思っています。大人ぶったところで、「大人」になれるわけでもないので。
この作品では、恋愛面で結構グサグサと刺さる所があったので引用しておきます。多いので一つ一つについての感想は簡潔に済ませるつもりです。
まずはグサグサッとオーバーキルです。じゃあどうすればモテるのか、それを考えることもまた後で否定されるのです。
これは少し大人な話。江國香織『東京タワー』を思い出しました。でも私は多分こんなふうに割り切れません。それが何故なのか、いつか言語化したいです。
再びグサグサグサッと。
自分に足りないのはいやらしさかもしれないなぁと思いました。性的魅力があまり無い自覚はあるんですよね。
これまで目指していた方向でダメなら、いっそ思い切ってみようかなと思いました。
なるほど、そうかもしれません。
でも子作りを目的としないセックスは、子作りという視点から見れば無駄になるのかなぁ、だから良いものなのかなぁと思いました。
「あ、これめっちゃわかる!」と思った数秒後、ブーメランであることに気づきました。でも自分がもてない本質はここではない気がします。多分自分の好みを優先する人は最低限の一般的な基準をクリアしているのではないかと思います。まず普通を目指してから尖るということですね。いや、まあ人の好みなんて様々なのでわからないですけど。というか、色々と考えてたらわけわからなくなってきました笑。
おわりに
今回は沢山引用したので、これを読み返した時に何を思い出すのか楽しみです。
この本自体もまた読み返したいと思います。
ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。